第十九章『猟奇式人形』2
「お前は我らが〈黄金の幻影の結社〉の備品たる人形がなにか知らんようだな。まずはそこから聞かせるとしよう。そもそも人形というのは――」
《猟奇博士》の
人形への命令は命令者として登録された〈結社〉幹部の声や音で伝えられ、一方的に使役される。そこには改造元となる人格は一切関係なく、一律に絶対服従しか存在していないという。
「強力な洗脳のようなものですよ。薬を使った暗示でも似たことはできる」
博士はそうした洗脳を可能とする技術はおろか、そもそも人に機械を埋め込んで改造し、動かすような超技術の出所を詳しくは知らない。ただ、どうやら戦時中の軍事技術や論文の援用らしいとまではつかみかけていた。
一方の楓はとうとう直面してしまった。
人形は元々が人間であるという揺るぎない発言と事実に。
《無銘道化師》の言葉が思い出される。
『魂なき人形は黙して語らずでございます』
おそらくあれは、元の人格を塗りつぶし、指図されたままにしか動かないさまを言っていたのだろう。肉体のみを使役されているのでは確かに操り人形と同じである。
しかし肉体を操られようとも、本当に魂までがなくなってしまったわけではない。
――日進さんには〝思念〟が、魂がある……
微弱ながらも感情や意識のようなものを持っている人形が、〈
「仮面と服装は《暗黒卿》閣下の好みだろう。ばらばらの服装よりかは、制服の方が見栄えもよい。さて、そんなことより大事なのはだ、私が凡百の人形を解体し、その機能を応用してこの男を猟奇式人形とするにあたって施した努力の数々である!」
と楓のそばに落ちているものを見ながら、博士は得々として続ける。
命令伝達を短縮する工夫。
心拍数と心肺接続機関との歯車の同調および上昇にかかる試行錯誤。
人形が滑らかに動くようにする調律。
理学的見地から結社の技術の応用、再解釈を試みる己の崇高な姿勢、という
もとの人形には無駄な機構がいくつも組み込まれているのが許せない点など……。
いずれも専門用語まじりで、畑違いの楓には半分も理解できなかった。
いや、それ以前に彼女にはもはや博士の話など耳に入っていない。
――市谷さんは人形が人ではないかのように言っていた。けれど、いまも人と言えるのでは……、どこに人であるという軸を置いているのだろう
楓の属する世界では〝思念〟のみの存在を人間と見なさない。
生霊は生きている人間から発生するが、それ自体は肉体は持たないから霊――厳密には魂――なのである。
しかし人形は違う。
彼らは肉体を持っているし、日進の例から意識や心も備わっているのが明白だ。
でなければ助けを求めはしないだろう。
しかしその意識というのが、肉体を持たない存在のようなむき出しの〝思念〟なのである。
それをどう解釈すべきか。
――まさか肉体や意識を〈結社〉に奪われて憑依され、本来の人格は強制的に〝思念〟として切り離されている?
意図的、偶発的にかかわらず、肉体や自然物、道具などに別の〝思念〟やそれに類する神魂などが宿った状態のことで、こうした存在を宿したものを依り代と呼ぶが、それが人間である場合は特に
たとえば〈
さて、神憑りされている間の依巫の思念(魂)は那辺にあるのだろうか。
一般的には憑依した存在により活動を抑えられ、眠りについていると考えられている。
だが、もし依巫の思念が抑えられなければ、自分の肉体に自分の〝思念〟が憑いているような現象が起きるのではないだろうか。要するに肉体の制御を奪われたまま、思念だけがさも死んでいるかのように垂れ流しになってしまうような事態だ。いまの日進のように。
――そういえば神憑りには
依巫に降臨した存在がつむぐ託宣や神意の解釈を行う者だが、降りようとしているのが悪しき存在かどうかを見極め、依巫が肉体を奪われないようにする役目も持っている。
それは彼女にとっては至極もっともらしい解釈であった。
が、
――や、私はまた自分の知識だけで解を得ようとしている。帝都ではもはや〝思念〟も神憑りも信じられていないだろうに
霊性存在を信じるがゆえに、操り人形の比喩を〈付喪の〉と取り違えたばかりであるから、いまの解釈がそのまま正解だとまでは考えない。
あくまで仮定なのだ。楓は自分に言い聞かせる。
楓があれこれ思惟する間に《猟奇博士》が動いた。彼は楓が自分の話を半分も聞いていないのを見て取ると、相手にさっと近づいて、〈喜色〉の仮面を拾い、ついでに銃も拾い上げる。
自慢話をほとんど無視されていた博士であるが、割に落ち着き払っていて、仮面の裏側を
黙考していた楓が気付いた時にはもう遅かった。
相手が銃を握っているのを見て、自分の独りよがりな考えを即座に打ち切らざるを得ない。
明らかに害意を持つ一味を前に沈思するのはあまりに暢気すぎた。
「話を熱心に聞かない生徒には罰を与えなければならん。我が忠実なるしもべ、猟奇式人形の手による罰をな」
「偽りの感情を被せてまで無理やりに従えた者を手駒だと言っているのですか」
「指示に従うものは等しく手駒というのだ。余人の意思や感情など関係ない。我が意を受ける肉の器として機能する。それこそが猟奇式の存在意義なのですよ」
猟奇式人形。
それは《猟奇博士》が〈結社〉の備品である人形を基に、独自の改良を施した新しい人形だ。ほとんど思い付きで口にした名称であるが存外に気に入っていた。
「うん、仮面に異常はない」
そう言って博士が〈喜色〉に仮面の裏側を向ける。
さきほど日進の顔そのものに釘付けになった楓には観察する余地がなかったが、顔面に打ちこまれた
仮面の裏側には、顔の鋲に対応する部分に向かって小さな針と管が伸びている。
「猟奇式人形は
手にした仮面を日進の顔面に装着させると、鍵を挿しこんだような、なにかが嵌まる小さな音がして、猟奇式人形がびくりと身体を震わせた。
生還を求める生々しい声も、死人のような顔も、再び満面の笑みに覆い隠される。
同時に日進の〝思念〟も覆われるように薄くなり、人形のそれへと戻る。
――仮面に鍵が……?
「明かすべき事実はすべて語った。我が猟奇式の餌食になれ」
人形は呻き声をあげはじめ、一歩、一歩と楓に迫りだす。
「あなたがしていることは邪宗と同じです。人の意思を捻じ曲げさせる邪悪の――」
ぱん、と乾いた音がして楓の近くで何かがはじけた。
「黙れ。もう何も聞かん。逃げ回ると撃つぞ。大人しくなぶられるがよい」
銃を手に《猟奇博士》が静かに威圧する。
一歩、二歩と猟奇式人形が近寄っていく。
楓は生唾を飲んで身構えた。
日進の受苦を訴える叫びは仮面に包まれ、感情に呑まれる恐れはない。
しかし猟奇式と博士が持つ鉄砲という現実的な危機が増大した。
一方の《猟奇博士》も《猟奇博士》で、じっと立ちすくんでいる楓をすぐに撃ち殺せば、「《猟奇博士》バンザイ!」の三唱で完結するものを、回りくどくも猟奇式人形に手を下させようとしている。ひとえに生身の人間を撃ち殺すような度胸が備わっていないからだ。
これまで人形に数多くの者を殺めさせておきながら、この男はこれまでの人生で一度も自らの手を汚した経験がないのである。それは帝都最悪の犯罪組織に身を置く《猟奇博士》のささやかな自慢でもあった。
そしてもちろん、自らが生んだ猟奇式人形に楓を
仮にも名に博士がつく身だ、発明物の成果を見届けたいという、こちらの欲求の方がこの場における動因としては大きかった。
楓の動きを封じ主導権を握る《猟奇博士》。
に思われたが――
「こんの野郎!」
横から市谷が飛びかかって猟奇博士につかみかかる。
そうして揉みあう間に発砲音が鳴り、直後に博士が、「ぎゃ」と短く叫ぶのと、市谷が離れるのは同時だった。
まさかどちらかに命中してしまったのでは。
不安がる楓であったが、幸いと誰にも当たってはいないようだ。
博士も自分の体を慌てて探り無傷なのを確認すると、撃たれたような叫びから一転、
「いいところを邪魔するでない!」
乱暴に振り払ってから市谷に銃を向けようとして、肝心のものを相手が握っているのに気付く。短い取っ組み合いの中でひったくられたのだ。
「もう遅いぜジジイ!」
「薄汚いスリめ、それを返せ!」
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