第十八章『戦争を招くもの』1

 帝都全市を対象にした廃ビルの選定、浮浪者や日雇取ひようとりの誘拐、最低限の寝食の手配、彼らを使っての火床から地下炉に至る建造指示とその監督、燃料の収集と〝薪〟の加工、……。

 いずれも目立ちたがりの《猟奇博士》にとって地味で辛い仕事であった。

 彼は地下にこもっている間ずっと、誰かに己の偉業を打ち明ける日が来るのを夢見ていた。

 そしていま、その夢が叶った幸せを噛みしめていた。

 地味な仕事の成果を、秘されていた事業を堂々と明かせる喜びを。


 長話は〈結社〉の指示が意図するところに及ぼうとしていた。

「本計画は〈結社〉の宿望たる〈混沌なる黄金〉、その雄図ゆうとの第一歩となるのです。すなわち〈地下炉〉は莫大な動力を確保するにあたっての実測値を計測し――」

「猟奇閣下、それより先は禁則でございます」

 唐突に《無銘道化師》が口を差し挟む。

「なにを言うか道化師。良いところなのだ、邪魔するでない」

 勢いを止められた博士が食らいつく。

 地下から炎が威勢よく噴き上がった。

「本当に燃料をくべてるのかよ、地下から溶岩でも引きこんでるんじゃねぇの?」

「お前はちょっと黙っておれ! だいたいそんなものが地下を流れておったらこの場の全員がとっくに骨も灰も残さず焼滅しておるわ! 先ほどまでの説明を聞いておきながら、よくもぬけぬけとそんな間抜けなことが言えるものだな。黄口あくちも切れぬくせに!」

 博士は自分の前に立つ人形〈怯え〉が盾になっているのをいいことに、市谷が銃を向けていても一向に余裕な素振りで口角泡を飛ばす。

「あまり言が過ぎますと計画に支障をきたしますよ」

「あくちってなんだよ!」

「どうか《軍団卿》閣下の到着までとどめおきくださいませ」

「難しいこと言やぁ偉いわけじゃねぇぞジジイ!」

「ときに人形が一体しかおらぬようですが、増強した他の五体はいったいどこにおられるのでしょうか? 対《軍団卿》閣下に備えていずこかに待機させておられるので?」

「《軍団卿》が来るって決まったわけじゃねぇだろ!」

「いいえ市谷さま、絶対に参りますとも」

 楓を除く二人が《猟奇博士》に向かってのべつまくなし口疾くちどに喚きたてる。

 好き勝手に投げられる言葉を前に、《猟奇博士》のこめかみがひくつく。

 やがて博士は歯が欠けそうなほどぎりぎりと何度も強く噛みしめて、


「黙れ!」


 一喝。


「黙れ!」


 もう一喝。


「だまれぇぇっ!」

 噴火のごとき苛立ちをあらわにして髪をかきむしる。

「人形の一体は地下牢でこいつらに、残り一体は特高の男に、残りの二体は――」


 口にしかけて言いよどむ。

 ――ここで言うのは早くも切り札を切ることになるが……

 しかしわずかに逡巡する間にも怒りが際限なくあふれていき、

 ――ここで惜しんでどうする。引き当てた札を切る時はまさに今!

 すぐに心を決める。

 切り札さえあれば道化師の手を借りずとも計画は完遂させられる。

 切り札を使えば障害も難なく排せる。

 だいいち道化師がなんだ。

 大業の下地となる〈地下炉〉計画成功のあかつきには、幹部の席次にも挙げられぬ番外の生死など問題にもなるまい。

 ――それに道化師は軍団卿に殺されたことにすればいい


「――残りの二体はわたしが処理した。我が栄光のために、な!」

「なるほど、それは何とも――」

 口角を釣り上げる道化師に向かって、

「黙れ口を開くな!」と強気に制して、

「もはやお前の人形に頼らずとも、わたしはわたしだけの強大な戦力を獲得したのだ。これよりわたしへの一切の干渉も差し出口も認めん!」

 炎の向こうに立つ《無銘道化師》に強い怒りと憎悪をまっすぐ向ける。

 それは〈地下炉〉計画はじまって以来、《猟奇博士》が初めて道化師を直視した瞬間でもあった。いまの彼には市谷や楓はもちろん、道化師の横に立つ非力な老人も眼中にはない。

「〈地下炉〉計画は私以外の全てを捧げて完遂されるのです!」

 博士が宣誓する。一人も残さないと。


 ――連中の気が逸れてるいまのうちに!

 隙をうかがっていた市谷は機を逃さない。

 慎重に動き、人形を避けて博士に命中する射線を保てる位置にそっと移動を開始する。


「お前たち全員に消えてもらう」

 気味の悪い笑い声をたてて、《猟奇博士》は指を鳴らそうとする。

「……ん?」

 鳴らない。

 もう一度親指と人差し指を打ち合わせるが、やはり鳴らない。

「こうでございましょう?」

 代わって《無銘道化師》が指を鳴らす。


 ぱちん、と小気味よい音が響いた。


 するとは天から降ってきた。


 正しくは上階からだ。

 燃える炎の柱が貫く穴、そのわずか炎のかからない端の部分を、猛烈な火の粉や炎熱を浴びるのも恐れず、飛び降りてきたのだ。

 そいつは道化師と老人の背後に背を丸め、膝を抱きかかえたまま降り立つ。


 かちんきかちきんきかちんきかちきんきんかち……


 ただでさえかみ合わない歯車の音が、調整が狂ったかのように慌ただしい。

 そこに昆虫がぎちぎちと威嚇するような不快な音も混じる。

 噛みあうべき歯や溝がちぐはぐな組み合わせにより摩耗し、曲軸を強引に結び付けて動かしている音だった。

 それでもそいつはゆっくりと立ち上がっていく。

 ぎぎぎ、と体を軋ませながら。

「ほう、これはこれは」

 感興かんきょうをそそられた道化師が見上げたそいつは、彼より頭二つ分は大きい。

 といってもそれは道化師の背が低いからであった。

 老人は恐怖や得体のしれない者の突然の登場に驚倒してしまったのだろうか、あるいはもはや正気を自失してしまったのか、怒っているような、笑っているような、悲しんでいるような、はっきりしない表情を浮かべていた。


 そいつは人形と同じ詰襟を着用していた。

 が、これまでの人形と異なり、衣服はごわごわし、襟もよれて乱れている。

 誰かと直前までもみ合っていたようにも、急いで服を着こんだようにも見えた。

「うぅぅう」

 また、今までの人形がまったく発さなかった声を持っていた。

 いや、これは単に音とか呻きといった方が正確かもしれない。

「さぁ、やっておしまい!」

 興奮した猟奇博士が命じるや否や、その新しい人形は「ぉ、ぉ、ぉ」と震えた声を発し、道化師の胸めがけて腕を突き出した。

 小柄な道化師はよろめきもせず平行移動し、穴の上に体ごと押し出される。

 そして、まるで床が急に消えたかのようにそのままの姿勢で垂直に落ちていく。


「あれぇ」


 と、実に間の抜けた声が退場の言葉であった。

 そんな道化師の口元に、落ちていく間にも嘲笑が浮かんでいたのをいったい誰が確認できたろうか。


 炎が捧げられた生贄の出来をよみするようにまばゆく輝く。

 闇に雷光が明滅するように、たてつづけに二回、三回と閃光がほとばしり空間を満たす。

 あまりのまぶしさに、湧き上がる怒りを鎮めようと努めていた楓が現実に引き戻された。


「……な、なんなんですか一体」


 そうして楓も初めてそこに新たな人形の登場を認め、

「ぉお、おぉ……、ぉぉ……」

 と、声にならぬ音を発する人形と目があう。

 瞬間、ぞくぞくする寒気が臀部でんぶから背筋を駆けのぼり、脳天まで達した。

 相手は仮面をつけているが、見開かれた瞳孔は確かにこちらをとらえている。

 楓はそう直観した。


 新しい人形の仮面は〈喜び〉――いや、ただの喜びではなかった。

 顔の全てに満ちてこぼれる嬉しさ、人生の黄金期を極めた瞬間に心の底から湧きあがる声なき笑い、もっとも純度の高い喜びが、大きく見開いた瞳と大きく開いた口によって素朴に表現されていた。

 仮面の彫刻自体はお世辞にも上手いとは言いがたく、見ようによっては笑い狂っているようでもある。しかしそれだけ実直に最大限の喜びが表されてもいるのだ。

 いわば〈喜色〉とでもいうべき仮面は、従来の人形のそれに比べて、縁が乱雑に縫い付けられているのも特徴的であった。

「ぐぅぅ、あぁああ――」

 満面の喜びを浮かべた〈喜色〉はなんとも苦しそうに呻いてばかりだ。


「なっ……、仲間割れかよ」

 市谷は急激に変化した状況にどう対応するか混乱し、動きを止めていた。

 場は混迷し、何が原因となって爆発するかますます読めなくなった。

「なにをぼけっとしているのですか、ほら、やっておしまい!」

 じっと楓を見つめて動かぬ人形を博士が叱咤すると、〈喜色〉の呻きは「わぁぁ」という叫びに変わった。

 垂らしていた両腕をぐるりと左右に円を描くようにして振り上げる。

 その拍子に腕が老人に命中し、楓があっと気づいたときにはもう遅く、火床へ真っ逆さまに落ちていく。

 その間、老人はずっとほほ笑んでいた。


「おじいさん!」


 楓が悲痛な叫びをあげる。

 老人はもはや影も形も残していなかった。

 慌てて穴に近づこうとする楓だが、猛烈な熱気に遮られてしまう。

 ぎりぎりのところで膝を折って、乾きそうな目でただただ炎を見つめるしかできない。

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