第十七章『炉前にて邂逅』3
「巨大燃焼機構? えっと、すごくよく暖める、ということですよね」
「そんなことより何を燃やしてんだよ」
その場の受講者となった二人はいまひとつ〈地下炉〉の概要をつかめない。
「順に説明する! わたしの話は従順に聞け小童! 我が〈地下炉〉は東部市内に延々と熱を放射しつづける、まさに規格外の放熱機構だ。貴様らにもわかりやすくいえば、東部市の冬を暖かにしているのは、この炉の力に他ならない。そう、〈地下炉〉は《時計塔》の予測をも覆すほどの絶大な力を秘めているのだ!」
「なんと、まことでございますか」
道化師にまで合いの手を入れられた博士はますます気を良くし、
「いかにも。《時計塔》などわたしの敵ではない」
と、さらに調子づく。
「もぉっとも、《時計塔》の予測を狂わせるほどの放熱であるが、それ自体は炉の建造目的ではない。放熱は燃焼によって生じる副次効果にすぎん。〈地下炉〉は本来の役割に沿って燃焼機構としての機能を第一に設計されているからな。貴様らにその構造を詳しく説明してやってもよいが、どうせ半分も理解できないだろうから捨て置くとして、だ!」
「待ってくれ、それも教えてくれよ! お願いだよ」
市谷が懇願するように口を挟む。
さすがにわざとらしくて、引き伸ばそうとする魂胆がばれるのではないか。
市谷は我ながら気を揉むが、博士はともかく道化師も気味の悪い薄ら笑いを浮かべているだけであった。道化師の横の老人も無表情に口を閉ざしたまま立っている。
「んん? そうですねぇ、あの世に持っていくにはいい手土産になるでしょう。そうなると、ここに黒板がないのが悔やまれますが、まぁよい、耳の穴かっぽじって聞け」
時の
いよいよ大学の講師めいてきた。この場に大学に通える資格がある者は一人もいないが。
「燃焼を永遠に続けさせるには空気と燃料の割合を維持するのがとても重要なのです。まず空気についてですが、〈地下炉〉は最下層に大型の送風機関を置くことで横穴から半永久的に空気を取り込ませているのですよ。最初は湿った空気でよく燃えませんでしたが、一度空気が流入しはじめると、あとは送風機関の作用により吸引が連鎖的に引き起こされる。そもそも送風機関とは今風だがなんのことはない、ふいごのことだ。このふいご構造を用いた基礎的な構造を理論的に説明したのは中世の碩学者フルクランク博士であり――」
ふいごについて語りだすあたりから話が長く入り組んできた。《猟奇博士》は
――あれ、この感じ
相手の話を半分も理解できない楓だが、その口調、熱に浮かれた様子、どことなく執念じみた雰囲気から、あるものを嗅ぎ取っていた。
――この人の感情は炎から感じられた妄執と性質がひどく似ているような
話の内容はとっくにわからない。
しかし流れから
炎に映じている妄執はこの男の〝思念〟が
が、嬉々として語る蝙蝠仮面からは寂しさや悲しさが感じ取れない。
そちらはまた別の由来があるのだ。
それはおそらく……。
「――巨大燃焼機構は地下深くから地上のビルヂングまで
ようやく一区切り、《猟奇博士》はふふんと鼻を鳴らして息を継ぐ。
先ほどまで息切れを起こしていた様子はもはやどこにもない。
「さて、燃料の方ですが、……小童、お前の疑問を逆に聞いてやろう。この
「な、なんだろうなー。わっかんないなー。姉ちゃんわかる?」
「ぇえ? 私ですか?」
すっとぼけた市谷に突然話をふられ、楓は戸惑った。《猟奇博士》の講義にとうについていけなくなっていた彼女だが、何を燃やしているのかについてはほぼ当たりが付いていた。
もっともそれは市谷も同じだ。相手の話を引き延ばさせるために楓にふったにすぎない。
「え、えっと、その……」
地下牢でみた亡骸のこともそうであるが、楓としては炎から流出する人間的な感情、寂しさの発生源から、燃やされているものがなんであるかをおおよそ推察できていた。
――もしも地下の炎が〝思念〟を遷して燃え上っているのであれば
ただしそれは彼女の直感的な結び付けにすぎず、探偵のような推理の積み重ねでも《猟奇博士》のような科学的な説明でもない。
――第一そんなことを本当に実行する人がいるの?
また実際に目の前の男がそれを実行したなどと、楓は想像もしたくなかったが、
「ひ、と……?」
強烈な
「正解! 正確には人間の死体を加工した〝薪〟であるが――」
――なに? なにを、この人はなにを? なにを言って?
即答された瞬間、楓は本能的にその意味を拒みたくなった。
言っていることは理解できる。
だが、拒否反応が強すぎて理解したくないと思ってしまったのである。
なんとなくの予感はあっても、単なる想像に基づくものにすぎなかった。
しかし実際それが当事者の口から語られれば、途端に現実のものとして受け入れざるを得なくなる。それこそ真実の恐ろしい作用であった。
「一口に加工といっても多くの苦労があったのですよ」
楓の拒否反応を解きほぐすように、《猟奇博士》は丁寧な解説をつづける。
「――血抜き、内蔵の抜き取り、乾燥させて油にひたした布で包む、石炭をすりこむ……、燃えやすくしようと多くの試行錯誤を重ねた。だが、この試行の反復こそ科学の楽しみといえよう! そうして見つけだした絶妙の配合が酒精漬だ」
「なんでわざわざそんな手間のかかる残忍なことをしてんだよ。ここは帝都なんだぞ、素直に石炭やら木炭やらをくべて燃やしゃそれでいいじゃねえかよ」
《猟奇博士》は痰の詰まったような笑い声を立てて市谷を見つめた。
「浅はかで短慮、現代的な小童の案だな。いいや、案とも呼べないただの思いつきだ。帝都で石炭が採れるかね? 木炭を絶えず作れるかね? 帝都に最も普遍的にあるもの、それこそ人間に他ならない。浮浪者を材料にしたのは帝都内でもっとも手っ取り早く補充ができるほど数が多く、かつ消えた程度では警察も特高もいちいち捜査に乗り出してこないからですよ! 理に適っているでしょう?」
「どこが……、ですか」
楓が絞りだすようにしてつぶやくが、人格が歪みきった男の耳には届かない。
「〈地下炉〉計画には〝薪〟の作成法の確立も含まれていた。今後の大業の際にはもっともっと燃料が必要になると見こまれるのだから、〈結社〉としては人間薪の作り方を見繕っておくのも大事なのだろう。帝都中にあふれる人間を燃料に変えてしまう! 実に実に実に現実的ではないか!」
「どこがだよ」
市谷が吐き捨てる言葉も届きはすまい。
狂気に浸された男にとっては、己が信ずるものだけが現実だ。
「なんとでも言え。街の屑どもがいくら減ろうが知ったことではないし、悲しむ者もいない。わたしだって痛くもかゆくもない。誰も損をしないのだ! 政府の無能どもに提言したいくらいだよ、浮浪者のよい使い道があるぞ、とな!」
「浮浪者浮浪者って、てめぇ……、それでも生きてんだよ! 俺たちは、俺らは……、あいつらはなぁ! 帝都で一番の屑はてめぇだ、《猟奇博士》!」
あまりに独善的な言い分を前に、市谷はいつにも増して荒く昂ぶる。かつて街の浮浪孤児だった彼にとって、博士の言葉は聞き捨てならなかったのだ。
市谷は銃を博士の方に振り向けた。
また、その隣で静かに怒りの炎をたぎらせる者もいた。
――この人は、この人はなんて……、なんて……
形容する言葉さえ見つからない。
自制と自律を旨とする楓は怒りにまかせて動く人間ではない。
ただ静かに、蝙蝠仮面の
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