第十六章『並走する者たち』2
東部市駅の豪壮な駅舎が街灯の中にそびえていた。
坂下の眼には、昼夜を問わぬ駅舎の威風が《時計塔》の従者であるという自負の表れのように映る。さりとて帝都の主は東部市駅前からは見えない。
坂下はかなたよりの威光に
掘割の線路をまたぐ陸橋の街灯に坂下が差しかかったその時、
ぽぅ――
と、汽笛が甲高く轟(とどろ)き、街にこだまする。
すぐに旅路を刻みはじめたばかりの夜汽車が下を走り抜けていく。
旅立ちの白煙が陸橋や街灯ごと坂下を包み、白染めの幻想的な世界を生み出した。
坂下が吐き出す息も白の世界に溶けこんでいく。
やがて煙が晴れると陸橋の上におかっぱの少女が立っていた。
「人形、捕捉、一、四、配完」
「ありがとう
「い、え。《
「では、先に、行っ――」
「待ってください。一緒に行きませんか?」
ぐっと膝を折って前傾姿勢で身を屈める少女を坂下が制止して同行を提案する。
少女は屈んだままやや考えこんでから、
「坂下さんが、言うの、ならば」
と、まっすぐに立ち上がり、坂下の横に並んだ。
「君がこうして僕らの下に遣わされると意外だね」
「坂上さんはなにを、考えて、いるので、しょうか」
「心当たりは一つだけあるけど……、小鳥遊くんは理由を知っている?」
「いつも、坂上さんは、教えてくれま、せん」
「……そうか、あの人は君に対してそうだったね」
坂上は小鳥遊をぞんざいに扱う。
その扱いたるや、助手や秘書というよりも、いやいや引き取った妾腹のようである。
「そう、だった……?」
小鳥遊は探偵の助手をしていながら類推があまり得意でなく、他人の考えを把握するのが苦手だ。現に坂下の「そう」の意を汲み取れず、横目で彼を不思議そうに見上げている。
他方、彼女の身体能力はとびきり優秀で、坂下がふっと角を曲がってもついてくるし、走りながら会話を交わしても息切れを起こしていない。
「いや、そうかどうかは僕の類推にすぎない。当てずっぽうは止めよう。あの人の真意なんてわからないのだから」
坂上がなぜ小鳥遊を軽々しく扱うのか。
それはしかるべき時に坂上自身が告げるべきことだ。
目下の問題には関係がない。
「それよりも彼女が君を遣わした心当たりの方を教えよう。小鳥遊くんは市谷くんがどうしてさらわれたか見当がつくかな?」
「いえ、どうして、さらわれたので、しょうか」
「可能性としては僕たちを、いや〈軍団〉というよりは僕を引きつけるためかな」
「坂下さんを、引きつける……、市谷さんが助手だからです、か?」
「それもあるだろうし、彼が助手でないとしても、僕が目の前でさらわれた人を放っておけないのを見抜かれているからだろうね」
類推が不得手な小鳥遊であるが、考える材料が十分にあればさすがに相手の言いたいことを汲み取れる。
一に一を加えた解は導けるが、一に何を加えれば二になるのかを解くのが苦手なのだ。
しかし彼女は疑問に思うことはしっかりと問うて詰める。
それに応じてあげれば彼女もしっかり自分で考え、やがて物事を推理、判断できるように成長できるだろう。坂下はそう考えている。
だから青年探偵は可能な限り誠実に見習い少女の質問に答えてあげる。
本来の雇主である坂上は絶対にやらないであろう役割を。
「ただ、僕を引きつけるのが理由だとしても動機は不明だよ。探偵を引きつけておいてまったく別の場所で事件を起こすのなら、陽動作戦としての意味がある。だけど帝都には優秀な探偵がたくさんいるから、僕や一部の〈軍団〉を引きつけたところであまり大きな意味はない。坂上さんはそれに近い読みをしているようだけどね。《無銘道化師》が僕を罠にかけるために引き付けていると。それで僕を確実に始末できるのなら、市谷くんをさらうのは有効な手だ」
「そんな、すごい罠が、あるので、しょうか」
「仮の話だよ。だけど仮でも、その可能性がある以上は《軍団卿》として最大限に対応する必要がある。坂上さんはそう踏んだんだろう。だからだろうね、彼女が君を遣わしたのは」
「あ……、それ、が、さっき言っていらした、心当たり、です、か?」
「そうだ。すぐ自由に動かせる戦力を最大限に。あるいは坂上さんにはもっと別の思惑もあるのかもしれない。けれどそこまでは僕にも見通せない。それは〈結社〉についても同じだ。まったく関係がない別の理由があるのかもしれない」
「別の理由が、ある、かもしれない、ですか?」
復唱するように小鳥遊がつぶやく。
「うん、実は市谷くんはあんまり関係がないかもしれないんだよ」
「無、関係……?」
青年には少女の頭の上に疑問符が浮かんでいるのが手に取るようにわかった。
「小鳥遊くんは市谷くんがなぜさらわれたのを気にしているようだけれども、僕としてはもう一人をさらうのが本命で、市谷くんは『ついで』にすぎなかったと考えている」
「もう一人の、ついで……、そういえば、民間人の方も、さらわれた、と」
「よく思い出せたね」
「いえ、助手なのに、いまのいま、まで、てっきり、忘れて……」
「確か民間人がさらわれたことは、君が部屋に入ってきてからは僕が一度口にしただけだ。あれを思い出せるだけでも上出来だよ」
褒められると小鳥遊はふるふると首を横に振る。
とんでもないと謙遜し、照れているのだが、その表情はほとんど動いていなかった。
顔に出にくいのは表情がころころ変わる市谷とは対照的だ。
「さっきも言ったように、目の前で民間人――南海さんだけが
「でも、市谷さんが、さらわれて、いなかった場合、坂上さんは、坂下さんが動くのを、こうして認めた、でしょうか?」
「探偵協会を通していないから是認はしないだろう。こうして《軍団卿》として動いているのだって、助手の一人がさらわれるという事態に陥ったからの判断で」
そういう意味では、坂上が正式に《軍団卿》として動くのを命令する前の段階において、坂下が〈
その上で彼は虚偽の申告になるかもしれないという懸念を押して、坂下という個人よりも《軍団卿》神楽坂の威光を用いるのを選んだ。
もっとも坂下にも、それが後付けで正当化されるだろうという当てがあった。
「いずれの場合でも僕が現場に立つ《軍団卿》として解決に動くのは黙認するだろうけれどね。元はといえば《軍団卿》として人形を警戒していたさなかでの僕の失態だ。挽回はこの身をもって果たすしかないわけだから……、と話しこんでしまったね」
坂上が走る速度を上げる。咥え煙草で器用に喋る坂下の煙が後方へ尾を引いて流れていき、さながら蒸気機関車のようだ。
小鳥遊はしっかり坂下の隣に添いながら、
「ありがとう、ござい、ました。坂上さんとのこと、よく知ってい、るんですね」
「二人でやっていれば、好むと好まざるとにかかわらずそうなるよ。小鳥遊くんだって次第に市谷くんのことがよくわかるようになるかもしれない」
「そう、でしょうか」
「逆に市谷くんも小鳥遊くんに詳しくなる日だってあるだろう」
「それ、は……、市谷さんを、悲しませてしま、います」
小鳥遊にしては珍しく表情を曇らせるのであった。
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