ABT11. 消えた砂糖

(前編)

「なっ……ない! 砂糖がない!」

 開店準備中、カウンター内の食材の在庫をチェックしていたルピナスが素っ頓狂な声を上げた。床を掃除していたフランツは手を止め、カウンター越しに師匠の姿を確認した。収納に頭を突っ込んで上半身は見えない状態で、もぞもぞしている。もしカウンター内にいたら、思わず後ろから押し込みたくなりそうだ。その後が大変だが。

「どうしたんですか?」

「砂糖です! 昨日買った業務用の砂糖の袋、知りませんか?」

「いえ……裏に置いたんじゃないですか?」

 昨日は日曜で休日だったので、フランツは砂糖の行方を全く知らない。ルピナスは立ち上がって頭を抱えた。

「間違いなく、ここに入れたんです。今日はお客様が少なさそうだからジャムを仕込むつもりだったのに……置いていたイチゴがダメになってしまいます! もう業務用品のお店は閉まってるし。盗みに入られたんでしょうか? 嫌な予感がします……金庫は大丈夫だったのに、なんで砂糖なんか。今日は私の誕生日なのに!」

「とりあえず落ち着いてください。というか誕生日なら、もっと早く教えてくださればいいのに……。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 ルピナスは悲しそうに言った。あまり嬉しくなさそうなのは、番人だから、どうでもよくなっている部分もあるのだろうか。

「せっかくなんですし、ジャムはダメでもお祝いにイチゴを食べましょうよ。もしくはカクテルに使ってもいいでしょう? で、昨日は砂糖を使いましたか?」

「使ってません」

 ルピナスはまだ未練があるのか、再び収納扉を開けて中を探しまわった。

「やっぱり無い……ん?」

 カサカサと音がして、ルピナスは紙切れを引っ張り出した。

「何でしょうか、このメモ。『砂糖は頂いた。Has pumpy lamb kill siirr this daay?』デコボコの子羊は、きょーダンナを殺したか? これは一体……」

「何ですって? デコボコ?」

 フランツは紙切れを覗き込んだ。確かに、真新しい白い紙切れにはティタン語とアルビオン語が書き綴られている。

「なにかの暗号でしょうか」

「砂糖泥棒からのメッセージですよ!」

「砂糖なんか欲しい人がいますかね? ここじゃ、そんなに高くないですし。でも誰かが侵入したのは間違いないわけか」

 ルピナスは腕を組んだ。

「私たちに恨みがある人物の犯行に違いありません」

「恨みなら買っていてもおかしくありませんが、盗るなら、もっといいものがあるでしょう。銀食器とかチャイナボーンとか。イタズラじゃないですか?」

「何を言ってるんだ、ワトソン君」

 ルピナスは目をキラリと輝かせた。嫌な予感がする。

「はい?」

「これは事件だよ。何者かが侵入して砂糖と引き換えにこのメッセージを残したんだ」

「どうしました、師匠。キャラが違います」

「まさか君、アルビオンが誇る、かの名探偵を知らないというのかね? 」

「劇か小説の登場人物ですか? うちは娯楽に厳しくて……」

「君、それでも王国民か!」

 ルピナスに襟元を掴まれ揺さぶられ、フランツは音を上げた。

「そうですが、俺はアルビオン人じゃありません! なんだか知りませんが、どうやって犯人はここに入ったんでしょう」

 約一時間前に二人がここに来た時、入口にも裏口にも鍵はかかっていた。窓は、はめ込み式で、割られた形跡もない。

「ヘアピンで鍵を開けて閉めることって出来ますか?」

「閉めるのは無理だと思います」

 鍵を持っているのは、ルピナス、フランツ、ティスの三人だけだ。アーノルドは出張中で鍵を返している。ティスは有給休暇だ。

「ティスは、こういうふざけたことはしないですし……」

「師匠、こういう場合、犯人はまだ現場に潜んでいる可能性があります」

 フランツは声のトーンを落とすと、腰のナイフに手を掛けた。

「な、なるほど」

 ルピナスは緊張した面持ちで室内を見渡した。

「裏を見に行きましょう。万一の場合、一人で襲われるより犯人を逃がすほうがマシなので、一緒に来ていただけますか」

「分かりました」

 二人は裏の部屋に静かに入った。人が隠れられるのは、お手洗いとシャワールームくらいだ。だが、結局誰も見つからなかった。

「どうなってるんでしょう……通気孔から逃げるなんて無理ですし」

「昨日、誰かがカウンターに入る隙はありましたか?」

「いえ」

 ルピナスは、ふとシャワールームの床に目を落とした。そこには別の紙切れが落ちていた。

「これは?」

 紙切れには『ヒント:ブラックコーヒー』と書かれていた。

「むむ、さっきの暗号のヒントでしょうか」

 ルピナスは紙切れを机に並べて考え込んだ。時計を見上げると、あと十分で開店時間だ。もっと調べれば分かることもあるかもしれないが、重大犯罪というわけでもない。市警に届け出ても、ふざけた暗号と共に砂糖が盗まれた話など、一笑に付されるだけだろう。

「師匠、先に開店準備をしましょう。この謎、お客様にも協力してもらえば解けるかもしれません」


 開店直後、ヘッケルが現れた。

「ルメリ、ヘッケルさん。珍しいですね、お一人ですか?」

「ああ、家内は遅れて来る」

 ルピナスとフランツは顔を見合わせた。ヘッケルとステンの組み合わせなら、暗号の謎を解けるかもしれない。彼は帝国軍随一とも言われる天才(変人)プログラマー、ステンは十ヶ国語を操る通訳者だ。ヘッケルは暗号が書かれた紙を見て、眉間に皺を寄せた。

「大量の砂糖が急に必要になった、近所の子どものイタズラということは無いかね?」

「クリスマスまではまだ時間もあるし、ティタンでは、お菓子作りまでする人はそんなにいないかと……、値段も高くないですし」

 三人は、ブラックコーヒーとはどういう意味かを考えることにした。

「ブラックは苦いし、好きじゃないです」

 ルピナスは顔をしかめた。ヘッケルは、徹夜するときには飲むが、と言う。

「ブラックコーヒーといえば、ティスじゃないか?」

「そういえば……やっぱりティスの仕業? でも、この暗号と何の関係があるんでしょう」




***


今回のBGMは、十二国記 夜想月雫~Piano Memoriesより、梁邦彦/楽光 です。

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