(4)

「違います! 俺が師匠にいじめられてるだけですよ!」

「そうか、まあ何でもいいよ。ルピナス、これだけあれば今夜貸切にしても採算が合うだろ?」

 ルピナスは、カウンターに出された十枚の五千ルブ札を睨みつけた。ルブは帝国の通貨で、ティタンの安い飲み屋ならビール一杯を約三百ルブ程度で飲める。しかし、五万ルブはフランツの月給の約四分の一に相当する。気軽にポンと出せる額ではない。

「奢っていただく必要はありませんよ」

 師匠は腕組みしながら、皇帝フリードリヒ二世の横顔が印刷された札を見下ろした。

「お給料が足りないだのなんだの言ってるくせに、そんなに出してどうするんですか」

「酒とチョコと本以外に使いみちがないから」

「お代は、きちんと計算した上で頂戴します。私にはアストラさんとの約束があります。明日必ず、遅れずに仕事に行って、終業まで寝ずに働くと約束できますか?」

「うーん」

「うーんじゃない!」

「いつものことだから大丈夫だよ。バレないバレない」

 ルピナスは声のトーンを真面目なものに切り替えた。

「レオンさん、本当は飲む理由を作りたいだけでしょ? またドクターストップがかかりますよ」

 艦長はバツが悪そうな顔になる。

「誰がそのことを? それもブレンか? あのクソ野郎……今度アストラからの愛のメッセージを衆目にさらしてやる」

「性悪ですねえ、頭の使いどころを間違えていますよ」

「僕の頭なんだから、どう使おうが僕の自由だ」

 ルピナスは、誰かさんと話しているときと同じだとボヤいた。

「やれやれ、屁理屈が得意なお二人で、どうぞお好きにやっちゃってくださいな! どうなろうが知りませんよ。私は止めましたからね。救急車を呼ぶような事態になったら、迷惑料として三百万ルブを請求します」

「そ、それはボーナス抜きの僕の年収くらい……」

「もっと貰ってるでしょ! お酒とチョコレートと本に消えてるだけで!」

「ぐっ」

 まるで母親に叱られている息子だ。フランツは必死で笑いをこらえた。母親もとい師匠は、冷めたトーンで続けた。

「それでは私は、ここでお二人の泥沼試合を横目に、今月の締め計算の準備をさせていただきます。どちらが真のヘタレかを決める戦いですね。勝者には後日、キング・オブ・ヘタレの称号と、お名前をプリントしたマイグラスを差し上げます」

 二人は同時に、「い、要らない……」と呟いた。未成年の店主は、自分より一回り以上は年長の男二人を前に、凶悪な笑みを浮かべた。

「あら、いいんですか? 当店のマイグラスを手にできる機会は滅多にありませんよ。さあ! ぐずぐずしてないで、さっさと始めちまいな、野郎ども!」


 負けられない戦い、だったのだが。

 フランツは生まれて初めて、酒を飲んで吐いた。耳のあたりがガンガンするうえに、手が震えている。対する艦長は、隣の席で余裕の表情……ではなく、考える人の銅像のような格好で壁にもたれかかって頭痛と戦いつつ、かろうじて意識を保っている。

 ルピナスは呆れきった顔で首を横に振りつつ、二日酔いに効くというソフトドリンクを作って二人に出してくれた。何を混ぜているのか分からないが、見るからに危険そうな蛍光ピンクの飲料を口に含むと、子どもの頃に味わったことがありそうな、どこか懐かしい滋味が口の中に広がった。

「美味しい……」

「そ・れ・は・舌がおかしくなっているせいですよ。そのシークレット飲料に惚れ込んだバカの面白い話がありますので、そのうちお聞かせします。作れるようになっていただかないと、いけませんしね」

 艦長が訳知り顔で微笑むのを横目で捉えたフランツは、問いただそうとしたが、また吐き気に襲われて口を押さえた。

「出すだけ出したほうが、ラクになれるよ」

「うっ……あなたは、そんなご経験がなさそうじゃないですか。いつも寝てらっしゃるのは、狸寝入りなんですか?」

「いや、眠いのは事実だ。頼む、君の失恋話でもしてくれ。じゃないと本当に今すぐ寝そう」

「絶っ対にしません。あなたにだけは、しません」

「なんで? 嫌われてるなあ。何か余計なことを寝言で言っちゃったなら謝るよ」

「いや、たとえ謝られてもお断りです。まず喋り方がむかつくんです! それからスカした態度も卑屈な物言いも気にくわない!」

 すかさず師匠が口を挟んだ。

「全部、ご自分のことじゃないですか」

「ちがいます! シャロンさんは、なんであなたなんかを! ちょっと優しいからって!」

 心外なことに、ルピナスと艦長は揃って笑い声を上げた。

「酔った勢いで僕に当たるなよ。吐きそうな顔でキレるな。面白いな、君は。……本当、僕も困ってるんだ。あの子を幸せにしてやってくれよ。どこかツボを押したら記憶が吹っ飛ぶみたいなの、暗殺術にないかな?」

「あら、もしあったら、レオンさんにも使ってあげますね」

「いいって」

「遠慮は要りません。どうなんですかフランツさん」

 あるなら、すでに使っている。……もちろん冗談だが。

 暗殺術という言葉を聞いて、頭の芯がスッと冷えた。

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