(9)

 昇降口に向かって歩いていくシャロンは、すれ違いざまに艦長のほうを見て、それから目を逸らした。

「いつの間にそんなに強くなったんだ」

「レオンが私を置いてった間に決まってるでしょ」

 彼女は先に階段を下っていった。船員たちも、ぞろぞろと後に続く。フランツもそのまま続いて下りようとしたが、艦長に「フランツ君、で合ってたかな」と呼び止められた。

「何でしょうか?」

「色々と迷惑をかけるかもしれないが、あの子のことを少し見てあげてくれ」

「なぜですか?」

「僕がしてやれることは少ないからさ。これから忙しくなるしね」

 フランツは、とりあえず頷いた。艦長はわずかに目を細めた。

「君、もう一度キャシーのもとに戻りたいかい?」

 フランツは、穏やかだが感情の読めない瞳を見つめ返した。少し考えてから、キャシーとはクリステヴァ王国が女王、キャサリンのことだと思い至った。わざわざこんなことを口にするということはつまり、彼はこう言いたいのだろう――自分が何者なのか薄々気付いているだろう、こちらも君のことを知っているぞ、と。フランツは少しだけ語気を強めて返事した。

「分かりません。どのみち今は戻れませんから」

「そうか。もしもここで働けなくなって困ったら、うちにおいで」

 フランツはかぶりを振った。

「それは難しいです。それよりシャロンさんを連れていってあげてください。彼女にはあなたが必要です」

「それは出来ない。それに、僕に依存してるうちは尚更ダメだ。……じゃあ、今日はこれで失礼するよ」

「お一人で大丈夫なんですか? あなたは……」

 あなたは、選帝侯の跡継ぎで、かつ皇族の一人ではないのか。彼は口元に笑みを浮かべた。

「今日はブレンがいるし、銃の心得なら多少はね。剣はからっきしなんだが。それじゃ、おやすみグッド・ナイト

 フランツは階段の闇に呑まれていく背中を見つめていた。シャロンが追いかけてきた背中は、泥酔していた男の背中とはまるで違って見えた。それは何かもっと別の――自分が置き去りにしようとしてきた世界に身を置いていて、背負いきれないものを抱え込んでいる男の背中だった。

 なぜかその時、シャロンだけでなくこの男とも、切っても切れない糸で繋がれてしまったような気がした。そして、その予感は当たっていたのだった。



***


(7)(8)(9)のBGMはグリンカ(バラキレフ編)/ひばりです。

候補曲がたくさんあって迷いましたが、美しさの点でこの一曲は他の追随を許しませんでした。

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