(5)
「オバケちゃんの正体は艦長さんで、レオンさんです。ね?」
艦長はシーツを脱ぐと、静電気で髪を乱したまま、「やあ」と言って微笑んだ。シャロンは硬直している。たっぷり十数える間、彼女は彼を凝視していた。
「随分大人になったね」
「……嘘でしょ?」
アルビオン語で小さく言うと、彼女は席を立ち、彼の方につかつかと歩み寄った。
「レオン……」
店員と船員たちはハラハラしながら次の行動を見守った。彼女はいきなり彼の胸倉を掴むと、アルビオン語で怒鳴った。
「どこに行ってたの!? 私を置いて!」
「すまない。全部は説明できないんだが……どうしても帝国に行かないといけなくて」
「うっ……レオンの馬鹿。阿保」
彼女は嗚咽しながら、彼に抱きついた。彼は逡巡しつつ、頭と背中に手を回した。船員たちはホッとして拍手し始めた。二人は歳の離れた兄妹と言っても通りそうだが、共通点は全くといっていいほど無かった。
「こないだの金曜は、寝てたせいで気付かなかったんだ、ごめん」
「あれ、レオンだったの? なんかもう、今もそうだけど、くたびれてるじゃない」
「そりゃ僕は歳をとって老ける一方だからなあ。君は綺麗になったけど」
シャロンはその一言で耳で真っ赤になる。
「な……」
「やっぱり母親似だね。いや、鼻筋はアーサーに似てるかな」
「そ、そんなことより、今何してるの。艦長って何」
「帝国軍の仕事だよ。もう国には帰れないんだ。死ぬまでね」
シャロンは、再びはらはらと涙を流した。その横顔を見てフランツは悟った。いくら鈍くても分かる。これは恋する乙女の表情だ。
「そんな……」
「ごめん。でも、ここでまた会うことなら出来るからさ」
「……私がどうこう言って、どうにかなるものじゃないよね」
シャロンは一歩後ずさると、無理に微笑んでみせた。
「ありがと、ルピナス。気付いてくれて」
「いいえ」
「ちょっと頭を整理してくる」
シャロンがそう言って外へ出る扉に手を掛けると、ルピナスはフランツにハンカチと水のボトルを押し付け、屋上で風に当たってこさせるようにとカウンターを追い出した。フランツはシャロンにハンカチを手渡すと、手を引いた。
「どこへ行くの?」
「屋上です。少し休みましょう」
シャロンは無言でフランツの後をついてきて、屋上の端まで来ると、顔を覆ってまた泣き出した。ここからは、ネオン街が一望できる。仮装行列の一団が大通りを練り歩くのが見え、かすかに陽気な音楽が聞こえてくる。
フランツは、こういう時に何を話しかけるべきか、話しかけずに一人にする方が良いのか分からず逡巡した。が、結局、彼女の隣に立って街を見下ろした。
「生きてるって分かって、会えただけで十分なはずなんだけど」
「はい」
「ずっと探してて、それで……また元に戻れるって、心のどこかで信じてたんだ」
「……はい」
「これから、何を支えにやっていけばいいの」
フランツは夜の街を見下ろしたまま、「会えないほうが幸せでしたか?」と訊いた。彼女は顔を上げた。
「そんなこと、ない」
鼻を詰まらせた声でも、彼女の言葉は真っ直ぐだった。
「あなたは、たぶんですが、今までずっと一人で生きてきましたよね。だから、何も変わりませんよ。信じていた希望が消えても」
捉えようによっては冷たいことを言っていると分かっていた。誰だって頭では分かっていることだ。
「希望の光が消えた時こそ、見えていなかった弱い光が見えるようになるかもしれません」
自分に言い聞かせるように、フランツは言った。彼女の頰を涙が伝った。
「私も帝国に行きたい。親族がいるじゃない」
フランツは首を横に振った。
「それは簡単に出来ることではないと、頭では分かっていらっしゃるはずです」
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