662・命の選択
歯痒い思いをしながら空に浮かぶ建造物を眺める。私にもし空を自由に飛べる魔導があるなら、すぐさまに発動させてあの忌々しい物体に突撃していただろう。
誰もが簡単にイメージ出来るゆえに難しい。竜人族みたいに竜の姿に変われたり、元々飛行能力を手に入れられる血を持っていない人には難しい……というか今はまだ不可能。つまり私達があの遺跡を追いかけるには町に戻ってワイバーンを借りるしか手段がないという訳だ。
「くそ……!」
舌打ちと共に聞こえる苛立ち。全員に似た感情が広がっていって、それでも呆然と立ち尽くすまま。
頭の中でどうすればいいかわからなくなる。
「ティア様、魔導ではどうにかならないのですか?」
期待を込めたジュールの想いに私は首を縦に振れなかった。確かに最も強い魔導ならアレをなんとか出来るかもしれない。だけど射程に少し不安が残る。【プロトンサンダー】も減衰する程の距離で当たる事が出来るか? と問われれば難しいと答えるしかない。それくらい絶妙に離れている。もし失敗したら――そんな感情が湧き上がるくらいにあの魔導のコントロールには自信が持てなかった。
唸りながら悩んでいるとジュールも悟ったのか顔を俯けてしまう。分の悪い賭けになるかも知れない。それでもやらなければ――覚悟を決めようとしたその時声が聞こえた。
「……あれが浮上しているという事は、食い止められなかったようだな」
声のする方向を向くと、木に寄りかかって苦しそうにしているクロイズが空を見上げていた。いつもだったら気付けていたはずなのに今まで全くわからなかった。
「クロイズ……。いたのか」
「はは、当たり前だ。万が一汝らが失敗した場合、もう一度あの姿に戻る必要があったのだからな」
クロイズの軽い調子にヒューの顔つきが険しくなる。最後の手段を残した。そう言われても彼が再びあの姿になれば恐らくもたない。それをヒューもわかっているから厳しい顔をしていた。
「ははは、そんな顔するな。汝らが落とさねば、あれはあらゆる国を蹂躙しよう。それだけの力は宿している」
「なら今すぐワイバーンがある町まで行けばいい。わざわざお前が犠牲になることじゃねぇ!」
荒ぶるヒューに対して笑顔のままクロイズは木から離れて私達に真正面から向き直る。その歩みはふらつき、よろよろと危うい。明らかに無理をしているはずなのに顔には一切出していない。
「ここからどれだけ時間が掛かると思っている。その間に町が一つ焼かれるだろう。大地は荒野と化して生物が営む事が出来なくなる。例え一部でもそんな地獄を作り上げてしまえば後悔を背負うことになるぞ?」
次第に笑みがなりを潜めてまっすぐな視線が私達を射抜いた。まだどんな攻撃をしてくるかわからないのに彼にはあれがどんな惨状を招くか理解しているみたいだ。
「……だからって――」
「ヒューよ。選択の時なのだ。先の短い偽物の命。これから無数の未来を紡ぐ命達。どちらが尊いか。自明の理ではないか」
子供に諭すように優しく話す。だけどその当然というのは彼の中だけで、私やヒューは納得していない。
……それでも、彼は曲げるつもりはないのだろう。その目には決意に満ちていて、他人の説得では決して折れない覚悟を感じた。そこまで思っている彼に私の安い言葉はきっと届かない。
「貴殿にはわかるだろう? 今何が一番大切かが」
クロイズの問いかけをきっかけに私の方に視線が集まる。痛いほど向けられたそれらは私の言葉で全てが決まる事を嫌になる程教えてくれていた。自然とため息も深くなるというものだ。
「はぁ……折れるつもりはない。でしょう?」
「その通り。時代の流れに介入する事は本来なら出来ない。しかし、我はこの世界を愛している。偽りの器だからこそ、汝らの力になれるのだ。ならば……する事は一つ」
隣にいるジュールが泣きそうな顔をしている。多分、雪風も似たような感情を抱いているのだろう。納得できないであろうヒューの方から舌打ちが飛んできた。
「なにそう悲しむな。あるべき姿に帰る。それだけだ。それに……この器は些か小さすぎる」
「……わかった。これ以上何も言わない。だから、ヒューも。いい?」
視線を向けるとヒューは不服そうに顔を逸らした。言いたいことは山のようにある。だけどその時間は残されていなくて、自分では説得する事が出来ない。それを彼もわかっていた。
「聞きたいことがあるといったはずだ」
「済まないな。その約束は守れそうにない」
恨めしげに訴える台詞も死を覚悟したクロイズには届かない。苛立ち地面を蹴り上げて後ろを向いた彼はそのまま黙ってしまった。
「ヒュー……」
雪風の呟きに反応しない彼にかける言葉が見当たらない。気持ちが整理できないのは仕方がない。でもそれを待ってあげる時間も余裕も今の私達にはなかった。
「準備はいいな?」
私は雪風とジュールの顔を見て静かに頷く。覚悟を決めた彼に今の私が出来る事――それは期待に応えてあげる事。それだけだった。
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