571・気付いたその先(ファリスside)
ファリスが気付いた時にはどこかの宿だった。何故自分がこんなところにいるのか全く理解出来ず、寝起きの頭を必死に巡らせる。彼女が覚えているのは竜のゴーレムを倒した時にふっと緊張の糸が切れて――その後意識が深い海の底に沈む様に消えていった感覚だけ。
「ここは……?」
後の事を覚えていないのだから、仕方がなく現状を受け入れようと周囲を軽く見回す。最初は全く見慣れない場所だと思っていたが、よくよく見てみるとそこはベルンが押さえていた宿の最上級の部屋の一室だった。数日寝泊まりしていたからこそ気付けたのだが、一度使っていただけだったら全く気付かなかっただろう。
(多分倒れて……そのまま意識を失って……って事だろうけれど、どれくらい時間が経ったんだろう?)
ある程度状況が飲み込めたファリスが次に考えるのはどれほど気を失っていたか……という事だった。戦場から離れたこの場所にいるという事は戦いは既に終わっているという事は気付いたが、それ以上は未だ不明のままだった。
その疑問を解消するためとでも言うかのように扉が開き、湯の張った桶を持ったククオルが入ってきて……ファリスが目を覚ましているのを発見して驚きの表情を浮かべる。
「ファリス様!?」
「……おはよう」
一瞬桶を落としかけるがなんとか事なきを得て、急いで駆け寄ったククオル。手近な場所に桶を置いてファリスの顔を確かめるように触る。いきなり触れられたことに驚いたファリスだったが、しばらくの間じっと少しくすぐったそうに目を細め、やがて迷惑そうな顔をした。
「……べたべたと触りすぎ」
「あ、す、すみません」
つい触ってしまったククオルは自分のしていた事に気付いて慌てて手を離す。ため息を吐いたファリスはククオルの様子から自分が長い間気を失っていた事を自覚した。
「どれくらい眠ってた?」
「大体四日くらいです。あの竜を倒したと同時にいきなり倒れたので本当にびっくりしました。一瞬目を覚まさないのではないかと……」
若干目が潤んでいるククオルの言葉に彼女がどれだけファリスを心配していたか伝わっていた。
「ありがとう」
今までそんな言葉を口にした事は少なかった。心底となれば手で数える程度だ。そんな彼女だが、今は心配してくれているククオルに自然と感謝の言葉が出てきた。
「いいえ。目を覚ましてくれて本当に良かったです」
ふっと僅かに頬が緩むのを感じるが、今はそれどころではないとすぐにいつものファリスに戻った。
「それで、戦いはどうなったの?」
ファリスの問いかけに多少残念そうに笑みを見せたククオルは同じように表情を引き締め、報告を始めた。
「あのゴーレムなのですが……どうやらダークエルフ族から譲り受けたものみたいです。起動していない状態だったらしく、最終手段として用いるように厳命されていたと」
「最後は純血派諸共殺し尽くしてくれる手段ってことね。念入りだこと」
劣勢に追い込まれれば例えどんなに危険であっても一発逆転のチャンスを作ろうと手が伸びる。敵味方無差別に殺す兵器ならではの運用法だ。純血派が全滅したところでダークエルフ族には痛くも痒くもないのだから。
「あの竜が壊れた途端、傭兵側から自分達の雇い主と引き換えに戦闘を止める事を提案されたのでそれ以上に被害が出ないで済みました」
「随分と潔いのね。まあ、自分達まで巻き添えにされたら冗談じゃないのだろうけど」
あくまで金の為に戦っているのだから雇い主側が暴走すれば簡単に裏切る。死んでしまえば金など貰っても無意味なのだ。
「それでファリス様が目を覚まされてから改めて王都防衛に向かう事になったのですが……。大丈夫ですか?」
心配している瞳に大丈夫だと言い聞かせるように頷いたファリスだったが、自分の体調はよく理解していた。何が欠けていて、そこにぽっかりと穴が空いている事に。
「魔力の回復は後二日くらいあれば問題ない。多分王都に着く前までには回復しているはず。だから王子にはそう伝えて」
「……わかりました」
何かを感じ取ったククオルは、深い事は聞かずに頷いた。
その後、お湯で身体を拭いてもらい、ククオルが立ち去って自分一人。ファリスは自分が喪失したものがなんであるか理解しているように呟く。
「【神偽崩具『ヴァニタス・イミテーション』】」
普段であれば瞬く間に展開されるそれは、なにも形取る事はない。【カエルム】まで発動した時はその後三日間使用不可能になるが、ククオルの言葉が真実ならば既にその制限は過ぎていた。となれば――
「無くしちゃった……って事かな。喪失するなんて聞いたこともないけど」
自分を模る半身を失ったような痛みを感じ、どこか寂しい笑みを浮かべる。限界を超えて酷使した結果、彼女の剣は跡形もなく消え失せた。それでも彼女自身が無事なのは所詮偽物でしかなかったという訳か。
乾いた笑いを浮かべ、悼む感情が湧き上がってくる。
自らの一部を無くした痛みがいつまでも彼女を苛み――それでも前を向けと訴えるようだった。
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