80・吹っ掛けた喧嘩

 グルセットは泊まらない方が良いと言ってくれていたけど、ここでまた放り出されたは、本当に行くところがなくなってしまう。そんな事になったら、野宿確定。それだけは避けなくてはならない。


 そう思って必死に説得して、なんとかここに泊まることは出来たけど、あれで断られたらと思うと……冷や汗が流れそうになった。

 何はともあれ、無事に宿に泊まることが出来た私達は、『踊る熊の花蜜亭』で一晩を明かす事になった。


 ――


「……悪いな。出来る限りもてなしてやるって言ったはずなんだが……」

「事情が事情でしょう? 仕方ないのだから、そんな顔しないで」


 朝、目が覚めて二階の部屋で身支度を整えた私が一階の食堂兼受付に降りたと同時に飛び出してきたのは、グルセットの謝罪だった。

 私自身、わかって泊まることを決心したんだから、今更何を思うところもない。食事だって、外で食べれば気にする事はないのだから。

 ……まあ、王族がこんな場所に泊まったなんて噂流されてたらちょっと困る。それくらいだ。


「エールティア様、おはようございます」


 片付けるのを手伝っていたジュールは、私の姿を見つけて少し嬉しそうな笑顔を浮かべながらこっちに近寄ってきた。前はメイド服を着てたけど、今は私服を着ている。ほんのりとピンク色のワンピースで、腰に白い布を巻いてリボン結びしているところとか、結構可愛らしい。


「すぐに着替えますから、少々お待ちください」

「ううん。偶にはメイド服以外でいなさいな。その姿、とっても似合ってるしね」


 私の言葉にうっすら頰を赤くして照れてるジュールを横目に、エーレンの姿がない事に気がついた。


「あれ、エーレンは?」

「まだ寝てる。よっぽど疲れてたんだろうよ。もう少ししたら起こすから、それまでは、な」


 グルセットの顔には、少し暗い影が差していた。エーレンはまだ幼くて、母親が必要な年頃だ。それを突然奪われたら、寂しくもなるだろう。そんな事を考えていた時、突然扉を蹴破るような音が聞こえてきた。


 不快な音に、入口の方に目を向けると……そこには明らかに不愉快になりそうな悪魔族と魔人族の集団がいた。


「てめぇら……!」

「んー? グルセットじゃねぇか。まぁだいたのかよ!」

「当たり前だ! ここは俺とルーナの宿だ!」


 先頭に立っていた悪魔族の男に怒号を浴びせたグルセットだけど……それだけの気合いを込めた声はあの集団には全く響かなかったようだ。むしろ小馬鹿にした笑みが満ちていた。


「はははは! なぁグルセット。お前も気付いてるんだろ? てめぇの大切なモン、取り戻したかったら一つしかないってな!」


 高らかに笑ってる悪魔族の男は、挑発するような視線でグルセットを見下している。

 見るからにおつむの足りなさそうな相手だけど……さて、どうしようか。


 多分、ここで派手に暴れて、最後の客になる(かもしれない)私達を追い出そうとする魂胆か……いや、向こうにグルセットの奥さんが、いる可能性を考えると……こんなに短絡的な行動に移るだろうか?


 考えられるのは、目の前の男が功を焦って飛び出してきた事くらいかな。大して役に立たない存在だろうし、切り捨てられるのは目に見えてるけど……これは少しだけ、チャンスなのかも知れない。


「俺はな、ランジェス様の手間を少しでも省いて差し上げる為にこうして邪魔くさいゴミを片付けてるんだよ。わかるか? あ?」

「どっちがゴミなんだか……」

「ああぁ?」


 敢えて聞こえる程度の呟きをしてあげると、予想通り頭の悪い声をだして私を睨んできた。

 ここまで思った通りだと、笑えてくる。


 グルセットとジュールは、はらはらとした様子で私を見守っている。


「嬢ちゃ――」

「ゴミをゴミと呼んで何か? 有象無象の分際が、あまり調子に乗らない方がいいわよ?」


 こういうのは適当に馬鹿にして挑発しておけばすぐに乗ってくる。敢えて向こうと同じ土俵に降りてあげる事。それが大切なのだ。


「あんだとコルァッ!」


 わざわざ私に向かってくるのはいい度胸だけれど、それがどういう結果を招くか全く理解できていない。


「お前こそ、あんまり調子に乗るなよ? その身なりから見るとお貴族様なんだろうけどよ、大した従者も連れてないところからすると、どうせ貧乏貴族が精一杯強がってるだけだろうが!」


 私に掴みかかって怒鳴り散らしてくる馬鹿に向かって殺気を強めるジュールに対し、敢えて抑えるように手で指示する。困惑した様子で私を見てくるけど、大丈夫。これは予定通りなのだから。


「そう思うのは勝手だけれど、自分がした事に対してしっかりと責任が取れるのかしらね? 私に手を出せばどうなるか……」

「はん、脅すつもりかよ。そっちこそ、俺達に逆らって良いと思ってんのかよ? 俺達の後ろにはなぁ、ナッド伯爵様が控えてんだぜ?」


 ナッド伯爵って……確か、ティリアースの貴族だったはずだ。

 なんでこんな連中に……とも思うけれど、あちらの事情を知らないのだから気にしても仕方ない。


 まず、今やるべき事をやる。判断できない事は、後でゆっくり決めればいい。

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