78・踊る熊の花蜜亭
二時間経つ前に噴水広場に戻った私達は、適当に時間を潰して、ジュールが来るのを待つ事にした。
幸い、エーレンを狙ってくるような輩は現れなかったから、じっくりと彼女と遊びながらジュールを待つことが出来た。
「エールティア様!」
しばらくお喋りしながら周囲を観察していると、ぱたぱたと駆け足で走ってきたジュールが姿を現した。
彼女の様子を見ると……どこか落ち込んでいるような表情をしていて、宿を見つける事が出来なかった事がすぐに分かった。
「えっと……エールティア様。その子は…….?」
「この子はエーレン。宿屋な娘で、私が悪魔族に絡まれてたところを運良く助けてあげた……といったところね」
「よろしくね!」
名前を呼ばれたエーレンは、元気よく返事をしてくれた。
ジュールはいまいち理解してないみたいだけれど、それは仕方ない。
「この子の親がお礼に一晩泊めてくださるそうだから、これ以上宿の心配はしなくても大丈夫よ」
「……そうですか。それは良かった」
ジュールに伝えたかった言葉を口にすると、彼女は心底良かったって言いたげな顔で安堵していた。
彼女自身の成果が芳しくなかったから、尚更なんだろう。
「えっと、エーレン……さん。私はジュールと申します。よろしくお願いしますね」
「うん! よろしくね!」
ほっとしたのか、最近見せていた暗い雰囲気の顔が、少し緩んだ優しい表情になっていた。
「それじゃあ、早速行きましょうか。エーレン、案内してくれる?」
「任せて! ちゃーんと連れて行ってあげるからね!」
元気に駆け出していくエーレンの後をゆっくりと追うように私達は歩き出した。
空の方もすっかり夜色に彩られていた中、エーレンに急ぎすぎないように注意しながら歩く道は、どこか心安らぐものを感じる。
だけど、いつまでもそんな感情を抱いている訳にはいかない。道案内を彼女に任せたグルセットの気持ちを
「ジュール。エーレンがもし襲われたら、真っ先に助けてあげてね」
「ですが、エールティア様……」
「グルセットは――あの子の父親は、その危険性がわかった上で私達なら任せて安心だと思ったから、道案内を付けてくれたのよ。それなら、私達もそれに応えないとね」
ただ道案内させるだけなら、グルセットでも出来ただろうし、最悪大まかな地図を書いて渡すとか、店名だけ言って、後は誰かに聞いてくれと言われてたかもしれない。
だから、わざわざエーレンを付けてくれた彼の好意を踏みにじるような真似はしたくなかった。
――
「ただーいまー!」
結局、私が危惧していた事は起こる事なく、無事に宿屋へと辿り着いた。
拍子抜けするほどに簡単だったから、あの時襲われた事が嘘なんじゃないかって思うほどだ。
「……『踊る熊の花蜜亭』」
ジュールがぼそっと呟いた言葉のせいで、私の頭の中では、小さい熊が蜜を舐めて小躍りするようなイメージが流れてきてしまった。
なんとも可愛らしい光景だけれど、そんな妄想にいつまでも囚われてる場合じゃない。
エーレンが案内してくれた『踊る熊の花蜜亭』は、一般的な宿屋みたいで、淡い黄色で色付けされてる建物は、蜜をイメージしているみたいだ。
でも、入り口の方はぼろぼろにされてる。壁は何かで壊された跡があって、修復されて不格好だし、花壇と思われる所はぐしゃぐしゃになっている。
なんていうか……端的に言えば荒らされている。
エーレンの方をちらっと見ると、とても悲しげな表情をしている。両手で服の裾をぎゅっと握りしめて、何かを堪えるようだった。
「エールティア様」
困惑気味に声を上げたジュールの考えている事は大体わかる。だけど、今それを気にする意味はない。
「さっ、エーレン。一緒に入りましょう?」
「……うん」
落ち込んだ様子のエーレンの手を優しく握って、慰めながら『踊る熊の花蜜亭』の扉を開いた。
外がそれなら、中は更に酷かった。床もぼろぼろ。テーブルは壊れてて、廃墟と言われても納得しそうな有様だ。
「……エールティアの嬢ちゃんか」
落ち込んだ様子のグルセットは、力なく笑っていた。
椅子に座って項垂れているその姿は、燃え尽きているみたいだ。
「……そっちの嬢ちゃんは?」
「……はじめまして。エールティア様の従者のジュールと申します」
以前の彼女なら、私が『嬢ちゃん』と呼ばれてる時点で嫌悪感とか殺意とか剥き出しにしててもおかしくなかった。だけど今回は、一瞬の沈黙だけで留めてくれた。
特に何かの悪感情が出ていた訳でないし、雪桜花での一件で成長してくれたみたいだ。
「よろしく……って言ってもな。こんな状態じゃ、流石に泊まるわけにも……なぁ……」
予想はしていたけど、こんなぼろぼろじゃ流石に……って所か。私としては、もうこれ以上探しようがないし、良いと思うんだけど……。
「これはこれは、随分と酷い有り様ですね」
気落ちしてるグルセットや、どうしようか悩む私に対して、随分と嬉しそうな声が後ろから響いた。嫌らしい声だな、なんて思いながら振り向くと、そこにいたのは魔人族の男だった。
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