51 みんなの「陰キャ」を見る目が変わったようです
帝皇戦は三日間をかけて行われる。
二日目の俺は、演劇部の裏方として駆り出されていた。これも「お助け部(仮)」の仕事である。トンカチ片手に大道具の修繕をしたり、舞台装置をえっちらおっちら運んだり、部員たちの差し入れを買い出しに出かけたりと、もう大忙し。
しかしまったく苦にならない。
俺はもともと、こういう地味な仕事が好きなのだ。
それよりなにより、自分まで「演劇部」の仲間に入れてもらえたみたいで、ちょっと嬉しい。
昨日のバスケは、結局チームで戦うことはできなかったもんな……。
そんな小市民的幸せを噛みしめつつ──。
コンビニでの買い出しを終えて帰ってくる途中で、野球部の連中と出くわした。ユニフォーム姿で校舎の影に座り込んでダベっている。日焼けした顔に浮かぶ笑みを見ると、どうやら試合で勝利を収めたようだ。「皇神は大したことなかった」みたいなことを口々に言っている。相手へのリスペクトなんて欠片もなく、ただの傲慢さがそこに見てとれた。
「おい、鈴木。パシリかよ?」
せせら笑うような声でそう言ったのは、野球部一年生エース・浅野である。
「ちょうどいいや。オレのぶんも買ってきてくれよ。コーラと焼きそばパンな! おら行け!」
「悪いな。ブタの腰巾着と話す口は持ってないんだ」
「──んだとっ、テメエ!?」
あいかわらずこいつは、仲間と一緒だと態度がでかい。デートの誘いを鮎川に断られて半べそをかいていたヤツと同一人物とは思えない。
浅野は加勢を頼むように、チームメイトを見回した。
「なあ、こいつ態度でけーと思わね? なあ? みんなでイッパツ、シメてやらねーか?」
ところが──。
野球部のチームメイトは、みんな気まずそうにうつむいている。誰も浅野の声に同意せず、じっとして動かない。
「な、なんだよみんな? どうしたんだ? こんな無印にビビってんのかよ?」
浅野が焚きつけても同じだった。俺と目が合うと、あわてて逸らすやつもいる。怯えたような色が「常勝」を誇る帝開学園野球部の横顔にあった。
なんか俺……ビビられてる?
野球部に畏れられるようなこと、した覚えはないんだけどな。
◆
演劇部は無事公演を終え、楽屋はそのまま打ち上げパーティーの会場となった。
部長の音頭で、ジュースを片手に乾杯する。談笑する部員たちの顔には、誇らしげな「達成感」が浮かんでいる。さっき見た野球部の傲慢な笑顔とは一線を画す。誰かを負かしたのではなく、観客を楽しませたという自負から来る本物の喜びが、彼らの顔にあった。
中でもとりわけ眩しい笑顔を浮かべているのは、二人。
花形スターとして、主役を立派に演じきった白鷺イサミ。
客演として、ヒロイン役を見事に務めた皆瀬甘音。
「和にぃ、ボクの演技どうだった!?」
「かっこよかったよ。指先から爪先まで、ピンッとしてた。見惚れるくらい凜々しかった」
そんな風に褒めると、いっちゃんは複雑な笑みを浮かべた。本当は「可愛かった」と言って欲しかったんだと思う。しかし、男ということになっている彼女にそう言うわけにはいかない。後でこっそり、メッセで送っておこう。
「和真くんっ、わたしはどうでしたか?」
「すごく声、響いてたよ。一番後ろで見てた俺のところまで、声がぐわっと迫ってきた」
甘音ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせた。声優の彼女にとって、声を褒められるのは一番の勲章だろう。
そんな二人に、俺はさっきの野球部の反応について話してみた。
「それはきっと、昨日のバスケのせいですよ」
甘音ちゃんがスマホを見せてくれた。
動画サイトに、昨日の「超長距離3Pシュート」の動画がアップされている。タイトルは「バスケ同好会の選手がとんでもないシュートを決めた件」。昨日アップされたのに、もう80万回も再生されている。
「こんなすごいの見せられたら、運動部の人たちは黙っちゃいますよ」
「帝開のバスケ部にだって、こんなマンガみたいなシュート打てる人は誰もいないよね」
二人とも声が弾んでいる。
「なんでそんな嬉しそうなんだ?」
「だって、ねえ?」
二人は顔を見合わせた。
「わたし、ずーっと歯がゆかったですもん。和真くん本当はすごいのに、いつまでも陰キャ扱いで」
「皆瀬先輩の言う通りだよ。今頃気づいたって遅すぎだよって思うくらい」
俺は頭をかいた。
「別に俺は『ふつー』で構わないと思ってるんだけどな」
「普通なんて無理ですよ。あきらめてくださいっ」
なんて、甘音ちゃんはお姉さんぶってみせる。
「いよいよみんなにバレちゃったもんね。これからどうなるか、楽しみだなあ」
いっちゃんまで、そんなことを言う。
「別にそんな、変わらないだろう」
と──。
この時までは、俺もそう思っていた。
その考えが甘かったことを教えられたのは、翌日の夕方である。
帝皇戦最終日。
三日間の対抗戦のトリを飾ったのは、柔道部の団体戦だった。
格技場で行われた五人ずつ出しあっての勝ち抜き戦はもつれにもつれ、ついに大将同士の対決となった。
俺は涼華会長とともに、試合場の壁際でそれを観戦していた。
「うちの大将は、あの時の彼のようね」
涼華会長が指差す先には、赤い鼻の大柄な男子がいた。いつぞやのバッチ騒ぎの時に暴れてた赤鼻(アカハナ)である。本名は知らない。もう俺の中ではアカハナで良いと思う。
一年生なのにすごいなあ、なんて思って見ていると――何やら様子が変だ。
審判に呼ばれても、立ち上がらない。他の部員や監督が声をかけても、青ざめた顔でぷるぷる震えるばかりだった。
「あいつ、カラダに似合わず緊張しいなんだよなあ」
ぼやくような声が、観客の中から聞こえた。
柔道部のベンチ入りできなかった面々が、ちょうど俺の周りで見物していたらしい。
「アレがなければ、天才なんだけどなー」
「しょーがないんじゃね? もし負けたらぶっ殺すって、真顔でカントクに言われてたもん」
「その先生は、負けたら理事長にぶっ殺されるんだろ?」
「殺されなくても、クビにはなるかもな」
「帝皇戦って、マジ命かかってるよなー」
……みたいな、事情のようだ。
どうやらそれは事実のようで、いかつい監督が鬼の形相で赤鼻に詰め寄っている。だが、監督が怒れば怒るほど、赤鼻の怯えは増すばかり、膝ががくがく震えて、立つこともままならないのが見てとれた。
「情けないわね。図体ばかりでかくて、あれでも男なの?」
ため息まじりに涼華会長が言った。
「和真君。代わってあげたら? どうせ貴方、柔道も強いんでしょう?」
「めちゃくちゃ言わないでくださいよ。ルールもよく知りませんよ。高専柔道を少し囓った程度です」
「高専って、あの五年制の? 普通の柔道と違うの?」
「ええ、かなり違います」
簡単に言えば、投げ技より寝技に重点を置いているのが高専柔道だ。
別名・七帝柔道とも言う。
ルール上の一番の違いは、立った状態から寝技への移行が認められていることだろう。柔道では危険ということで禁じ手であり、やったら反則である。まぁ、当然だな。「スポーツ」なんだから。
監督がいくら叱咤しても、赤鼻は立てなかった。
監督はもう赤鼻を見捨てて、何やら会場をしきりに見回している。
周りで部員たちがささやく。
「オレら、このまま不戦敗になるのか?」
「いや、ルールでは補欠が出られるはずだぜ」
「補欠だって嫌だろ、こんな場面で出て行くのは」
監督はまだキョロキョロしている。
やがて、その視線が俺のところに固定された。
思い詰めた表情でずんずん近づいてくる。俺じゃなくて柔道部員に用があるのだと思いきや、彼はまっすぐ俺のところまでやって来た。
「鈴木和真くん……いや、和真師範代!!」
「…………は?」
さっきまで威張り散らかしていた監督が、いきなりその場で正座し、平身低頭した。
「私のこと、お忘れですか? 山下です。今から5年ほど前、古宮道場でお世話になっていたことがあります」
「──ああ」
そのヒゲ面に見覚えがあった。
小学生の頃、古宮道場という古流柔術を教える道場に通っていたことがある。そこで一時期、一緒だった。確か柔道の金メダリストだと聞いたことがある。
古宮道場は年功序列ではなく、徹底的な実力主義だ。実力が上の相手には常に敬語で接しなくてはならない。たとえどれだけ年下であっても、大人と小学生であっても関係ない。それが流儀だった。
この山下という人は、最初、高慢で鼻持ちならなかった。昔獲った金メダルを今でも首からぶら下げているような感じだった。古宮流のことも、最初、舐めてかかっていた節がある。なので、ここでの流儀を「優しく」教えてあげた。案外素直な人で、両肩の関節を外す程度で、わかってくれた。
「例のバスケの動画、見ましたよ。いやはや、驚きました。まさか帝開に来ていらっしゃるとは思いませんでした」
「はあ」
何故今さらそんな昔話をするのかわからない。
監督は深々と頭を垂れ、禿げ上がった額を畳に擦りつけた。
「ここで出会ったのも何かの縁です! どうか師範代! うちの部員の代わりに大将を務めてくださらないでしょうか!!」
「いや、柔道よく知らないんで」
「ご謙遜を! 師範代を相手に五秒以上立っていられる選手は講道館柔道には皆無です!!」
「そういうことじゃなくてですね……」
困り果てる俺を見て、会長はくすくす笑っている。
「監督、困ってるじゃないの。出てあげたら? 和真師範代」
「からかわないでくださいよ」
周りの視線が俺に集中している。ひそひそと声が聞こえる。「あいつ、あのバスケ動画のやつじゃね?」「なんかすげー強いって聞いたことあるぞ。ダンス部の危機を救ったとかなんとか」「あれ? 俺は美術部だって聞いたぞ?」。どうやら噂が錯綜しているようだ。
しょうがないな……。
「負けても恨まないでくださいよ」
「ありがとうございます!!」
監督はすぐに部員に命じて、柔道着を持ってこさせた。
更衣室で手早く着替えて、試合場に姿を現わすと──大歓声が巻き起こった。
「あいつ、例の3P野郎じゃね!?」
「あのグリーン間みたいな超ロングシュート決めたやつか!?」
「マジかよ、ヒョロいけど柔道もできるのか!?」
やれやれ、動画の拡散力はすさまじい。
平民シュートは「普通に上手い」って言われたのに、あの3Pシュートはこんなお祭りみたいに騒がれる。同じマンガの技なのに、違いがどこにあるのかわからない。
畳の上で待っていた皇神の大将はすっかり焦れていた。
イライラをぶつけるようににらみつけてくる。
「どれだけ待たせるんだてめえ。しかも白帯かよ。帝開は皇神をナメてんのか? なあ?」
「すまん。柔道やるの、初めてなんだ」
はあ? と大将は口を開いた。
それから、顔を真っ赤にしてツバを飛ばした。
「100万回殺す!!!」
そんな、人を絵本の猫みたいに。
審判が開始の合図をするなり、大将が突っこんできた。やる気満々だ。上背を活かして奥襟を取ろうとしてくる。
……うーん。
わざと負けるのもさすがに気がひけるし、かといって本気を出したら殺してしまう。「ふつー」に勝つのがベストなんだが、どうすればふつーなんだ? 投げたら一本になるんだっけ? その後、膝を落としてトドメまで差したら反則だっけ? わからない。だからスポーツは難しいんだ。ルールでがんじがらめ。
ともかく、相手が「参った」すれば勝ちだよな。
戦意を喪失させるのに一番手っ取り早いのは目を潰すことだけど、多分それ反則だから──昔やったみたいに、関節を外すことにしよう。あの時、監督はすぐに素直になってくれた。「おいボウズ、俺の襟まで手が届くのか? ん?」とか言ってたのが、数秒後には「ンアアアアアアアアアア痛いいいいいいいいいいいいいい許してくださいいいいいいいいいいい」みたいになってたし。
というわけで。
まずは素直に相手と組む。
相手の袖をつかんで、軽く引き下げる。
大将が「お?」みたいな顔になった瞬間……相手の呼吸のスキをついて、軽く手首を返す。相手の力をそのまま相手に返す。
大将の手首が、逆方向に折れ曲がった。
「あいててててててててててててててててててててててててててててててててて」
絶叫とともに膝をついた。
これで勝ちなんだっけ?
いや、ダメだな。確か柔道って、背中がつかなきゃダメなんだ。
しょうがないので、肩の関節も外した。軽く引っ張ってから、ゴキン、と逆方向に押し込む。「んぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!!」またもや絶叫。ごめんな。後ですぐに嵌めるから。
畳を転げ回る大将を見て、審判が怪訝な顔をする。旗は上がらない。何が起きたのか理解できてないようだ。
もっとわかりやすくしなきゃだめかなと思い、関節がダメなら何があるだろうと考えて──絞め技に思い至った。そうだ。落とせばいいんだ。失神させればいい。そうすれば戦意喪失と見なしてもらえるだろう。
というわけで、床を転がる相手の首に足を巻き付かせ、腕を引き込んで──頸動脈を圧迫。
いわゆる「三角絞め」である。
「きゅぅっ」
ちょっと可愛い悲鳴をあげて、大将はすぐに落ちた。さっきまでの痛みに悶える顔とは打って変わって、安らかな表情。落ちるのって、気持ちいいんだよな。
「い、一本!!」
大将の失神を見てとり、審判はあわてて旗を上げた。あー、良かった。これで合ってた。
すぐに救護班が呼ばれたが、それには及ばない。気持ち良くおねんねしている大将の関節を元に戻して、それから道着を緩めて両足を軽く持ち上げた。ドラマみたいに「喝」を入れる必要はない。これが一番簡単だ。
「ぷはっ」
大将は息を吹き返した。
会場はしーんと静まりかえっている。両校の選手も、俺に助っ人を頼んだ監督ですら、呆気にとられたように口を開けている。
やっぱり、「普通」じゃなかったかな……。
その時、会場の片隅から拍手が起きた。涼華会長が起立して手を叩いてくれている。それに釣られたように、周りの観客も拍手をしてくれる。「よくやった!」「あざやか!」みたいな声も聞こえる。
やがてそれは、格技場全体に広がっていった。
……良かった。
ちょっと普通じゃなかったかもしれないけど。
人の役には、どうやら立てたらしい。
◆
そんな感じで、帝皇戦は幕を閉じた。
戦績は18勝17敗2分。わずか1勝の差で帝開学園が勝利を収めた。やはり、最後の柔道での勝ちが大きかったようだ。翌日の全校集会で理事長直々に褒められて、山下監督は鼻高々であった。集会の後、わざわざ俺の教室まで来て「師範代のおかげであります!」なんて最敬礼していった。どこの軍隊だよ。
大将戦で助っ人に出た俺の評判は、またもや広がってしまった。
以前から「噂」レベルで蔓延していた俺への評判が、ついにここに来て顕在化してしまったのである。
休憩時間に廊下を歩いていても、あちこちから視線を浴びる。誰も声はかけてこないのだが、誰もが畏れるような、あるいは一目置くように見つめるのを感じる。正直、持て余してしまう。別に蔑まれたいわけではないが、こんな風に持ち上げられるのも居心地が悪い。俺は普通で良いというのに。
廊下で鮎川に会った時、こんな風に言われた。
「なんか嬉しいような、寂しいような、フクザツ~」
「寂しい?」
「だって、あーしらだけが知ってた和真の本当の姿が、みんなに知られちゃったみたいでさっ」
拗ねたように唇をとがらせるのが可愛かったので、まぁ、よしとしよう。
しかし──。
事態はそれに留まらなかった。
俺が目立つことを良しとしない人間が、この学園には存在するのだ。
「ブヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!!!」
いよいよブタであることを隠さなくなってきた。
巷を賑わす超人気声優様は、自慢の金髪を振り乱し、こう叫んだ。
「アタシの、アタシだけの和真が有名になるなんて!!! ユッるせないいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!! 言い寄る女、全員、コロス!!!!!!」
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