25 幼馴染の偉そうなジジイにはっきり言う



 翌日の昼休み。


 俺は理事長室へ向かうべく、職員室奥の廊下を歩いていた。


 この領域は、学園であって学園ではない。


 生徒立ち入り禁止の柵とロープをまたいで、赤いじゅうたんを踏みしめ、ずんずん行く。昼休みの喧騒がここまでは届かない。漂う静謐な空気は、どこか神殿のような趣がある。


 だとしたら、祀られているのは間違いなく「邪神」だな――。


 そんなことを思っていると、行く手に黒服の大男が立ち塞がった。


「ここは一般生徒立ち入り禁止だ。引き返せ」

「高等部一年一組、鈴木和真です。アポイントは取ってあります」

「ああん? 知らんなぁ」


 大男はあごをしゃくり、俺を見下ろす。


「ここに近づくようなガキは、問答無用で痛めつけていいと御前様(ごぜんさま)から言われている」

「体罰は犯罪ですが」

「俺は教師じゃない。そして、この帝開は『治外法権』だ。生意気なガキめ。大人の怖さを思い知らせてやる――」


 大男が襲いかかってきた。


 俺は奥襟を取りに来た相手の右腕を、軽くパリィして懐に飛び込む。右袖をつかんで引き込み、相手の体を腰に乗せて跳ね上げて床に叩きつけた。


 いわゆる一本背負い。


 柔道の試合ならこれで試合終了だが、まだ終わりじゃない。


「げげはぁっ!?」


 大男が苦悶の声をあげる。


 俺の足刀がみぞおちを踏み抜いたのだ。


 気絶程度で済むように手加減したつもりだが……やっぱり、俺は未熟だ。相手は反吐を撒き散らし、もがき苦しみながら床を転がっている。やれやれ。ここまでする必要はなかったのに、体に動きが染みついている。


 その時――。




「それまで」




 低く、威厳のある声がした。


 部屋の扉の向こうからだ。


「鍵は開いておる。入ってきなさい」


 お許しがでたようだ。


 まだ悶絶している大男を介抱し、ハンカチで口を拭ってやってから、俺は扉を開いた。




「久しぶりだな。和真よ」




 厳めしい老人の声が俺を出迎えた。


 白い口髭に、オールバックの総白髪。鋭い鷹のような目つき。黒檀の机と大きな黒椅子にふんぞり返り、鋭い眼光を俺に射込んでいる。


 この男が、帝開グループのドン・高屋敷泰造(たかやしき・たいぞう)。


 あのブタの祖父である。


「ご無沙汰しています。御前」


 昔のクセで跪きそうになるの止めて、俺は胸を反らした。


「瑠亜から話を聞いた。古宮流免許皆伝ともあろう者が、ケンカで敗れたそうではないか。悪いが試させてもらったぞ。ウデは鈍っておらんようだな」

「相手が弱すぎたからでしょう」

「あの護衛は、実戦空手のチャンピオンだ」


 え、あれで?


「あいかわらず、お人が悪い」

「おぬしは我が孫を護(まも)る盾だ。気になって当然であろう」


 やはり、この老人の頭には愛する孫娘のことしかないらしい。


「おおよその事情は把握している。瑠亜と仲違いしておるそうだな」

「仲違いではありません。絶縁です」


 事実を述べただけなのに、御前はギョロリと目つきを変えた。


「絶縁? 何故だ。あれほど美しい娘のどこが不満だ」

「容姿がどれだけ良くても、中身がアレではね。度重なるモラハラ、パワハラ。『目立つな』『影でいろ』。ずっと、あいつに洗脳されていたんですよ。もううんざりです」


 御前は机を指でコツコツ叩いた。


「その見返りはあるはずだ。おぬしが瑠亜の婿となれば、ワシが持つ巨大な権力と財力――帝開グループのすべてを引き継ぐことができるのだぞ」

「…………」

「おぬしは幼少のみぎりより、瑠亜のお気に入りだ。他人には決して心を開かぬ我が孫が、おぬしからは離れようとせん。だからワシも、おぬしを婿候補のひとりと考え、様々な帝王学を施してきたのだ」

「それはわかっています」


 子供には分不相応な古武術だの兵法だのをずっと仕込まれてきた。


 まぁ、それらの修得は結構楽しかった。普通の子供にはできない体験を無料(タダ)でさせてもらったと思っている。


 だけど――。


「俺はもっと、普通で良かったんですよ。普通に友達作って、普通に彼女作って、普通の高校生活を送りたい。パワハラ、モラハラなんて存在しない、普通の生活をね」

「おぬしが、普通?」


 喉の奥で御前は笑った。


「規格外の知略と武力を持つおぬしが、普通? ありえん話だ。例のバッチ制度も、おぬしが叩き潰したそうではないか」

「はい。邪魔だったので」

「あれは社会実験だよ。良い結果が出れば、帝開グループ全体で実施しようと思っていた」


 やっぱり、そういうつもりだったのか。


「ともかく、俺はまったりのんびり、普通の高校生活を楽しむつもりです。邪魔しないでもらいたいです」

「本気で瑠亜と別れようというのか? この帝開学園で」

「学費を払っている以上、俺には普通の学生でいる権利があります」

「無料にしてやると言ったのに、おぬしの母親が聞かなかったからな」


 うちの暮らしは決して豊かではないのに、母さんはこの御前の申し出を断った。「お孫さんの幼なじみだからといって、そんな施しを受けるわけにはいきません」と、毅然と拒否したのだ。

 

 俺はそんな母さんを誇りに思っている。


「わかった。いいだろう」


 俺をにらみつけたまま、御前は頷いた。


「ワシはしばらく静観するとしよう。もっとも、瑠亜がどう動くかはわからんぞ」

「よろしくお願いします」


 今日のところは、それで十分だ。


「ひとつ言いたいことがあります。瑠亜のせいで、演劇部の公演が邪魔されそうになってます。学園にとって不利益となる行動です。御前には理事長として、責任を果たしてもらいたいものです」

「ふむ。それはワシがなんとかしておこう」


 よし。これで会見の目的はほぼ達成。


「これからどうするつもりだ?」

「言ったでしょう。瑠亜と絶縁して、普通の高校生活を送ります。まずは、目の前の夏休みを楽しみたいですね」


 御前はくつくつと笑った。どこか妖怪じみた笑みだ。


「おぬしが〝普通〟のつもりでも、周りがほうっておかんだろうよ。特に女子(おなご)は」

「周りは関係ありません。俺は俺の好きに生きるだけです。だから――」



 最後に。


 これくらいは、言っても許されるだろう。




「俺の女に手出ししたら、潰すぞ。ジジイ」


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