第33話 臆病な僕と存在理由
「くそ、不意打ちでも駄目かよ。背中に目玉でもついてんのか?」
膝を払いながら立ち上がった作業員の帽子が落ちる。
「お前、党本部にいた」
「江田だ。あっちでは世話になったな。意趣返しに来たぜ」
「どうやって抜け出したか知らないが、しつこい連中だ。まだ邪魔するつもりか」
「しつこいのが取り柄なんだよ」
江田の傍らに、こちらも変装した大倉が立つ。
「こいつが噂の?」
「ああ。芦原弥太郎だ。こいつを止めれば、全て解決ってわけだ」
江田と大倉は、弥太郎を挟み込むようにして左右にわかれ、彼ににじり寄る。また、背後からは別のS同盟メンバーが隙を伺っている。
「一対多数だが、悪く思うなよ」
江田が話している途中で、弥太郎はすっと下がった。背後から忍び寄っていたメンバーが虚を突かれ、それでも羽交い絞めにせんと両腕をクワガタみたいにして挟み込む。するりと弥太郎の姿がメンバーの目の前から消えた。素早く屈み込んだ弥太郎は、頭上を通過するメンバーの腕を取り、尻を突き出すようにして相手の腹に当て、腕を引いた。尻を支点にぐるんと回転した二人は、メンバーを下にして床に落下。下敷きになったメンバーの口から、体内の空気が強制的に吐き出される。弥太郎はそんな彼をトランポリン代わりにして跳ね起きる。追撃に備えるためだ。彼が立ち上がった時には、江田、大倉が飛びかかっている。左右からの挟み撃ち、しかも弥太郎は体勢を立て直したばかり。どんなに強い人間でも、一つの動作を終えた瞬間は動きが止まるものだ。二人はそこを狙った。抱きつかれるのを嫌がったか、弥太郎は腕を突き出した。その腕を大倉は絡め取りに行く。胴にしがみついても、その腕が動けば剥がされるかもしれない。封じるべきは腕。そう考えた。手首を掴み、捻り上げようと体を更に弥太郎に引き寄せる。
「っ?!」
掴み、有利に立ったはずの大倉の方が驚いた。引いた以上の力で弥太郎が大倉に近付いたのだ。長年訓練を続けているからこそ、力の入れ具合とそこから起こる反応が体に感覚として染み込む。どんな犯人でも、訓練でも、組まれ、引かれれば相手は抗おうとする力が入る。力の強弱に差はあれど、おおよその感覚は誤らない自信が大倉にはあった。
しかし、この度は誤った。掴まれた腕を体に巻きつけるようにして、弥太郎は大倉の懐に潜り込み、その回転のまま体を入れ替えた。ぐにゃりと弥太郎の背中から腕にかけて文字通り波打ち、余波が大倉の体に浸透する。掴んでいた腕はその力に抗えず、体が揺さぶられ、体勢が崩れる。仕上げとばかりに弥太郎が腕を振り払うと、大倉は勢いに抗えずよろけながら後退、同時に挟み込もうとしていた江田とぶつかる。
「大丈夫かっ」
衝突しながらも何とか大倉を支えた江田が言った。
「大丈夫だ。しっかし、なんだあいつ。無茶苦茶じゃないか」
自分の手のひらを握ったり開いたりして感覚を確かめる。確かに掴んだ、押さえ込めると思った、なのに抜け出され、反対に体勢を崩された。何が起こったのか、大倉にはサッパリ理解出来なかった。
「だから最初に言ったろ。無茶苦茶強いんだって」
「強いったって限度があるだろ。映画じゃねえんだ。同じ体格の人間に同じ体格の人間が二人がかりでかかれば普通の人間は組みつけて押さえ込めるもんだろ」
ジャッキーかあいつはと大倉は愚痴った。そんな泣き言を言いながらも、再び大倉は弥太郎捕縛のために身構える。
「二人で駄目なら、三人、四人でやるしかねえだろうが。形振り構ってられる相手じゃねえんだ。卑怯上等。勝てば良いんだ」
「その考えは、俺も好きだ」
弥太郎が獰猛に笑う。
「形振り構ってられないのはこちらも同じだ。これ以上時間をかけていられない。少々、強引な手で行くぞ」
視線を上げた弥太郎の先に、大倉がいる。魅入られたように、大倉が動きを止めた。
「駄目です! 兄さんから目を背けて!」
「『敵はいたるところにいる。お前の隣にも』」
弥太郎の声が届いた瞬間、動きを止めていた大倉が、ロボットのようなカクカクした動きで隣の江田を見た。そして、あろう事か江田に襲い掛かった。完全に不意を突かれた江田は、大倉に組み伏せられる。
「バッカ野郎! 俺は味方だろうが!」
怒鳴る江田を、無表情な大倉は腕を捻り上げる。たまらず江田は苦しげに呻き声を上げた。あの一言で操られたのだ。それだけではなかった。突然起こった乱闘騒ぎに呆気に取られていた受付の担当者達が、弥太郎を取り囲んでいたS同盟のメンバーたちに襲いかかったのだ。弥太郎と結樹が離れたために、干渉しあっていた能力のバランスが崩れたためだろうか。
まともにやりあえばメンバーが勝つだろう。しかし、操られているとわかっている相手に暴力を振るうことが出来ず、防戦に回らざるをえない。
「大倉さん! 離してください!」
プラチナブロンドの作業員、溝口が江田から大倉を後ろから羽交い絞めにし、引き剥がした。引き剥がされた大倉は、今度は溝口を敵と認識したか、思い切り後ろに飛び、彼を壁に叩きつけている。拘束を解かれた江田は、すかさず溝口の援護に向かった。
「卑怯上等。悪く思わないでくれ」
混戦の中、弥太郎が踵を返してエレベーターに向かう。受付がいなくなった今、彼を止めるものはいない。
「待って、兄さん!」
駆け出した結樹の手が宙を泳ぐ。しかし、物理的、心理的に離れている彼を止める事は出来ない。ゆっくりとエレベーターのドアが閉じる。閉じられたエレベーターのドアを叩き、上昇して行くエレベーターを見送った。すぐさまボタンを押すが、往復している間に弥太郎は事を成すだろう。急いで隣のエレベーターに向かうが、何度ボタンを押しても開かない。通常であれば業務終了時間だからか、使用できない状態になっていた。
別の策はないか。スカイツリーの見取り図を前に考える。彼女たちがいるのは五階。エレベーターで上がるとフロア340に到着する。本来は出口専用のエレベーターだが、イベント用に今日限定で往復出来るようだ。というよりも、出入り口を一つに絞る事で検査や受付をここで全て行い、不審者対策としたのだろう。動く入り口が限られれば、封鎖もし易い。
「江田さん、IDを!」
溝口の声が聞こえ、結樹は振り返った。今度は溝口に襲いかかっていた大倉を、江田が引き離している。その彼に、溝口は要求した。
「大倉の胸ポケットだ!」
二人がかりで押さえ込みながら、言われた通り溝口がポケットを漁ると、カードキーが出てきた。
「ここ、頼みます」
「行けるか?」
「行きたくないけど、行ってきます」
江田が笑った。
「分かった。俺らもここどうにかしたら、すぐ追いかけるから」
江田に大倉を任せた後、彼が走り出す。結樹はその後を追った。彼が向かったのは業務用エレベーターだ。通常ならここから搬入作業を行う。閉じようとしたエレベーターに、結樹が滑り込む。驚いた彼と目が合う。再び、彼女達はエレベーターの中にいた。
「どうして、来てくれたんですか」
「…だから、成り行きだよ。何の覚悟も決められないまま、流されてここにいる」
帽子を深くかぶり、溝口が顔を逸らした。
「正直、何でこんなところにいるんだろうって思ってる。怖いし。芦原さんには、申し訳ないけど、まだ操られててるからかなとか、どうしても考えてしまうんだ」
「それは…」
しかし、結樹は口を途中で噤んだ。どれほど言葉を尽くしても、事実を伝えても、当人にとっての真実は、当人が信じた事だけだ。それに、彼や江田たちを利用していたのは紛れもない事実。言い逃れするつもりはない。甘んじて、彼の糾弾を受け入れる。
「ただ、さっき、思ったんだ。目の前でヤタにいが人を操るのを見て、嫌だなって」
「嫌、ですか?」
溝口が頷いた。
「僕の知っているヤタにいは、厳しい兄弟子だったけど、仲間思いで優しくて、何より正義の人だった。強かったけど自分からそれを誇示して暴力なんか振るうことなんか無かったし、僕みたいにいじめられている弱い者の味方だった。困っていたら、いつでも助けてくれた。小学生の僕にとっては、彼こそが正義のヒーローだったんだ」
押し付けがましいよね、と溝口は弱々しく笑った。
「勝手に幻想を抱いて、こうであってほしいと勝手に人物像を思い描いていて」
一度、彼は何かを飲み込んだ。
「でも、嫌なものは嫌なんだ。ヤタにいには、正義のヒーローでいて欲しい。だから、偽者の感情かもしれないけど、止めたいと思った。彼にこれ以上、悪事を働いて欲しくない、誰かを傷つけるような真似をして欲しくない。そう思ったら、体が動いていた。だから僕は、震えながらも、ここにいるんだ」
軽い電子音が、エレベーターの到着を知らせる。扉が開き、フロア350に到達した。
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