第30話 臆病な僕とスカイツリー
大倉によって助け出された僕達は、由憲党本部から脱出した。別れ際の宣言どおり、恩田議員を安全な場所に連れて行き、こっちに向かったとの事。
「ああ、やっちまった…、これ、後で絶対問題になるよなぁ…」
「大丈夫じゃねえの? そのために変装してんだろう?」
江田の視線の先には、背中に派手な刺繍の入ったジャケット、所謂スカジャンにボロボロのダメージジーンズ、そしてサングラスにロン毛のカツラという出で立ちの大倉巡査がいた。
大倉巡査が頭を抱えているのは、由憲党本部の職員数名を気絶させ、拘束した事だろう。ほとんどの職員が松原たちと一緒についていき、残っているのは数人だった。彼はスパイ映画よろしく党本部に忍び込み、一人ずつ倒してここまで来た。たとえ数人であろうと単身乗り込むのはかなりの勇気が必要だっただろうし、警察官の彼にとって、操られているとか土壌が形成されているとかそういう理屈は置いて、何の罪もない一般人の隙を突いて拘束したのは良心が痛んだことだろう。それでも僕達を助けに来てくれた彼には感謝しかない。
「ばれたら絶対懲戒免職だ…、最悪逮捕起訴だよ…。警察官なのに…」
「ばれなきゃいいんだよばれなきゃ。それより恩田議員は大丈夫なのか?」
「そっちは大丈夫、のはずだ。ですよね?」
大倉が尋ねると、スピーカーから返答があった。
「心配要らない。私が都内に所有するセーフハウスの一つに匿っている」
なんて事ないように千鳥は言うが、都内にセーフハウスを持つって凄いというか、一般人からすればありえないことなのではないだろうか。都内、特に二十三区はどこもかしこも賃貸料金が高い。同じ大きさの部屋でも地方の二倍は高くつく。
「そこまで大げさなものじゃない。貸し倉庫を少し改造しただけの場所だ。私の部屋に入りきらなくなった小道具を保管している。ほら、君達にも渡した閃光手榴弾とか、そういうのだ」
他にも色々置いてあるのだと千鳥は言った。ちなみに、大倉巡査が着ているのも、その倉庫にあった物だそうだ。他に一体何があるのだろうと怖い物見たさの好奇心が沸いたが、聞いたら後戻り出来なさそうな何かがあるかもしれないので止めておく。
「疲れているところ悪いが、早速君達が捕らわれていた間の情報を共有しよう」
千鳥が話を切り替えた。
「松原たちが向かったのは、東京スカイツリーの展望台だ。今夜、そこで特別放送を行う事になっている。周辺の防犯カメラで、スカイツリーに入っていく彼らの姿を捉えた。その中には芦原さんの姿もあった。一体党本部で何があった。彼女はどうして一緒に連れていかれたんだ? てっきり、君達と一緒に隔離されていると思ったのだが」
「弥太郎が連れていったんです。万が一逃げ出して、また妨害されないようにと言ってました。彼女が弥太郎の力を妨害出来るように、弥太郎も彼女の力を妨害出来るとのことで」
「なるほど、いっそ手元に置いて能力を使わせないでおこうということだね」
「姐さん、俺らはこれからどうすりゃ良いですかね? 俺個人としては、乗り込んで放送止めさせたいんですが」
江田の言葉に、千鳥はしばらく沈黙した。
「放送まで後一時間。おそらく、スカイツリー周辺は松原の信奉者や土壌がかなり深くまで形成された、松原にとって都合の良い連中で溢れかえっている。対して、こちらは少数。数で勝ち目はないな。こちらに有利な事は、先ほどまでかかっていた恩田議員とその仲間達を捕えるという命令が解除されている事だ。もし放送を止めるというなら、彼ら本人よりも、放送用の機材を押さえた方が良いだろう。しかし、問題もある。放送は、きちんと各方面の許可を得て行われる。それを止めるという事は、業務妨害に当たる。止める事に成功したとしても、君達が逮捕されるような事態は避けたい」
報われるべきなのだ。千鳥は言った。
「誰かを救うために努力した者の末路が、悲劇であるなど私は認めない。認められるか」
これは、僕達に言っているのか? 初めて、クールな彼女の感情が見えたような気がした。
「でも、だったらどうすれば良いんですかい? 放送を止めなきゃ全員松原の言いなりですぜ?」
「それは…」
千鳥が言い澱む。
「一つ、私から提案がある」
千鳥でも、江田でもない声が会話に割り込んだ。
スタッフによってマイクを体に取りつけられながら、松原はこれからの事に思いを馳せていた。
今日、歴史が変わる。私の手によって、日本は新たなステージに移行する。体が細かく震える。腹の底の方に、熱く滾る興奮があって、余波が全身に行き渡る。静かな興奮が松原を包んでいた。
「松原先生、本日はよろしくお願いします」
今日の放送の進行を勤める男性MCが声をかけてきた。
「ああ、こちらこそよろしくお願いします」
笑顔で挨拶を返す。形だけの進行役だと心の中で笑いながら。放送が始まってしまえば、彼の役割は終わる。一般ゲストとして招かれる予定の芦原弥太郎に取って代わられる。
今回の放送は、表向きは一般人と松原の対談をメインに据えたものだ。一般人五十名からの疑問に、松原が回答する形を取る。もちろん、ゲストは全てサクラであるし、質問内容も答えも決まっている。既にテレビ側と専属のスピーチライターとで打ち合わせて作ったものだ。選挙に勝つために、かなり力を入れて作ってもらった。素朴な疑問から、政治のあり方に触れる核心をつくような疑問と、放送を見る者の心を掴むような話の持って行き方を徹底的に体に叩き込んだ。その時間や労力が全て無駄になってしまうのは、少々もったいない気もする。
「一般人の方が入られます」
少し間延びしたスタッフの声が臨時のスタジオとなったスカイツリー展望台内に響く。ぞろぞろと入ってきたゲスト達は、用意されたパイプ椅子に順番に腰掛けていく。
「では先生、御準備の方、お願いします」
頷き、登壇する。拍手によって背中を押される。所定の場所に着き、演台の前に立ってゲスト達の方へ振り向く。洗脳するまでも無く、誰もが松原に心酔しているような、そんなうっとりとした目で彼を見つめている。尊敬、羨望、自分を見つめる視線にその成分が入っているという事はつまり、自分はそれだけ価値のある優れた人間なのだと逆説的に証明される。
自分はやはり、優れている。他人よりもよほど。子どもの頃から他人よりも優れている松原にとっては当然の事実だ。
優れたものには義務が生じる。自分より弱き者を助け、導かなければならない。傲慢ではなく、正義感、使命感からその思考は来ている。だから、人を自由に操る事に何の罪悪も浮かばない。意思を自由にしても何一つ良い事はないからだ。バラバラのままでは力が分散し、何も成せない。そのことがこの五十年で証明された。力の使い方を知らず、力を持て余している愚者が、犯罪などの愚かな行為に身をやつす。もったいない。何ともったいないことだろうか。その力を少しでも、社会貢献に用いれば、犯罪が減り、幸福が増える、二倍の効果をもたらす。しかし、彼らが悪いのではない。彼らは無知なのだ。知らない事をやれと言っても、それは出来ない。
だから、自分が導くのだ。その方が、国にとっても、民衆にとっても幸福だ。
「放送時間まで、もう間もなくです。よろしくお願いします」
松原から見て左右、前方にカメラがセッティングされる。自分の隣の演台に、先ほど自分に頭を下げていたMCがスタンバイしている。マイクの調整を念入りに行っている。政治家との競演は初めてなのだろうか、慎重に慎重を重ねていた。彼がどれほどこの放送にかけていたとしても、すぐに部外者になってしまう。その事を思うと、少しだけ申し訳ないなという気持ちが芽生える。人の努力を笑うほど、松原は傲慢ではなかった。大儀のため、許して欲しいと心の中で彼に謝罪する。
時計を見ると、間もなく零時だ。秒読みが始まる。
三、二、一・・・
「皆さん、こんばんは」
MCが番組の概要を説明している。カメラの右下ではアシスタントが現在の視聴者数をパネルとして出していた。その数百万。アクセスの仕方で数は変わるが、単純計算で百万の人間が今この番組を見ている。おそらく番組が進むにつれ、数は増えていくだろう。百万人以上が自分に期待している。ならばその期待に応えなければならない。自分の使命を果たさなければならない。
「・・・では、ご紹介しましょう、本日の主役、松原長政幹事長です」
大きな拍手が松原を包み込んだ。彼らと、画面の向こうにいる人々に向かって頭を下げる。
「本日は松原幹事長に、今日ここに集まってくれた一般参加者の皆さんの政治の素朴な疑問や、これからの日本の未来についてなど、また、ネットで寄せられた投稿に答えて頂きます。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、お願いします。ただ、あまり答え難い質問は勘弁してくださいね。爆弾発現で、幹事長辞任しなきゃならなくなるので」
会場に笑いが起こる。これくらいのリップサービス、なんて事ない。
「一般ゲストの皆様も、視聴者の皆様も松原幹事長に早く質問したくてうずうずしているんじゃないでしょうか。松原幹事長、宜しいでしょうか?」
「お手柔らかにお願いしますね」
「はは、そこはまあ、皆様の、国民の声ですので、ぜひ答えて頂けますようよろしくお願いいたします。では早速ですが」
いよいよだ。松原は気づかれないように一般ゲストの座席の方へと視線を向けた。弥太郎に合図を出すためだ。ここで彼が質問者となり、いたって自然にカメラの前に出て、これまで作り上げてきた土壌の中から芽吹かせるための言葉を発信する。
ゆっくりと視線を巡らせ、巡らせ、巡らせ…視線が一般ゲストがいる枠外へとはみ出した。もう一度、今度は念入りに一人一人の顔を見渡して…
悲鳴を口元に笑みを湛えたまま飲み込む。国会答弁でも、マスコミ対応でも、講演会でも、あらゆるきわどい質問や想定外の事態に対して、決して動じた事のない松原が、生まれて初めて頭が真っ白になるという経験をした。
いるはずの男が居らず、いないはずの男が居る。
「では早速、質問のある方、挙手をお願いします」
松原の内心に気づくはずもなく、MCは手はず通りに番組を進行した。すっ、と。一般ゲストの中央辺りで手が上がった。
「はい、真ん中の方、早かったですね。では、前の方へどうぞおこしください」
気づいているはずなのに、MCの声は先ほどと全くかわらない。そこにわざとらしさが見えてくる。初めから知っていたのだ。この男が参入する事を。様々な疑問がわきあがり、松原の頭を駆け巡り、心をかき乱す。
「お名前と年齢、御職業を、差し支えなければ教えて頂けますか」
「恩田翔平、三十六歳。職業は政治家です」
忌々しいまでに落ち着き払った男はそう名乗り、松原と対峙した。
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