第22話 臆病な僕とヒーローの存在証明
警察署の裏手は、人気がなかった。全員が正面玄関に向かっているようだ。操るとはいっても、かなりシンプルな命令を一つ、二つしか理解出来ないのではないだろうか。署を取り囲んで待ち伏せされたら、逃げ場はなかった。
「元中さんは!?」
S同盟の一人が、降りてくる僕と江田に声をかけた。苦いものを詰め込まれたような口で、江田は何とか答えられた。
「元中は足止めに残った」
見捨てたと思われても仕方のない状況で、僕は項垂れた。叱責の声が上がるかと思いきや、その人は責めることなく「わかりました」とだけ言って再び走り出す。他の同盟の人からも、そういう声は上がらない。
「元中さんは絶対大丈夫です」
ぽんと芦原が僕たちの背中を叩いた。
「私、見えましたから」
「もしかして、元中さんの未来を?」
でも、S同盟の人間は弥太郎の力の影響を受けていないんじゃなかったか。
「いいえ。元中さんではなく、元中さんを捕えようとした警察官の方の未来です。捕まえろという指示どおり、彼を捕まえますが、ロープで身動きをとれなくして、そのままです。警察官が正気に戻ったら、いずれ開放されます」
「あいつは、大丈夫なんだな?」
江田が掴みかからんばかりに芦原に顔を近づける。
「はい」
大丈夫です、と芦原は胸を張った。ほう、と江田の肩から力が抜ける。
彼女がそう言うのであれば、僕はそれを信じて、その『いずれ』を可能な限り早くするために動かなければならない。置き去りにしたという負い目からまだ立ち直れてはいないけど、進む事にする。行けと言われたから、その約束を守るのだ。
渋谷警察署から少し離れて、金王八幡へ。ここなら人気も少ないし、神様の御加護も得られる。
「成り行きでついてきてしまいましたが、どちらに向かわれるつもりですか?」
走って乱れた呼吸を整えながら、大倉巡査が恩田に尋ねている。
「永田町に向かう。由憲党本部だ」
「ではタクシーを、そこの六本木通りで」
「待ってください」
芦原が止める。
「恩田さんは、このままタクシーに乗ったら、どこか安全な場所へ向かってください」
「何を言っている。私がいた方が、何かと便宜を図れるぞ。党本部にも入り易いのではないか?」
「いえ、その党本部内の人間は全て操られていると思った方が良いです」
「その意見には私も賛成だ」
千鳥が芦原を援護した。
「今狙われているのはあなただ。あなたと一緒にいるからこそ、こちらも同じように狙われている。あなたがこちらと離れ、安全地帯に逃げ込んでくれれば、あなたの安全が確保でき、こちらも渋谷から離れさえすれば襲われる事はなくなる」
千鳥の提案を聞き、恩田はしばし目を瞑る。
「…私の連絡先だ」
恩田は懐からメモを取り出し、サラサラと番号を書きつけて破った。
「君の言う通りに、私は姿を消す。だが、私の力が必要になったら、いつでもここにかけてくれ。すぐに駆けつける」
「ありがとうございます」
メモを受け取り、芦原は、今度は大倉巡査の方を向いた。
「おそらく、署内は混乱しているはずです。大倉巡査は署に戻らず、恩田さんと一緒にいた方が良いと思います」
「署に戻らないのはわかる。誰も無線に返事してくれないし、さっきの同僚もおかしくなっていた。しかし、まだ良く分かってないのだが、本官こそそっちについて行った方がよくないか? 危険な事をしようとしているんじゃないのか?」
「そうだぞ。彼についていってもらえ。私なら大丈夫だ。タクシーに乗って身を伏せていれば、外からも見られないだろう」
恩田もそう言うが、芦原は首を振った。
「いえ、万が一の事を考えて一緒にいた方が良いです。タクシーにはラジオがついてますよね。運転手が発症する可能性があります。そんなとき、大倉巡査がいてくれた方が安心です」
「…しかしだな。君達だって私が守るべき一般人なんだぞ。ここは全員揃って逃げた方が良いのではないのか?」
「時間の経過で解決するような事態ではないんです」
芦原は頑として譲らなかった。僕としては、警察官の彼が一緒にいた方が頼れると思うのだが。
「すまないが、急いでくれ」
千鳥が急かした。
「警察署内が暴徒に制圧された。周辺にも正気を失った人間が徘徊し始めている。その場所に気づくのも時間の問題だ。そちらにタクシーを一台向かわせた。もう間もなく到着する」
千鳥の言葉を裏付けるように、人の、集団の足音や気配がにじり寄ってきている。大倉巡査は芦原と僕達と、恩田を見比べ、ガリガリと頭をかいた。
「ああ、もう。わかった。君たちの言う通りにする。恩田議員を安全なところに送り届けたら、すぐに私も向かうからな。それまで絶対、無茶な真似はするなよ」
「約束します。ですので、早く」
大倉巡査は行動を決定してから早かった。先に通りに出て左右に視線をやり、人が気づいていない事を確認して恩田を手招きした。
「充分に気をつけてくれ」
大倉巡査の後を、恩田が追った。図ったように、彼らの目の前にタクシーが止まった。恩田が開いたドアに体を滑り込ませ、大倉が助手席に乗り込んだ。タクシーは急発進し、タイミング良く変わった信号をくぐって走り去った。
「こちらも動こう」
千鳥が促す。
「恩田議員が一緒にいない事で、君達の危険度は下がったが、油断はするな。署内で一緒にいるところを見られている。恩田の同類として追われかねない」
それは心のそこから勘弁願いたい。駅のエレベーターのガラス窓に張り付いた集団は今も突然記憶から蘇って僕を震わせる。
「渋谷駅から永田町を目指すのも避けた方がいい。ハチ公前は聴衆がまだ身動きせずに固まっている。あれが正気に戻って呆然としているのか、まだ効果が持続中なのかカメラからの映像では判別できない。そのまま北上し、表参道駅から向かう方がベターだろう」
千鳥の提案に従い、僕たちは青山学院大学横を抜け、青山通りから表参道駅へと向かった。道中びくびくしながら早足で移動する様は指名手配犯の気分にさせてくれるが、見つかるかも、という心配は杞憂に終わった。多い人通りの中に紛れ込んでしまうと、僕らという個人を特定する事は困難になるようだ。なんなく駅に入る事が出来た。
「芦原さん」
電車の中、どうして大倉巡査を同行させなかったのか尋ねてみた。僕としては、やはり警察官が味方にいるだけで安心感が違うと思うからだ。
「理由は二つあります。一つは、先ほど話した、恩田さんを警護する人間が絶対に必要であるという事です。今現在最も危険なのは恩田さんですから。もう一つは、彼は私たちよりも操られやすい人間だという点です。以前ファミレスで話した、兄の人を操る要素を覚えていますか?」
「確か、負の感情、だったっけ。怒りや憎しみ、妬みに嫉み、そういうヒーロー漫画で悪党が担当しているような要素だっけ」
「そうです。彼は、私たち以上に負の感情が多かった。だから、土壌を形成されていなくても、兄に会うと操られる危険があった」
警察官に負の感情が多いなんて、ちょっと意外な気がする。が、芦原は逆の考えを持っていた。
「彼だけではなく、おそらく警察官という職業上、仕方のない事なのかも知れません。事件の犯人を追うわけですから」
「事件の犯人を追う警察官は、負の感情が溜まりやすくなるものなんですか?」
「ええ。犯人は負の感情に満ちた人が多いですから。それに触れる時間が多い警察官は負の感情が蓄積しやすいと言えます。負の感情は、悪意は感染しやすいんです。これは能力の有無ではなく、人の共感性とか、感情の問題だと思います。相手が敵意や悪意を向けてきたら、自分達も悪意に対抗するための敵意と悪意を持って立ち向かう事に、必然的になるわけです。そういう日々が積み重なれば、負の感情も蓄積される」
そういう蓄積状況などが見えるから彼女は、駅の時の事情聴取から大倉巡査達を避けていたのだろうか。
「てっきり、正義感とかで立ち向かうものと思っていました」
「正義感はもたれているはずです。皆さん、正義感と使命感を持って、職務に当たられているものと思います。けれど、そういう感情以上に、負の感情は増えやすく、表に出やすいのです。特に荒事などでは、敵意を押し出し、攻撃性を高めて恐怖心を押さえ込むわけです。けっして敵意や悪意が悪いわけではありません。使い方次第だとは思います。しかし、その感情を操る兄相手では分が悪い」
「なるほど。確かに、正義のヒーローでもないと無理だね。…でも、そしたら僕らが立ち向かっても、お兄さんに操られてしまうんじゃ」
「その点についてですが、私が兄の影響を受けないようにします」
「それって、まさか結界ってやつを張るんじゃ?」
脳裏に九字を切る芦原の姿が浮かぶ。しかもきちんと巫女装束で、呪符を人差し指と中指で挟んでいる図だ。おお、良い。これは良い!
「…あの、すみません。結界を、張れるわけでは」
「えっ、そうなのっ?」
かなり大きな声が出た。周囲のS同盟や他の乗客がこちらに視線をやるほどには大きな声だった。自分の期待度を現していた。すみません、と周囲に頭を下げる。
「兄は声をメインに能力を使っていると思います」
視線の影響もあってか、恥ずかしそうに芦原が縮こまっていた。
「触れたりする事でも出来ると思いますが、大勢を同時に操るとすれば、声で心に触れるはずです。声は波長とか振動で、能力も目には見えませんが、声にそういう形をしています。私はその波長を出来るだけ打ち消すように働きかけます。それでも、兄の方が力が強いので、余波を浴びる事になるかもしれませんが、皆さんには影響のない範囲に押さえられると思います。しかし、負の感情の多い大倉巡査は影響を受けたかもしれません。これも、大倉巡査を連れて行かなかった理由にかかってきますね」
「へえ。能力ってオカルトみたいなものかと勝手に思ってましたけど、ちょっと科学っぽいんですね」
「オカルトも科学も、根っこは同じだと思います。データとかで証明出来るか出来ないかの話だけで、原因があって結果が現れるのは一緒です」
能力に関してはまだ理解出来ない部分はあるが、彼女が言うのだからそれを信じよう。
「ただ、原因と結果がきっちりと結びついている科学と、オカルトが少しだけ違うのは」
ぽつりと、僕に聞かせるためではなく、自分に言い聞かせるような小さな声で、彼女は呟く。
「ごく稀に、通説、常識を覆す事象や人がいるということです。データで数量を計れないから、と言われればそれまでかもしれませんが。けれど確かに、私たちから見れば奇蹟としか言いようのない事象が存在します」
僕から見れば、彼女達の能力が既に奇蹟のレベルなんだが。
「ってことは、もしかして正義のヒーローが?」
「ええ。います」
彼女は断言した。是非とも現れて欲しいと思う。平和が脅かされている今こそ、ヒーローの出番だ。
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