第21話 臆病な僕と次の行く先

 先手って、どういうことだ?

「まずは移動してくれ。頼む。移動しながらきちんと説明するから」

 逼迫した千鳥の声。

「君。名前は?」

 恩田が警察官に声をかけた。

「はっ。大倉正志巡査です」

「大倉巡査。聞いての通りだ。悪いが我々は移動しなければならない。非常階段はどこにある?」

「恩田議員。待ってください。ここは安全です。下手に動いては」

「しかし、こんな事は言いたくないのだが、君達警察官の中にも、突如暴徒と化した人間がいるのだろう? 原因は未だ不明。では、今彼らを押さえている警察官が、いつ暴徒に変じるか分からないではないか」

「それは」

「説明は省くが、ここにいる彼らと、電話先にいる千鳥女史は、その原因を究明し、事態を解決しようとしている者達だ。この件に関しては専門家と言って良い。ここは彼らの言葉を信用してくれ。何かあった場合、君達の責任は問わない。責任は私が持つ」

 夜明党党首の言葉に、大倉巡査はついに折れた。おお、凄いぞ。言葉で人を動かすってこういうことか。

「では、私が非常口まで案内します」

「頼む」

 大倉巡査を先頭にして、恩田、芦原、S同盟が続き、僕と江田が最後尾についた。移動を始めた事を確認した千鳥が、止まっていた説明を再開する。

「今渋谷署に押しかけているのは、ハチ公前にいた暴徒じゃない。渋谷署の近くにいた人間が次々と暴徒と化しているんだ」

「ちょっと待ってください。演説の内容がキーワードだったはずですよね? ここまで演説が聞こえてたって事ですか?」

 僕が尋ね返すと「そうじゃない」と千鳥が否定した。

「いいか。外に出たときに、なるべく上を見るな。ビルに設置されている大型ビジョンを見るな。あとはスマートフォンのニュース速報動画などの動画配信を見るな。ラジオに耳を傾けるな」

 上を見るなとかラジオを聞くなとか、サッパリ要領を得ない。

「どうして東京でこんなに芦原弥太郎の影響を受けた人間が多いのか、ようやく分かった。動画投稿サイトだ」

「動画投稿サイトってYou・Tubeとかニコニコ動画とか、いまならスマートフォンアプリで、今や誰でも自分が撮影した動画を投稿出来る、あれですか?」

「そうだ。芦原弥太郎はそこに幾つもの動画を投稿していた。彼の姿と声が映る動画だ」

 声をかける事と、相手を自分に意識させる事。それが能力で影響を与える為のステップだった。動画を見ているイコール、既に相手は意識している状況だ。後は声をかけるだけで土壌が出来上がる。

「検索ワードはヒーリング、癒し、自己啓発などなど。東京に多いわけだ。疲れた人間が多く、動画を見る人間の総数も日本一だろう。視聴回数は既に一千万件を越えている。寄せられるコメントを見ると、何故か気力が沸いてきたとか、噂どおり見たら元気になったとか、落ち込んでいたが復活したとかさまざまだが、概ね好意的な物が多い。口コミで広まっていった典型だな。まさに芦原さんの言う通り、芦原弥太郎は本当に、本気を出せば世界を救える逸材だ。だが、その動画の中に、土壌を整えるための効果を忍ばせていたのだろう。すまん、完全に私の落ち度だ。こんな物が何ヶ月も前から配信されて、気づかなかったなんて!」

 ダン、と机を叩く音が響いて、思わず肩を竦ませてしまう。

「千鳥さん。じゃあ、もしかして今言った、屋外のビジョンとかには」

「芦原弥太郎の映像が流れている。動画投稿サイトのトップにも急上昇ワードとして載っている。他の警察署では、自分たちの担当地域の暴動を止めるので手一杯のため、応援はないと考えていい」

 それが、ここから逃げた方がいい根拠か。次々と押し寄せる暴徒が増える一方、救援はなく、署内でも暴徒が増加して行く恐れがあるから。

「一度土壌が作られると、応用も聞くようで、今彼らにインプットされている命令は『恩田翔平たちを捕らえろ』だ」

「由憲党の誰かは、そこまでして恩田さんを?」

「いや、おそらくは、恩田議員は餌だ。恩田議員だけなら『たち』とは使わない。本当の狙いは、芦原さんだろう」

 彼女と恩田に視線が集まる。

「彼女は唯一、芦原弥太郎の能力に対抗出来る人間だ。おそらく芦原弥太郎は彼女が自分を追ってきているのに気づいた。逃走した恩田議員と一緒にいると踏んで、人を差し向けている。恩田翔平たちとしたのは、操っている人間が、芦原さんの顔を知らないからだ。幾ら操れても、その人物が知らない人間は捕えようがないと見た」

「でも、恩田さんの顔は有名だ」

 僕でも知っているのだから。その通り、と千鳥が肯定した。

「だから『恩田翔平たち』なんだ。恩田翔平と周囲にいる人間を捕えれば、そのうちの一人が芦原さんになる」

 捕えろ、という命令は、妹に対するせめてもの情けって所だろうか。妹を思うなら、すぐにでもこんな馬鹿な事は止めてほしい。

「この先です」

 先導していた大倉巡査が手で指し示す先には、非常階段の文字と非常口のピクトグラムが描かれた誘導灯があった。通路は一本道。もうすぐだ。

 バン、と弾かれたように後方の扉が開いた。そこから数人の警察官が飛び出してきた。喫煙室だったようで、中からタバコの匂いが漏れ出ている。曇りガラスの向こうで何かが明滅している。おそらくテレビだ。テレビの電波まで利用しているのか?

「おい、どうし…」

「恩田翔平だ」

 大倉巡査の誰何の声に応えず、警察官たちは虚ろな目を恩田に向けた。

「走れ!」

 江田が叫ぶ。同時、警察官たちは廊下を蹴った。彼らが真っ先に辿り着くのは、最後尾の僕達だ。

「江田さん! 閃光手榴弾は?!」

 走りながら叫ぶ。警察署で爆発物なんてとんでもない話だが、事態は緊急を要する。

「使いきった!」

 一言で救いの糸は断ち切られる。走りながらちらと後ろを振り返る。駅の時の再来だ。無機質な目がこちらを見ている。震え上がってちびりそうだ。

 大倉巡査が非常階段に辿り着いた。開け放たれたドアから恩田と芦原が飛び出していく。非常階段は狭く、一人ずつでしか通ることが出来ないため、小さな渋滞が起きた。その間にも操られた警察官との距離は狭まる。

「先に行ってくれ」

 S同盟の一人が走る速度を緩め、ついには体を反転させた。

「何やってんですか!?」

 スピードを緩めて、追い抜いた彼の元に戻る。「良いから」と聞く耳を持ってくれない。

「馬鹿、元中! 止まるんじゃねえ!」

「良いから早く先に行ってください!」

 同じく戻った江田が腕を掴むが、彼、元中はそれを振り払って江田を突き離した。

 相手は鍛えられた警察官数人だ。操られていたとしても、日ごろのトレーニングで培われた体力はそのままだ。

「捕らえろってのが指示なら、殺されることはないはずだ! あの人数なら一人が犠牲になりゃ足止め出来る! だから行ってください!」

 大きく体を大の字に広げ、元中は警察官と相対した。飛びかかってきた最初の一人を、元中は体を逸らして避け、すれ違い様に足を引っ掻けた。後続の一人が元中の襟首を掴んだ。元中は雄たけびを上げ、その警察官に背中から体当たりをぶちかまし、壁際に押し付けた。二人がもみ合っているため、廊下が塞がれる。追ってきた警察官の目が元中一人に集中した。彼の目論見どおりに。

「行け! 行ってくれ!」

 元中の叫びを受け、江田が踵を返し僕の腕を掴んだ。

「行くぞ溝口!」

「え、で、でも」

「あいつなら大丈夫だ。あいつが大丈夫だって言ったんだから絶対大丈夫だ」

 強い力で引っ張られる。僕たちは非常口に向かって走った。最後に振り返った時、元中の全身に、正気を失った警察官が掴みかかっていた。その姿は、非常口が閉じた事で見えなくなった。

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