第12話 憶病な僕とファミレス会議
芦原の話が終わったタイミングで、周囲にいるS同盟を見渡した。誰も彼もが、半信半疑、七、八割疑った目で彼女を見ていた。仕方のないこととはいえ、自分の事は棚に上げて悲しさと苛立ちを覚える。
「正直、信じられないな」
スピーカーの向こう側も、同じような反応を示していた。
「人の意識を書き換え、感情を操る人間がいるなどと」
千鳥の反応を聞く芦原はノーリアクションだ。だが、心なしか肩を落としているように見えた。
「でも」
千鳥が続けた言葉に、僕や芦原、S同盟の皆が顔を上げる。
「存在しない、とは言い切れないな」
「マジですか、姐さん」
「マジだとも。江田君。自分が知らないからと言って、ありえないとは限らない。あるかどうか分からないだけだ。宇宙人を見た事がないのは宇宙人の方が優れているからで、幽霊を見た事がないのは幽霊を知覚出来ないだけなのかも、という話と同じだ」
その喩え話は合っているんだろうか。江田たちS同盟も、首を傾げている。
「既に被害が出ているんだ」
彼女の一言で、空気が引き締まる。
「ならば、事情を知っている人間の情報を前提にして対策を練るべきだ」
「でも姐さん。言いたくはないしそれこそ信じたくはないけど、こいつらが嘘をついているって可能性が」
「それはないな。彼女らが嘘をつく理由がない。それとも芦原さん。今の話は嘘なのか?」
「い、いいえ、全部、真実です」
慌てて否定する芦原の髪が左右に揺れる。
「じゃあ、何も問題ない。それに、あの事件の映像を見たが、本当に理解が出来ない。多分、実際の現場はもっと訳のわからない異様な状況だったのだと思う。そんな中、危険を顧みず鵜木君を助けてくれた二人を、私は信じる。信じる二人が話す事だから、私は信じるよ」
千鳥の宣言に似た独白を聞き、江田は大きく息を吐いた。他のS同盟の面々も、各々顔を見合わせて、一つ頷いた。
「じゃあ、俺らは、姐さんが信じた二人を信じる事にしますよ」
話がまとまったらしい。そもそも、疑えるほど俺らそんな頭良くないしな、と誰かが茶化し、笑いが起こった。つられて僕も笑ってしまった。失礼だったかもしれない。けど、それが許されるような暖かい空気があった。強固な信頼関係がS同盟にはあるのだ。羨ましいと、素直に思った。一緒に笑ったら、その仲間に入れる気がした。
「さて、と、対策を立てると言ったものの、だ。どう立てていいのか、さっぱり見当がつかないな。芦原さんの話では、既に直接的、間接的に東京中の人間には操られる条件が、芦原さん風に言えば土壌が出来上がってるんだろう?」
「はい。また、駅の事件のように、人から人に感情が感染することもありますので」
「そうか、その問題もあるな。ふむ…」
スピーカーが沈黙した。ややあって
「打つ手、無くないか?」
妙にあっけらかんとしたスプーンが飛んできた。S同盟の方々が各々体勢を崩してしまうほどだ。
「ちょ、姐さん…」
「いや、しかしだね江田君。おそらくこいつは、未だ人類が体験した事の無い種類の脅威だぜ? 何らかのきっかけで感情が操られて暴走、その感情が周囲に伝染して周囲までおかしくなるというのは、何らかの感染症、例えばインフルエンザに類似している。けれど、インフルエンザは対抗策がこれまでの医療の歴史、人類が積み重ねてきた経験によって対応出来るだろう。感染拡大を防ぐ事も、患者の治療法もある。対して、今回の事件。無理やり私たちの理解出来る認識に当てはめると、他者によって精神が侵されることによる感染症だ。精神疾患数あれど、このような前例あるわけない。故に予防が出来るわけもなく。何がきっかけで発症するかも分からない。家から出ないのが一番の予防で、被害を防ぐ方法だろうか」
確かに、家から出なければ誰かに襲われる事もないし、何らかのきっかけで仮に自分が操られても、誰かを傷つける可能性は低い。通り魔の事件も駅の事件も、しばらくしたら人々の意識は元に戻っていた。このことから、おかしくなるのは短時間ではないかと推測出来る。
芦原さん、と千鳥は彼女に水を向けた。
「君も、同じような力を持っている、と言ったね」
「はい。私は、兄のように強制的に人の意識や感情を変える事は出来ませんが」
「うん。そこはわかっている。力の強弱、得意とする分野が違うことは理解した。ただ、基本的な部分は同じなのではないか?」
「基本的な部分ですか?」
「君の家系からは、精神医療に携わる者もいる。カウンセラーとか、そういう分野と認識していいかな?」
「その通りです」
「私たち一般人が想像するカウンセラーの業務は、人の悩みを聞いて、それに対してアドバイスを行うなど、相談者の心の負担を解消する行動を取る。この行動の中には、話を聞く。相手に触れる。言葉をかける。目を合わせるなど、私が思いつくだけで四つ、相手に対してアクションを行う。もっと掘り下げれば小道具を用いた治療方法もあるそうだが、詳しくは知らないのでここでは端折るが。他にも、相手との距離も考えられる。至近距離で無ければならないのか、遠隔からでも可能なのか。操りやすいのはどういう人間のどんな感情か、どんなきっかけがあるのか。まずは、発症条件から探ってみようか」
打つ手がないと言いながらも、千鳥は別角度からのアプローチを試みている。彼女にいわれ、芦原は少し首を傾げる。
「手段、方法についてですが、今千鳥さんが上げた方法、そのうちのどれか一つでも可能だと思います。父は神主なんですが、よく地域の方々の悩みを聞いていました。悩みを聞いてもらった人は『話すだけで気が楽になる』ということをよく仰っていましたから、父は相手の話を聞くことで、相手の心を開放させて操りやすくするタイプです」
「悩みを話すって事は、心の一端を見せるという事だからね。そこから手繰り寄せる、というイメージかな?」
「そのイメージで良いと思います。相手の心に触れる、というと目に見えないものをどうやって、と大げさに思われるかもしれませんが、意外と目で見える物理的な距離も関連しています」
「パーソナルスペースってやつだね。なら、触れるという行為は、相手のパーソナルスペースを突っ切っている行為だものね。芦原さんの家系では、体に触れるのは、イコール心に触れることなのかも」
「声をかけることも、同じ要領で可能だと思います。相手に自分を意識させれば。これは好意という意味ではなく、自分を認識させること、という意味です」
「あれ? でもそれって」
彼女たちの話で引っかかりを覚えて、つい口が動いた。その瞬間、全員の視線がこっちを向いた。何対もの視線に晒され、ちょっとたじろいでしまう。
「溝口君かな? 何か気づいたのか?」
「あ、いえ、その」
「気後れする必要はない。この件に関しては、芦原さん以外全員素人だ。だが、だからこそ疑問に思うところは口に出すべきだ。それは、玄人である芦原さんと我々素人との溝でもある。相互理解のためにも潰しておくべきだ」
先ほどから会話の主導権を握り、スムーズに回している千鳥に言われても慰めにはならないが、納得は出来る。何らかのプロが、良い講師になるとは限らないのと同じだ。
「ええと、今話した事が、土壌を作る条件だと言うなら、これまでお兄さんに会っていない人は、土壌が形成されていない人、って事になるんですよね? じゃあひとまずですが、お兄さんに会ったか会ってないかで、土壌が出来ている、出来ていないの判断を下せるんじゃないかな、と思いまして」
「なるほど、確かにそういう理屈になるな。芦原さん。お兄さんの写真か画像か、持っていないだろうか?」
「ありますあります!」
芦原の髪の毛の隙間からスマートフォンがにゅっと出てきた。何げに最新モデルだ。巫女さんって儲かるのだろうか。彼女の小さな手がタッチパネルを操作する。画面に表示されたのは、中々の美丈夫の全身像だった。少し長い前髪の隙間から、切れ長の目がこちらを向いている。通った鼻筋、少し薄めの唇が、バランスよく小さな顔の中に納まっていた。体格は顔同様全体的にシャープな印象を受けるが、惰性ながらも古武術の訓練を続けていた僕には分かる。首と肩の筋肉のつき方、シャツやズボンの上からでも分かる腕や胸、太腿のシルエット、立ち方や佇まいは自然体でありながらあらゆる攻撃に備えて身構えているようで油断なく隙もない。何らかの格闘技経験があるのではないだろうか。画像だけではなく、動画があれば、歩き方や仕草、呼吸でもう少し分かるかもしれない。
「その画像、後で私に送ってもらえないか。アドレスは江田君に聞いてくれ」
「わかりました」
「それで、どうだろうか芦原さん。お兄さんに会っていないというのは、土壌を形成されていないと判断しても良いのだろうか?」
「そうですね。流石の兄も、会った事も話した事もない人は操れないとは思います。自分の存在を意識させるのは、先ほど千鳥さんが指摘したような、私たちが能力を用いる基本に当たると思いますので。ただ、姿は見えなくても声を聞いたりしたことは、あるかもしれません。心地いい音楽に耳を傾けるのと同じで、兄の声は心に沁みこむと思います」
「声だけでも可能、ときたか。それでは、会ってないのは決定打にはならないな。…ちなみに、今その場にいる人間はどうだろうか? 影響を受けているだろうか?」
「ちょ、姐さん、怖い事言わないでくださいよ」
S同盟がざわつき、江田が代表して声を上げた。僕も内心どきりとしている。弥太郎氏にあった事はないが、もしかしたらどこかで声を聞いて、影響を受けている可能性は否定できないのだ。
「確認はしてもらうべきだ。それによって、今後の君たちの行動は変わる」
「は、はぁ。そりゃそうですが」
彼らのやり取りの間、申し訳なさそうに芦原が俯いていた。
「あ、その、ごめん」
俯いている彼女に声をかける。僕の方を見た彼女に、言い訳にしかならない言葉を紡ぐ。
「ええと、正直に言えば、自分がいつの間にか操られているかもしれないと思うのは、ちょっと怖い。けど、けして君のお兄さんを病原菌みたいに扱いたいってわけじゃなくて…」
けれど、やっていることは、病原菌扱いだ。感染を疑い、近付かないようにし、恐れて忌避する。そういう扱いをされた事がある僕が、それでどれだけ人間が傷つくかを知っていたはずなのに。しどろもどろになりながらも、何とか言いたい事を伝える。
「家族の事で、一番苦しんでるのは、君で。その家族のことを悪く言って、ごめん」
謝るのは、結局の所、自己満足だ。けれど、伝えておきたかった。罪と悪を憎んで、人を憎まずじゃないけど。自分でも何言ってるのかさっぱり分からないけれど。
「すまない」
スピーカーからも、謝罪が表明される。
「芦原さんの気持ちも考えずに、自己の利益と保身のために話していた。無神経だった」
「俺らも、すまん。あんたの身内の悪口を言っちまった」
S同盟が揃って彼女に頭を下げた。そうか、彼らみたいに素直に伝えれば良かったのか。言い訳めいた僕の謝罪よりも、よほど誠意が示されている。
「あ、いえ! 気にしないでください! そもそも悪いのは兄なんですから! 謝らなきゃいけないのは私の方なんですから。対策を練るために必要な事なんですから、言い方ひとつで遠慮しないでください。これは、私からのお願いです。話し合いをスムーズにするためにも、今後は本当に気にしないでください」
でも、ありがとうございます。小さく彼女は言った。
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