第71話 決戦の校長室


 登校日の朝、待ち合わせの場所にはすでに繭墨が立っていた。相変わらず非の打ちどころのないまっすぐな立ち姿だ。


「ちょっと来るの早すぎない?」

「あれをやりたかったんです」

「あれ?」

「『ごめんよ、待たせてしまって』『いいえ、そんなことないわ、わたしも今来たところ』という虫唾ムシズが走るやり取りのことです」

「虫唾が走る!?」

 

 過激発言にこっちは衝撃が走る。

 ……しかし、ちょっと意図がわからない。


「そんな憎悪してるやり取りを実行するために待ってたわけ? どういうこと?」


「噂の後押しですよ。わたしたちにまつわる疑惑を刺激しようと思いまして」


「……あ、それで待ちぼうけ女子を演じてたのか」


 だんだん、理解してきた。

 生徒会長である繭墨が道端に立っていれば、それはとても目立つ。特に今いる待ち合わせ場所は、学校へ向かう一本道の入口であり、すべての生徒がここを通って登校する。そんなところに同棲疑惑で話題の生徒会長がぽつんと立っているのだ。もしや誰かを待っているのでは? え、まさか彼氏? 例の噂は本当だったのか!? 大変だ、生徒会長に男の影が! 生徒会長が夏休みデビューを!? 


 ――ってそれ火に油だよねどういうつもり?


「この登校日が何事もなく済めばいい、なんて考えているのかもしれませんが」


 繭墨は嫣然えんぜんと口元を上げる。

 

かき回す・・・・つもりですので、少し、付き合ってもらいますよ」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 繭墨と連れ立って歩いていると、露骨なまでに周囲からの視線を感じた。常に見られていたと言っても過言ではない。

 噂についてひそひそと語り始める生徒も多かった。まだ生徒の少ない時間帯でこの調子では、先が思いやられる。教室へ入るのも気が引けてしまう。


「教室の前に寄りたいところがあります」


「ハイハイどちらまで?」


「職員室です」


 敵地へ飛び込むらしい。もう開き直るしかなかった。こうなったら、噂に真実味を加えるために、せいぜい馴れ馴れしく振る舞ってやろう。


「いっそ手をつなぐ?」


「いえ結構です」


 職員室に入って、室内を進んでいく。

 繭墨の存在に気付いた先生方の視線や、小声でのやり取りなどで、職員室の雰囲気がざわついたものに変わっていく。


 ああ、この反応は、と察してしまう。

 先生たちの間でも、あの噂はある程度認知されているらしい。


「国沢先生。おはようございます」


 繭墨は生徒会の顧問である国沢先生に声をかけた。


「あ、ああ、繭墨。おはよう。元気にしてたか」


「はい、噂ほどでは・・・・・ありませんが・・・・・・


 国沢先生は返事に詰まり、


「……どうした、何か用があったんじゃないのか?」

「はい、放課後、生徒会室を使いたいので、先に鍵をお借りしたいと思いまして」


 わかった、持って行きなさい、と簡単に許可を得ると、繭墨は特別教室の鍵がまとめて掛けられている、出入り口側の壁へ歩いていく。


 僕もそれに続こうとして、去り際に国沢先生と目が合った。


 いつだったか、僕は国沢先生に、生徒会で繭墨の補佐をしてみないかと勧められたことがあった。


『同じ職場にいると距離も縮まるぞ』

『どういうアピールですかそれ……、教師が不純異性交遊を推進してもいいんですか』

『不純なのか?』

『ノーコメントで』


 僕はそのやり取りを思い出した。国沢先生もそうだったのだろう。

 あのときは、まさか本当にそうなるとは思ってなかったはずだ。


 今はお互い、苦笑いするしかなかった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 胃が痛くなりそうだった職員室と違って、2-1の教室は気楽な場所だった。

 なぜなら『美人生徒会長に男の影!?』などよりもはるかに衆目を集める圧倒的なネームバリュー『甲子園で2勝を挙げた好投手・進藤直路』がいるからだ。


 1組だけではなく他所のクラスの生徒もやってきて、「格好よかった」「感動した」「お前はこの学校の誇りだ」「何位指名されそう?」などと声を掛けられていた。ちなみに最後の下世話な問いかけは赤木のものだ。


「さすが進藤君ですね。こういうときにわたしを助けてくれます」

 

 と人垣を遠巻きに見ながら繭墨が言う。

 その表情は少し緩んでいた。職員室へ突入したときは、さすがに緊張していたのだろう。


「そりゃ偶然だよ。あいつは繭墨のために甲子園に行ったわけじゃない。タッ○じゃないんだから」


「わかっていますよ。少し、ひたりたかっただけです」


「気を付けなよ、あまり長くかってると錆びるから」


「……言ってくれますね」


「そりゃあね。忘れてるかもしれないけど、僕も噂の被害者なんだから」


「忘れたりなんてしません。頼りにしていますよ」


「……その素直さが不気味だよ」


「便利に使いますよ、の方がよかったですか?」


「それ素直じゃない言い方をしてるだけだよね。本音が出てるわけじゃないよね?」


 念押しする僕に、繭墨は笑う。


「さあどうでしょう」



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 その後、体育館での全校集会があった。


 そこでは夏季休暇中に行われた各部活の大会の表彰や、生徒指導の先生からのありがたい訓示、保健の先生からの熱中症への注意喚起、そして校長先生の――長くてつまらないばかりか徐々に不愉快にさえ感じてくる――お話で構成されていた。


 特に最後の、校長の話はひどかった。

 野球部の快挙をひたすら褒めちぎるのはいいとして、それをさもこの高校の、そして校長である自らの教育指導の賜物であるかのように語るのを、生徒一同、うんざりしながら聞き流していた。直前の熱中症対策の話で、風通しの悪い屋内で長時間過ごさないこと、という注意事項があったのをこの人は聞いていなかったらしい。


 ――えー、夏休みというと生徒諸君は何かと気が緩みがちです。部活動に汗を流し、勉学に励む生徒がいる一方で、羽目を外して軽率な行動を取り、恥を晒してしまう生徒も存在します。諸君には伯鳴高校の一員としての自覚と誇りを持って――


 体育館にどよめきが起こるが、校長は構わず悦に入った顔で話を続けた。

 生徒の多くが生徒会長・繭墨乙姫の姿を探していた。全校生徒の真ん中で、実名こそ伏せながらも〝恥〟と糾弾された彼女が、いったいどんな表情を浮かべているのか、みんな興味があったのだと思う。



 教室に戻るとホームルームがあり、それが終わると、担任から伝達があった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 放課後、僕たちは校長室の前に立っていた。


「決戦の校長室、ですね」


 繭墨は嬉しそうに口元を上げる。


「しょぼい戦場だよ」


「緊張していますか?」


「多少はね。でも、繭墨のご両親に会ったときほどじゃないよ」


 あのときの緊張感は、いくつかの種類がない交ぜになっていた。

 初対面の大人への緊張感。

 好きな人のご両親と会う緊張感。

 よその家庭の問題に首を突っ込む緊張感。

 それらに比べると、今の緊張感はシンプルで、まだ気楽なものだった。


 ノックをすると返事があり、繭墨が扉を開けた。


 中に入る、緊張感はさらに弱まった。校長室に並ぶ家具や調度品は、繭墨邸の応接室にあったそれらよりも、いくらかランクが落ちることが分かったからだ。安物には威圧感がない。


 室内のソファに校長と、国沢先生が並んで座っていた。

 それから、やや遅れて担任が入ってきて、教師側のソファの後ろに立つ。

 僕と繭墨は促されてソファに座った。

 僕の向かい側で国沢先生が目を細めた。


 繭墨の向かいに座る校長が口火を切った。


「さて、二人とも、どうして呼ばれたのか、理解しているかね」


 繭墨はかすかに首を傾けて、


「男女別の成績優秀者、でしょうか」


 おそらく、全く予想外の答えだったのだろう。

 校長はぽかんと口を開けて、


「は? ……何を言っているのかね」


「申し訳ありません、わたしと阿山君の共通点が、それくらいしか思い浮かばなくて……」


「とぼけるのはよしなさい。君は、そこの男子生徒の部屋に出入りをしていたのだろう。生徒会長という立場がありながら、不純異性交遊などと、ほかの生徒に示しがつかないとは考えなかったのかね。大方、野球部の応援を断ったのもそれが理由だったのだろう」


 あのー、と僕は校長の追及がひと段落したのを見計らって質問をする。

 状況がよくわからずに不安がっている生徒を演じながら。


「生徒会長が僕の部屋に出入りしているっていうのは、校長先生が見てたんですか? それとも誰かからの伝聞ですか?」


 こちらも状況を把握している、という前提が崩れたせいか、校長の反応は鈍い。

 情報の根拠ソースを聞かれるとは思っていなかったのだろう。後ろの担任に視線を飛ばして代弁させる。


「インターネットの……、ウチの高校の掲示板があるだろう、そこに書かれていたんだよ。同じアパートから出てくるところや、一緒に街を歩いているところを見たという書き込みがあった」


「それって……、ただの噂、ですよね」


 僕は呆れ顔を作って言う。


「火のない所に煙は立たぬというだろう」


 そう返す担任の言葉はやや弱まっていた。

 根拠の弱さを感じたのか、校長の気勢も衰えてくる。


 議論が停滞する気配――

 それを打開したのは国沢先生だった。


「ちょっと失礼」


 スマホを取り出して画面を操作する。


「このページですね。……おや、これは」


 国沢先生がスマホを見せると、校長の顔が般若の面のごとく強面になった。


「どこの情報だとか、ただの噂だとか、言い逃れをしていたが……、それならば、これをどう説明するつもりかね」


 校長がスマホの画面をこちらに向ける。


 写っているのは繭墨と僕が並んで立っている画像。

 そのバックの建物は、僕の部屋のあるアパート。


 いわゆる決定的瞬間を収めた証拠写真、というやつだった。

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