第三十六話 過去/別れ

 シャウラの肉体は永遠の凍結を以てこの空間に封印された。

 

 目的は聖女複製計画の首謀者である彼を倒すことではあったが、いずれにせよ凍死は確実だった。


「アラシア様、大丈夫ですか?」


 戦いを終えたハダルは活動アクティブを解除し、すぐさまアラシアに駆け寄って身を起こさせようとするが、彼女は拒否した。


 所々で肌は炎症を起こし、服は溢れた魔力に侵食されボロボロになっていた。


「わしのことより、やつを倒せたようで、何よりじゃ……」


 途切れ途切れの言葉が弱弱しい。


 先ほどの魔力の暴走によって身体が衰弱しきっていた。


 ハダルも同様に消耗しきっており、このまま空間に留まれば魔力不全を起こしてしまう。


「早くイオへ戻りましょう。ギルドの方々が待っています」


 一刻も早く彼女を救わねば二度とこの世にはいられない、そう焦っていた。


「もうよい。わしにできるのはここまでじゃ。皆には、会えぬ……」


 アラシアに諦観の笑みが浮かんだ。


「そんな……」


 迫りくる現実に目を伏せた。


 初代ギルドマスターは、伏せられた目を合わせるように顔を向けた。


「言わなかったか……? これ以上Sランクのハンターを死なせるわけにはいかん、と……」


「だからって、あなたが死んでいい理由には――」


 アラシアはハダルの胸に手を当てた。


「よく聞け、ハダル。確実に時はわしを蝕んでおった。もう暴走にも耐えられぬとは……わしも老けたものよ……」


 アラシアは所々に老いを感じていた。蛇の状態で念話を行っていたのも、魔力を抑えられていた人の姿での念話が昔よりもずっと困難になっていたためだ。あの洞窟の管理者となりリンゴを育てていたのも、余生に浸る趣味の一つとして始めていた。そして、魔力の暴走——若い時であればあれだけの暴走を超えて戦い続けることもできた。それでこそS-1ランクにふさわしい最強の冒険者であり続けられた所以だった。


「……」


 ハダルは黙ったまま首を横に振った。初めて出会った時の非礼を思い出す。あの大蛇を倒さなければ一国が滅びるような、それほどの恐怖や錯覚を覚えた。だがこの短期間で彼女を信頼し、一時的な戦いのパートナーとして隣に立つことが許された。これほど心強い人はいない。そう確信していた。


「お主の装甲衣アーマーは耐えられたようじゃのう……吸魔石を先に渡した甲斐があった……」


 確かに今までの装甲衣であれば魔封じの箱プリベント・ボックスの破壊に対応することは不可能だった。魔力を全力で引き出す機能しか持たず、先ほどの事象が起こってしまえばハダルも暴走し命を落としていた可能性が高い。


「——偶然です。人を救い、私はそれにあやかって自分の装甲衣を作っただけです」


 ハダルの言葉に力が入らなくなってきた。二人は着実に魔封じの領域に毒されている。


「その偶然こそ……おぬしがやつに勝てた証拠じゃ……」


 アラシアは目の焦点がずれ始めているが、ハダルに触れている手を放そうとはしない。


 シャウラも身体の機能を停止する直前に問うた。どうして自分が負けたのだと。


 要因は装甲衣の開発によるものだった。魔力を極限まで『解放』するだけの機能から、暴走を防ぐ『抑制』の機能が備わり、この二つが見事に両立していたのだ。


「確かに、私は勝てました。でもっ、あなたは、あなたはっ……」


 何度もハンターの死を目の当たりにしてきたはずだ。戦い続ける限り当たり前のように別れがやってくる。しかし今は、今だけは消えそうな灯を吹き消さないよう傍に居続けた。


「気にしては駄目じゃ……わしは空に還る……そう、星になるだけじゃ……」


 叶うことならアラシアを抱えながら魔導機に乗り、ガニメデの治療院で輸液をしてもらいたいくらいだった。だが時間と空間がそれを許してはくれない。


「この先は……お主が見届けてくれ……」


 ハダルに触れていた彼女の手から力が抜け、するりと落ちた。


 アラシアは虚ろな瞳に変わり最後の力を振り絞って詠唱を始めた。


「《解け呪禁、放て縛錠、我が命を聖女ステラの統べる空へ、今——》」


 静かに、ゆっくりと呪文を口にする。


「《宇宙葬スペース・フューネラル》」


 言い終えた途端、アラシアの身体が魂と分離した。



 目を覆うほどの強烈な光が暖かくアラシアを包み込み、一瞬のうちに上空へと飛び上がった。ハダルが目視で確認できる頃にはあっという間に空白の空の彼方へ姿を消した。


 ホロスには墓地がほとんど見当たらない。それはステラが空を司る聖女であるためだ。信仰心のある民は亡くなると殆どがステラ教の規範に従い宇宙葬を行う。そして自らの身体をステラの生きる雄大な空に輝く星として新たにあの世で生きることになる。


『——さらばじゃ』


 不意に魔力通信機リンカーから声が聴こえた気がした。


 直上を見上げ、埋め尽くすことのできない空虚な心を手に入れた。


「——っ」


 感傷に浸る余裕はなかった。


 この空間には長く身体を曝してはいけない。


 立ち上がったハダルは逃げるようにこの場を去っていった。


 凍結されたシャウラと粉々になった魔封じの箱を視線から外し、ガニメデの盆地へ戻って魔導機に乗り込んだ。


 機体を操作し山を下り終えたところで初めてアラシアを失った事実に直面した。


 戦う以前から彼女は死を覚悟していた。手詰まりに陥ったシャウラが箱を破壊し、確実に殺しにかかると予見した。ハダルとしては彼女を死なせない方針で戦いたかったが「年寄りに最後の仕事をさせるのじゃ」の一点張りだった。今になって彼女の願いは果たされている。


 処罰として行われたシャウラの抹殺は、外界に殆ど知られることなく終焉を迎えた。


 だが、ハダルと装甲衣の話はこれで終わらなかった。


 仕事を終えた彼を待ったなしで悲劇が襲う。


   *


 数日後の朝、ハダルにあまりにも信じがたいニュースが飛び込んできた。

 

 早朝にミモザが亡くなったという報せが入る。


 新たな依頼を受けるべく身支度をしていた頃だった。


 手が離せないイザールに代わって繋がったメラクの通信がすべての始まりだった。

 

 話を聞くうちに彼女の回復が間に合わなかったのだと悟り、全身から力が抜け落ちた。


 しばらく呆然とした状態で、事実を自覚するのに数時間を要した。


 午後には葬儀屋の下でミモザの亡骸が病室から運ばれ、この日は依頼をこなすことなく宿の部屋でひっそりと咽び泣いた。今までは人が亡くなるたびに心の中で泣こうと決めていた。それができなかった。彼女がハダルにとって一つの希望であり、何より金で動いていた自分が心から愛した人だったからだ。


 数日前の大仕事を達成したばかりだというのに、空から見守るステラはあまりにも残酷な現実を突きつけた。



 翌日の夜、葬儀場でしめやかに宇宙葬が行われた。


 ミモザを空へと送る直前になって、ハダルはようやく再会できた。


 開けられた棺の中に入った彼女は眠っているようにしか見えない。花々に囲まれ、今にも起きて笑顔を向けてくれるのではないかと微かな希望を抱いたが、我に返ってそんな奇跡は起きないと首を振った。


 胸に手を当て、誰にも聞こえない声で受け入れがたい別れを告げた。


 そして、式に参列していたイザールを問い詰める。


 流れ出る負の感情で一杯だった昨日からどうにかして復調している。


「先生。教えてください。どうして彼女が亡くなったんですか?」


「話した通り容体が急変した。彼女がお前と会った時には既に魔力不全の末期症状が出ていた」


 イザールは隠すことなく正直に答えた。


「まさか、知ってて私に装甲衣の開発を?」


「根が優しいお前は患者に気をまわしかねない。俺と彼女で取り決めていたことだ。着実に開発を進めてほしかったからな」


「……」


 この後悔を決して忘れることはないだろう。きっとミモザも同じことを想っていたに違いない。


「ハダル。医療服の開発自体は成功している。そこだけは間違えるな」


「でも……彼女が死んだら私のやってきたことは……何の意味もないじゃないですか……」


 声が震えた。


 だらりと下がった両腕の拳に力が入るが、空を握るだけだった。


「違う。彼女は諦めかけていた希望を最期まで持ち続けた。お前のおかげだ」


「だからって、別れ際に会えなかったのはあんまりです」


「だからこそお前にこれを渡しておく」


 イザールが服の懐から、封が閉じられた白い一通の手紙をハダルに手渡した。


「これは……?」


 不思議そうに受け取ると表紙には「愛する人へ」と書かれており、ハダルの名前はどこにもなかった。


「彼女が書いたお前宛の手紙だ。それから子どもたちに会ってこい。渡したいものがあるそうだ」


 そう言うとイザールは一足先に葬儀場を後にした。


「……」


 ハダルは彼の背中を見つつ、ミモザの手紙を大切にしまって子どもたちを探した。


「おじさん。待ってたよ」


 カペラは気丈に振舞う一方で、フォーマルハウトが悲しい瞳を浮かべている。


 涙を流していたのか、二人もまた瞼を赤く腫らしていた。


「これ、おねえちゃんが持っていてほしいって」


 二人から受け取ったのは、ミモザと初めて会う前に遺跡で手に入れた二つの充魔石だった。


「——どうして私にくれるんだ?」


 兄を思い出すと言って肌身離さず持っていた石を、ミモザがどうしてハダルに渡したかったのかは分からない。


 断ろうとも考えたが、カペラが絶対に渡すと言って聞かない。


「ないしょ」


 カペラは理由を教えてくれなかった。


「少しでもの傍にいてほしいんだ」


 代わりにフォーマルハウトが答えた。


 子どもたちは生前にミモザと約束していたのか、それ以上のことは何も話さなかった。


 宿に戻ったハダルは小さな机の上に充魔石を置き、少しの躊躇いを見せながらゆっくりと手紙の封を開けた。


 そこには達筆な字で書かれた文章が広がっていた。


 

 ――愛する人へ


 この手紙を読んでいるということは、既にわたしは亡くなっているはずです。

  

 いつ死ぬか分からない状況の中でこの手紙をしたためました。

  

 深刻な状態だったことを黙っていてごめんなさい。


 初めて会った時、わたしはあなたのことを可愛い弟のように接していました。

 

 カペラやフォーよりも年が近くて、それでいて兄のように心強く感じました。

 

 次第にあなた自身への興味が湧いてきて、気になって眠れない夜もありました。

 

 時間を見つけて医療服を作ろうと努力していたことを日に日に強く感じています。

 


 開発に成功して思わず笑顔になった時の感動は忘れません。

 

 短い間、あなたと過ごせた日々はわたしの一生の思い出です。

 

 わたしを恋人だと言ってくれて嬉しかったです。

 

 最後まであきらめず一日一日を過ごせました。


 最後にわたしからお願いがあります。

 

 同じ病気を患っている人たちを見つけてください。


 そして、わたしの生まれ変わりだと思って接してください。


 病気に苦しんでいるのはわたしだけではありません。


 一人でも多くの人が永く生きられるように、空から見守っています。



 ――病室より愛をこめて ミモザ・ピーティ


「……」


 手紙を持ったハダルの手が震えた。


 永遠に別れる前に聞きたかった言葉たちが脳裏に焼き付いた。


 これでやっと、自分の行いが間違っていなかったと認められる。


 緊張に次ぐ緊張で解せていなかった身体が幾分か軽くなった。


 ハダルは最近まで体感しなかった深い眠りに就いた。


 これからはミモザを思い出すたびに視界がぼやけて何もかも見えなくなってしまうかもしれない。


 例え深い悲しみによって大きな影が落ちたとしても、何事もなかったように日常は続いていく。


 かつて彼女がいた毎日のように、瞬く間に時が過ぎていった。

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