第9話作戦開始 5

 俺たちは次なるアトラクションへとたどり着いた。

 そのアトラクションは動きがゆっくりなため遠くから見ていると動いているかわからないが、近くに行ってみるとその動きを捉えることができる。


 大抵の遊園地ではこのアトラクションが最大級の大きさを誇っているだろう。なぜならそれはこの世界を広く見せてくれるロマンあふれるアトラクションなのだから。


「どうやらこの時間は空いているようだな」


 時間帯が昼ということもあってか並んでいる客は一人もいなかった。このアトラクションに乗るのは帰る頃、夕方や夜などが多い。そのためその時間は混雑することが多々あるだろう。裏を返すとこんな太陽が真上にあるような時間帯には乗る人は少ないということだ。


 入り口まで行くとスタッフの人が「こちらにどうぞ」と降りてくる四人座席のゴンドラへと誘導してくれる。このゴンドラが俺たちに最高の世界を見せてくれるのだ。


 そういうわけで結衣の提案の元、俺たちは次なるアトラクション『観覧車』へと乗車した。

 右側の座席へと座る。結衣は向かい合うように左側の座席へと座った。


「では、ごゆっくりとお楽しみください」


 スタッフの方はそういうと両開きになっていた扉を閉め、鍵をかける。ここからは二人の時間だ。誰にも邪魔されることはない。


「六条さん、観覧車が好きなの?」


 ひとまず、何気ない会話を始める。


「うん。こうやって広がる景色を見ると心が穏やかになるから」

「それすごくわかる。普段は局所的にしか見えない街を全体的に見える時って心が踊るよね。何かこう世界の広さを感じるっていうかさ」

「そうだね。あとは遠くにそびえ立っている山とかも趣があって好きかな。これに関してはお昼にしか見れないからみんなあんまり気づかないけど」

「確かに。天気や季節によって違う見え方をするところとか魅力的だよね。これは観覧車を愛する人にしかわからない」

「ふふっ。綾辻くんも観覧車好きなんだね」

「あ、ああ。かなり好きな方だな。正直今結構心踊ってたりする。子供みたいだけど」

「うんうん、そんなことないよ。どんなに成長しても好きなものの前ではドキドキしちゃうから。私だって今……すごくドキドキしている」


 そういうと結衣は視線を俺から外へと移していく。

 思いもよらない発言と行動に思わず、ドキッとしてしまった。今の発言は景色にドキドキしているということでいいんだよな?


 彼女に同調するように俺も視界を外に移していく。

 他愛もない話。正直、先ほどの話は前に一度したことがあった。だからお互い観覧車好きなのは知っている。最初の時は一緒のものが好きだっていうことに運命を感じて喜んでいたが、知っている状況下でそれを感じることは難しい。


 でも、この二年で好みが変わっていないことには喜びを感じるべきか。それに今俺の心を満たしているのは『彼女と話す行為』自体なのだから。内容にこだわる必要はない。


「俺の家どのへんかな?」


 外を見ながら不意にそんなことを呟てみる。


「えっと、私たちの学校があの方向にあるからそれを起点に探すと見つかるかも」


 何気ない呟きに結衣は反応を示してくれる。外の方を指差し、学校のある位置を教えて

くれた。


「六条さん、前にもここ乗ったことある?」


 まだ登り始めて間もなく、景色が広がるには時間がかかる。にもかかわらず、学校の位置をわかっているのだから不思議だった。


「うん。前に一度だけ。その時に私も自分の家を探したことあったからなんとなく色々な建物の場所覚えているの」

「そっか。じゃあ、それを起点に探してみよ」

「うん」


 そして、二人してまた外の景色を眺める。

 広がりゆく景色。室内は沈黙に包まれているが、景色を堪能している俺たちはある種の無言の会話をしているような感じで静寂は居心地を悪くするわけではなく、むしろ良好な雰囲気を醸し出しているように感じられた。


 それに上まで行けば、また自然とみられる景色に会話が弾むことだろう。

 登る観覧車にウキウキしながら俺は外を眺めていた。


 眺める俺であるが、自然と結衣のことをチラ見している。外の景色を見る彼女の姿も俺の中では一つの景色であるのだから。


 景色を見つめる彼女の姿は二年前同様のように思えた。外を見る表情は穏やかで今いるこの空間になんの悪い雰囲気を感じていないように思える。少し昔の彼女ならば、完全に拒絶しているはずなのに。


 これもお化け屋敷での出来事がうまく作用してくれているのだろうか。

 彼女の様子に満足しながらも再び視線を外へと向けた。


 観覧車は頂上から半分ほどの高さまで登ったところだろう。ここからが観覧車の醍醐味だ。踊る心は最高潮へと向かっていく。


 だが、そんな俺の高揚を「サッ」と不意に聞こえた音が牽制をしてきた。

 パッと吸い寄せられるかのごとく、視線がそちらへと動いてしまう。


「六条さん……」

 視線は席を立ち上がった結衣の姿を捉えていた。先ほどの音は立ち上がった時のものだったのだろう。俯き、俺に顔を見られないようにしている。なので表情を伺うことはできない。


 席を立った彼女は足を動かし、俺の隣へと座る。その時もうまく顔を動かし、決して表情を見られないようにしていた。


 一体何をされるのだろうか? 踊る心は別の意味を持ち始める。

 隣に座った彼女は右手を俺の左腿の隣へと置く。とっさに体が反応し、俺は体ごと横へと向けてしまう。


 それを見逃さなかった彼女は素早く左手をまた俺の右腿横へと動かし、向かい合う状態になる。そして、左腕に力を入れ、体を急接近させてくる。


 思わず抵抗してしまう俺は体を後ろへと動かすが、後ろから館内のガラスが阻んでくる。動くに動けない。

 結衣はさらに体を接近させる。


 二人の体の距離は数センチ。触れ合いそうになるギリギリの距離だ。

 ふと顔を上げる彼女。それによりようやく今まで見ることのできなかった彼女の表情を伺うことができた。それも間近で。


 赤く照るほお。柔らかそうな唇。潤った瞳。それは以前、付き合っていた頃の彼女の表情だった。掛け替えのない三ヶ月間に見せてくれた彼女の表情だった。


 先ほどまで踊っていた心は観覧車が頂上に達する前に頂点に達していた。

 なんでいきなりこんな行動を結衣がとったのか全くわからない。お化け屋敷効果どれだけ強かったんだよ。


「智風くん……」


 柔らかそうな唇が動き、そんな声が聞こえてくる。ハッと目を大きく開けてしまう。今にも心臓が爆発してしまうのではないかというほど鼓動が早くなっている。


「結衣……」


 思わず、我を忘れて俺も名前読みをしてしまう。必死で思考するが、目の前にいる彼女が俺を真っ白な世界へと誘う。

 近距離で向かい合う二人。だからこそそうするのが当たり前だったのだろう。

 咄嗟に、彼女の肩を掴んでしまう。同調するかのように彼女は右手を俺の背中に沿わせる。


 やがて近づいていく唇同士。

 正直、全くもってこのシチュエーションになったのかは意味わからない。でも、彼女が許してくれるのなら俺はきっとそうするだろう。


 この一ヶ月の拒絶していた彼女の理由は未だ不明。でも、今日この日彼女は戻ってきてくれた。昔の彼女に。

 理由はどうであれ、そうなってくれたのならば、俺は受け止めるしかないだろう。


 重なり合おうする唇同士。

 俺は目を瞑る。この二年間我慢してきた思いをこの唇に乗せて彼女を迎い入れる。


 刹那、それを大きな揺れが阻んできた。


 不意に揺れる体。思わず、目を開ける。

 片手だけで重心を支えていた彼女はバランスを崩し、床の方へと倒れていく。それを、右手を使って、抱きしめる形で止める。


 またしても不意をつかれた出来事に焦りを覚えたが、先ほどのことが自身にとってこの上なく予想外の展開だったため思考が冴えていた。


 ひとまず、外の様子を伺う。

 下の方ではスタッフの人たちが何人か集まっているのが見て取れた。

 各々が散らばり、どこかへと向かっていく。


 その瞬間、俺は全てを察した。

 どうやらこの観覧車が止まったようだ。見ていたスタッフの光景が動くことがなかったことから推察することができた。


 そうそう起こることがないアクシデントが起こってしまったものだ。

 視線を外へと移していく。そこには広がる世界があった。どんな場所であれ、広々とした街景色には心が穏やかになる。観覧車の止まった位置は頂上よりやや下あたりであったため真の世界を見ることができなかったが、これでも十分だ。


「六条さん、大丈夫だった?」


 心が穏やかになると同調するように思考も冷静に働いてくれる。先ほどまでのドキドキはすっかりなくなっていた。非常にもったいないことをしたと思っているが。

 呼んでみたものの彼女からの返答がない。突然の出来事に頭が追いついていないのだろうか。


「六条さん!」


 今度は少し大きめに声を出してみる。

 すると体を少し動くのを感じ取れた。どうやら気づいたようだ。

 それにホッとしたのも束の間。結衣はすぐに俺から離れ、対角線上の席へと座り込む。


「ごめんなさい」


 そして、俺に対しそんなことを言ってきた。表情はひどく怯えているように思える。

 不意に我に返ったことで先ほどの行動を恥じているのだろうか。


「えっと、急にこんなこと起こってびっくりしちゃったね」

「ごめんなさい」


 俺の言葉に矛盾したような返答をしてくる。明らかに様子がおかしい。もしかするとこんな高いところで観覧車が止まったことで恐怖を覚えているのだろうか。


「だ、大丈夫だよ。もし何かがあっても俺がなんとかするから」

「ごめんなさい」


 またしても同じことを言う結衣。様子がおかしいにもほどがあった。


「六条さん……」


 心配になった俺は彼女へと近づこうとする。


「来ないで!」


 すると彼女は怒鳴ることで俺の行動を牽制する。初めて彼女が怒るところを見た。付き合った時もそんなことは一度もしなかったのに。どうして、どうして。


「ごめん、絢辻くん。でも、お願い。来ないで」


 驚いた俺に気を使ったのかすぐさま謝る。

 一体彼女に何が起こったのか?

 無視という行為で拒絶された一ヶ月間の彼女の姿。


 観覧車内での昔の彼女の姿。

 ひどく怯えながら拒絶してくる今の彼女の姿。

 どれが本物の彼女でどうしてそうなってしまったのか。


 謎を解き明かすつもりの遊園地での作戦は余計に謎を生むばかりだった。

 再び拒絶する結衣に俺はなすすべもなく、その場に座る。

 スタッフの迅速な行動のおかげで故障した観覧車はすぐさま動作を再開した。


 だが、故障した俺の心と彼女の心、そして二人の距離は当分治ることはないだろうと俺は悟った。

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