第24話
エイジはベッドから飛び起きると、思いっきり空気を吸い込み、新鮮な酸素を肺に送り込んだ。
「やばかった。死ぬかと思った……」自分が無意識のうちに涙ぐんでいることに気づくと慌てて両手で顔をゴシゴシと擦った。
「エイジ君、大丈夫か? 一体何があった?」アキオがエイジの元に駆け寄る。
「あいつ、バグ……」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから」
アキオはしゃがみこんでエイジの背中をさすった。エイジは再び空気を深く吸い込み、呼吸と思考を整える。
「やられました。バグが、コズ……あ、いや、対象者に化けてたんです」
「なんだって? 化けてた?」アキオが怪訝そうな表情で聞き直した。
「はい。そっくり、というか見た目は対象者そのものでした」エイジはゆっくりとベッドから降りる。
「バグが対象者に化けるなんて、聞いたことないぞ。前例がないだけでそういうケースもあるのかな? ……それで近づいちゃって攻撃を受けたってことかい?」
「いえ、直接バグに攻撃されたわけじゃなんです。ダイ場にいる同級生たちを操ってるみたいで、そいつらにやられました」
「えっ!」アキオが弾かれたように立ち上がった。
「それにダイ場の操作もできるみたいですよ。ほら、俺がちょっと前によく夢の中でやってたみたいに目の前に壁を作ったり……」
「ちょ、ちょっと待って!」慌てて両手を前に突き出しエイジの話をさえぎった。
「ダイ場を操作だって! おいおい、ちょっとこれはシャレになんないよ! そんな力を持ったバグなんて今まで聞いたことない! やっぱり今回の任務は危険すぎる。そんなとんでもないバグを撃退できるダイバーなんてこの世にいない!」アキオが興奮したように捲したてる。
「でもバグのいる場所は分かってるんです。不意を突けば……」
「いや、きっと奇襲も通用しないな。ダイ場を操作できるようなバグなら君がダイブした時点で気づかれるだろう。……今回のバグにしてみたら僕らダイバーなんて箱に閉じ込められたネズミみたいなもんさ。簡単に殺されてしまうよ」
「そんな……。何かないんですか? 例えば弱点や何か……」
「残念ながらそういうのはないよ。前にも言ったと思うけど、バグに対する研究は中々進んでいないんだ。弱点どころか有効な対処法も発見されていない」
「それじゃあバグに対抗できる強力な武器だとか」
「それもないんだ。あまりに複雑な機構を持つものを持ち込もうとすると、ピロウの処理能力が大幅にダウンしちゃってダイ場がとても不安定になる。スリープガンが今の所限界だよ」
「くそっ、なんだよ! どうしようもできねえじゃないか!」エイジはシンクベッドをガツンと叩いた。
「……エイジ君、残念だけど、相手が悪すぎる。これ以上は君にダイブさせるわけにはいかない。ただでさえ撃退するのが不可能に近いのに、今回はとびっきりに凶悪なバグだ。ここから先は僕らの手に負える問題じゃないよ」
「でもそれじゃあのキリュウジ支所に持って行かれるだけじゃないですか!」
「だからって、このまま任務を続けさせるわけには行かない! 一度冷静になって考えたほうが……」
「アキオさんには分かりませんよ! 身近な、大事な人間がバグに殺されそうになっているんですよ! そんな簡単に諦めるなんてできるわかよ!」思わず熱くなり、大声で怒鳴るエイジ。ベッドルーム内の空気が静かに流れる。
「分かるよ」
アキオがポツリと言った。
「分かるよ、僕にも。……僕の弟もさ、二年前だったかな? バグに殺されちゃったんだよ」
「えっ……」
「僕と違って良くできた奴でさ。自慢の弟だったんだよ。でもある日突然体調を崩した時があってね。その日の夜に分かったんだよ。弟にバグが出たって」
エイジは何も言えずただ黙って突っ立っていた。
「僕もなんとかバグを撃退しようとしたんだけどね。結局ダメでさ、それでこの有様だよ。はは」そう言いながらアキオはだらんとした右腕をエイジの方に向けた。
「バグのせい、だったんですか……。でも身近な人間へのダイブは原則禁止だって……」
「そうなんだけどね。まあ、やっちゃったんだよ。マズい事をさ」
「マズい事、っていうのは?」
「まあ……、影踏みだよ」
「えっ! それって……!」影踏みの意味を思い出し、エイジは愕然とした。
「うん、ピロウを使わずダイブしちゃったの。重大な違反行為さ。本来なら僕はここにはいないんだけど、事情を察した所長が必死にかばってくれてね。本当に所長には頭が上がらないよ。……でも、それでもどうにもならなかった。ピロウを使えないわけだからスリープガンもないし、オペレーターもいない。元々勝ち目はなかったんだよね。……結局弟はバグに殺された上に、僕の右腕も壊されちゃった。いや、右腕だけで済んだと喜ぶべきかな」アキオが動かない右腕をそっと撫でた。
「でも今回のバグは僕の右腕を持っていったやつとは比べ物にならないよ。今回は運が良かったけど、これ以上ダイブを続けたら間違いなく死ぬよ」
エイジは言い返すことができなかった。ベテランで豊富な経験を持つアキオでさえもバグには敵わなかった。まして、今回の相手はとびっきりだ。半人前のエイジがどうにかできる問題ではないのは分かりきったことだ。
「……それでも」エイジが顔を上げまっすぐアキオの顔を見つめた。
「それでもやっぱり引き下がれません。俺がまともにどうこうできるレベルじゃないってことはよく分かってます! だからってそう簡単に他人に任せるわけにはいきませんよ」
「多分次は死ぬよ?」アキオが冷たい声で言った。
「他のダイバーだったら確実に死にますよ」
「……エイジ君、〈カフェ・REN〉に行こうか」
「やっぱりダメ、ですか……」
「何いってんだよ、こんな所にいたって仕方ないだろ? 〈カフェ・REN〉で作戦考えるんだよ! 元オペレーターのマスターの知恵も借りたいし」
「アキオさん……!」
「このままだったら君何をするか分かったもんじゃない。僕もバグには因縁があるし、もうこうなったらやれるとこまでやってやろうじゃないの」アキオがドンと拳で胸を叩いた。
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