第23話

「また学校かよ……」

 三階建ての白い建物、その前方に円形の花壇、そしてエイジの周りには目の前を通り過ぎてゆく学生たち。ダイ場は昨日と全く同じものだった。

「アキオさん、ダイブ成功しました。ダイ場は昨日と全く同じですね。俺の……あ、いや対象者の高校です。二回連続して同じダイ場ってあるんですか?」

「滅多にないと思うよ。少なくとも僕は経験したことないな。……何か対象者にとって印象に残っている事でもあるのかなあ」

 エイジはコズエとのメールのやり取りの中で最近高校の頃の夢を見る、という内容のメールが送られてきたのを思い出した。ひょっとしたら前々からバグの兆候は現れていたのかもしれない。

「とにかく、対象者を探します」エイジはスリープガンをホルスターからサッと抜き出し、力強く握り締める。そして吸い込んだ空気を深く吐いてからコズエがいるであろう二年三組の教室を目指した。

 目的地である二年三組の教室だけは、昨日と様子が違っていた。教室の扉は閉じており、コズエをはじめ、中にいる生徒全員がそれぞれ自分の席に静かに座り、ゾッとするような虚ろな目でただ前を見据えている。まるで授業中のような光景だったが、教壇には教師の姿はない。もし教師がいたとしても、エイジの高校でこんな真面目な授業風景はお目にかかったことはない。

「対象者を確認しました。今の所バグらしき姿は見えませんね」

「わかった。でも注意してね。対象者との接触は避けたほうがいいな。無駄かもしれないけど視覚偽装効果を高めにするよ」

 今回はバグの観察とダイ場の状況確認だけだったが、エイジはその約束を守るつもりはなかった。他のダイバーでもバグを撃退することは不可能という話を聞いたからにはただ大人しく他人に任せる何てことはできない。

 廊下の窓ガラスから中の様子をうかがっていたエイジは意を決して扉をそろそろと開けると、ゆっくりコズエに近づいていった。

 一番後ろの席に座っているコズエのやや後方右側からそろりそろりと近づく。

 もう二、三歩でコズエの肩に手が届くという距離まで近づいた時、突然コズエが前を向いたままスッと右手を上げると、エイジの眼前に人差し指を向けた。

「アキオさんっ! なん……」いきなり教室にいる生徒全員が一斉にザッと立ち上がる。エイジは反射的に生徒一人一人にスリープガンの銃口を向けた。

 ただ一人、人差し指を向けたまま静かに座り続けているコズエの首だけがマネキン人形のようにギュルっと回りエイジの方を向く。その不気味な光景にエイジは言葉を失った。頭の中でアキオがエイジを呼び続けるが、それに返事をする余裕はとてもなかった。

 コズエがゆっくりと立ち上がる。それと同時にコズエの『表面』が古いペンキがボロボロと崩れるように剥がれ落ち、中からドス黒い人影がお現れた。真っ黒なツナギ、真っ黒な仮面。おまけに足元は靄のようなものが揺らめいている。

「お前っ! コズエに何しやがった!」銃口をバグに向け、目玉だけを動かしコズエの姿を探す。

 すると突然後ろの方で大きな音がした。音のした方に視線を向けると教室の入口側に置いてある掃除用具が入っているロッカーの扉が開きゆらゆらと揺れていた。ロッカーに入っていたのは箒やモップではなく、コズエだった。気を失っているのか、目を閉じ、ぐったりとしている。

「この野郎っ!」

 コズエの姿を見て一気に頭に血が上るエイジ。バグが飛び上がると天井にヤモリのようにベタリと張り付いた。銃口を上に向けて猛烈な勢いでスリープガンの引き金を連続して引く。だがバグはそれを信じられないほどのスピードでそれを全てかわす。

 銃声を合図にしたかのように生徒たちが一斉にエイジに向かって押し寄せる。たまらず廊下に飛び出すエイジ。しかし、暴徒と化した生徒たちは追跡をやめなかった。

「エイジ君! 大丈夫か? 今どうなってる?」

「やばいです! みんなが追って来ます! バグとか、同級生とか、とにかくやばくて!」やっとアキオに対して返事をしたが、動転してうまく説明することができない。どうにかしてアキオに状況を伝えようとすればするほど頭が混乱し言葉が喉につっかえる。

「とにかくすぐに離脱して!」

 言われるがままダイ場から離脱するため校舎を出ようとする。このダイ場が忠実に再現されているのなら、目の前にある渡り廊下を抜けた方が入口に近いはずだと一心不乱に走り続ける。追っ手たちはそれほどのスピードはないので、追いつかれる心配はとりあえずなさそうだが、問題はバグだ。バグが本気を出せばあっという間に追いつかれるだろうし、何より行動が全く読めない。とにかくこのダイ場から一刻も早く離脱しないと危険だ。

 エイジが渡り廊下の真ん中あたりまで来た時、突然前方に壁が天井からギロチン刃が落とされるように現れ、通路を塞いでしまった。

「ちょっと待て、嘘だろ! こんなことまでできるのかよ!」

 それはまるでエイジが自分の夢の中で夢の世界を操作する時と同じ光景だった。

 逃げ道を塞がれ、後ろを振り返る。追いかけてくる生徒たちはまだ来ていない。今なら間に合う、と来た道を急いで戻ろうとするが、今度は地面から壁が現れ、後方の道を塞いでしまった。

 校舎と完全に分断され、渡り廊下に閉じ込められたエイジ。残された逃げ道は窓だけだが、エイジがいる渡り廊下は二階。窓ガラスを砕けばハジかれるだろうが、今のコズエに負担になることは極力避けたい。どうしたものかと辺りをキョロキョロと見渡している時、上から何かがボトリと落ちてくる。

 バスケットボールほどの大きさのものが落ちると弾けてインクのように床を黒く染めた。べっとりとした不気味な黒い塊。しかも落ちてきたのは一つではなく、次から次へと降ってきては床にぶつかり、ベチャリと不快な音をたてる。

 床の色があっという間に黒で塗りつぶされる。黒い塊がムクムクと膨れ上がり、人の形になっていく。先ほどエイジを追いかけてきた生徒の一人だった。

 次から次に黒い塊は生徒たちになっていき、渡り廊下の中はまるで満員電車のようにエイジと追っ手の生徒たちでいっぱいになった。

 エイジは素早く銃口を窓ガラスに向けた。だが、エイジが引き金を引くよりも早く、背後から生徒の一人に腕を抑えられると地面に荒々しく叩きつけられる。受け身も取れず、背中を強打するエイジ。一瞬呼吸が止まる。

 なんとか起き上がろうとするが、そんな時間を与える間も無く、生徒たちが覆いかぶさるように飛び込んでくる。エイジは体を翻し、うつ伏せ状態になるのが精一杯だった。

 次から次に背中にズシン、ズシンと衝撃が走る。エイジの上には人間の山が出来上がった。頭に血が上り、肺が押しつぶされ、呼吸することもままならない。手足が徐々に痺れ感覚も薄れていく。

 やっとの思いで人の山の隙間からねじ込むようにスリープガンを突き出し、無我夢中で引き金を引いた。銃口から放たれた弾丸の何発かが窓ガラスを突き抜ける。その瞬間、視界にノイズが混ざり、体から圧迫感が消えていった。

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