第15話

「いらっしゃしませ。お二人様ですね。カウンター席になさいますか? それでもテーブル席?」

 マスターがアキオとエイジに声をかけた。さすがに店内は客の姿は一人もおらず、ジャズミュージックだけが静かに流れていた。

「おはようマスター! カウンター席、モーニングセット二つね。エイジ君、今回は初任務成功祝いだ! ここは僕が持つよ」アキオが胸を張って言った。

「ありがとうございます。いただきます」

 二人はカウンター席に腰を下ろし、おしぼりで手を拭う。アキオは顔や首回りまで遠慮なくゴシゴシ拭きまくっている。

「それで、どうだった? 初任務について、改めて感想を聞かせてもらおうかな。遠慮なく言ってくれたまえよ」

「なんでもいいんですか?」エイジがやや顔をしかめながら顎のあたりをポリポリ掻いた。

「もちろん! なんだっていいよ」

「できれば……、事前に説明が欲しかったです」

「ええ~! そんな感想? なんか僕が悪いみたいじゃん!」アキオは口を尖らせながら言った。

「だって、拳銃のこととか、ノンレムなんとかみたいなの、わからないことだらけでびっくりしましたよ」

「う~ん、実際に体で覚えてもらうのが早いと思ったんだけど、端折りすぎたかなあ……。よし、それじゃあ聞きたいことなんでも聞いてよ。分かること全部答えるから。どんと来い」

 アキオは胸をバンと叩きながら言った。

「それじゃあ……、まずあの拳銃について詳しく教えてもらえますか? 毎回あんな感じで任務を終わらせるんですか?」

「あれはスリープガンって言ってね、だいたい対象者に危害を加えるものに対して使うんだよ。今回で言ったら鎖でぐるぐる巻きにされた女だね」

「でも、あの時はどっちかって言ったら対象者の方が危険でしたよ? ナイフ持ってたし」

「パッと見はそう見えてもさ、結局はそのせいで対象者の深層心理に影響を与えることになるんだから、危害を与える存在ってことになるわけ。つまりそれをスリープガンで取り除くの」

「でも、目の前で撃っちゃって大丈夫でしたかね?」

「スリープガンにもちゃんと偽装効果が働いてるから大丈夫。対象者には君のことも君が撃ったということも見えてなかったはずだよ」

「それもやっぱりピロウの機能で?」

「もちろんさ。あ、ちなみにスリープガンで対象者を撃つのは厳禁だから。下手したら対象者も死んじゃうかもしれないし。おまけに一発でクビになっちゃうよ」

「だから! そういうの先に言っててくださいよ! あの時対象者を撃つところだったんですから」

「ははは。ごめん忘れてた。でもエイジ君、射撃下手だからなあ。撃っても当たらなかったんじゃない?」

「うっ……」エイジは反論することができず言葉を詰まらせた。

「お待たせしました。モーニングセットです。砂糖は入れずにそのままお飲みください」

 マスターがカウンター越しにモーニングセットを二人の目の前に差し出す。エイジには湯気が立ち上るブレンドコーヒーとメープルシロップがたっぷりかかったトーストのセット、アキオにはメープルシロップのトーストの代わりにハムエッグトーストのセットだった。

「これがこの店の定番モーニングさ。僕のがオペレーター用で、エイジ君のがダイバー用のモーニングセットね。あっ、ねえねえマスター聞いてよ! エイジ君ったらさあ、射撃の腕ひどいんだよ! ダイバーそのものの能力は高いんだけどさ」

「わ、わざわざマスターに言うことないじゃないですか!」エイジは耳を赤くしながら抗議する。

「まあまあ、初めてなら仕方ないですよ」マスターが優しい笑みを浮かべながらフォローを入れる。

「それにさ、対象者に話しかけておかげでセーフティバックまで使っちゃったんだよ。驚きだろ?」

「本当ですか? 初ダイブでセーフティバックを使った話は聞きませんね」これには流石のマスターを目を丸くした。

「つ、次からは気をつけますよ……」エイジは耳を赤くしながらコーヒーをすする。想像以上の甘さにエイジは驚いたが、その甘さは体にしみるほど美味かった。

「そういえば、所長も上手でしたよね? 射撃の腕」

「うそっ。所長もダイバーだったんですか?」マスターの意外な言葉にエイジは思わずコーヒーを吹き出しそうになる。所長が茶色のツナギを着て、スリープガンをぶっ放す姿を想像する。

「そうそう! 昔はね。ダイバーだけじゃなくて、オペレーターだってできるよ。もう反則的だね、うちの所長は」

「なんか意外ですね……。いや、でも案外似合ってるかも」所長に対して何処となく不思議な印象を抱いていたエイジだったが、今の話を聞いてより一層謎めいた存在になってしまった。

「それと、ノンレムなんとかとかってやつの事なんですけど」

「え? ……ああ、ノンレム睡眠期のこと?」

「それです! そのノンレム睡眠期ってのに入るとき、体がバラバラにされそうだったんですけど、毎回あんな感じなんですか?」

「そうだねえ……。ノンレム睡眠期に入る時っていうのは、安定しているダイ場が崩れてまた新たにダイ場が形成されるってわけだからね。ある程度の衝撃が起きるのは仕方がないんだよ。下手なダイバーはハジかれることもあるくらいだから。それから体がバラバラにっていう感じはエイジ君が無意識の内に自分の体を強く意識しているからだと思うよ。当然だけど夢の中には手も足も頭も存在していないんだ。存在しているのは意識だけ。ま、それだけエイジ君のダイ場に関する認識能力が高いってことじゃないかな。直に落ち着いてくるさ」

「やっぱり慣れ、ですか?」

「うん、そういうこと。心配することないよ。まあ、ダイバーとしての一連の流れを言うとさ、まずは対象者の夢にダイブ、それからダイ場の状況報告と対象者を発見する、それからしばらくは対象者を監視して、ノンレム睡眠期に突入する。もしそこで対象者に危害を加えるものが出たらそれをスリープガンで取り除くってわけ。わかった?」

「アキオさん、エイジ君にダイブの絶対原則は話したんですか?」

「危ない危ない、忘れるところだった! ナイス、マスター!」ハムエッグトーストにかぶりついていたアキオはマスターに向かって親指を立てる。

「絶対原則ですか……。なんだか重要そうな話ですね」

「すんごい重要! いいかい、まず一つ目、ダイ場に滞在できるのは対象者とダイバーのみ。二つ目、漂流者……は説明したよね? 対象者とダイバーと漂流者一名のみが滞在可能。そして三つ目、漂流者は意識のみの存在なので、複数名の漂流者と対象者またはダイバーが滞在可能。最後四つ目、対象者の中にダイバーが滞在してしまえば、他のダイバーはダイブする事ができない。それが〈影踏み〉を行った者であっても例外ではない。……マスター合ってる?」マスターが静かに頷く。

「専門用語多すぎて……。つまりどういうことなんですか?」

「まあ、早い話がさ、対象者のダイ場にダイブできるのは一人だけってこと。二人目からはダイブすることができないの。流石のピロウも二人分の意識を電気信号化して対象者にシンクロさせるのは無理だってこと。対象者へ流れる意識の情報容量も大きくなるし。漂流者は別だけどね」

「どうして漂流者はそれができるんですか?」

「漂流者はピロウが電気信号化してるわけじゃないからね。それに漂流者は生身の人間と違って意識の容量がかなり軽いから対象者への負担も少ないらしいよ」

「ふ~ん。ダイ場に滞在できるのは、対象者とダイバー一人、もしくは対象者とダイバー一人と漂流者ってパターンですね。……それでその、〈影踏み〉っていうのは?」

「〈影踏み〉っていうのはね、なんていうのかな、無許可でダイブをすることを〈影踏み〉っていうの。まあ、密入国者みたいな? まあ、DSAのベッドルームからダイブしないと大体〈影踏み〉って行為に当たるかな。これも生身の人間がやるわけだから実質二人のダイバーがダイブすることになるから容量オーバーだね」

「ああ、前に言ってましたね。昔のダイバーはその〈影踏み〉ってやつをやっていたんでしたよね?」

「そうそう。今では重大な違反行為として罰せられるようになってるんだ」

「DSAのダイバーだけじゃなくて、一般人が知らないうちに〈影踏み〉しちゃうこともあるってことですか?」

「まずない。そう簡単にできることじゃないからね、〈影踏み〉は。ピロウ使わないから肉体にかかる負担も大きいし、ダイ場も不安定になるからハジかれやすくなるって話。知らないうちにっていうのはないと思う。まあ、一般人で無意識に〈影踏み〉できるような人間は即スカウトされるだろうけどね、そんな優良物件」

 確かに、夢のコントロール能力に長けているエイジでも自力で他人の夢に侵入することなんて一度としてなかった。アキオの言うとおり、そんなことが無意識でできる人間は間違いなくDSAのダイバーになるべきだ。

「さあて、講義はこれくらいでいいかな? マスターのモーニングも食べたことだし、僕はそろそろ帰って一眠りするよ。エイジ君、今どう? 眠いかい?」

「いえ、それが全然」エイジは眠気を感じるどころか、むしろ高揚感さえ覚えている。いつものどんよりとした体の疲労感もまるで感じない。

「やっぱりか。ダイバーは任務の後はよくそうなるんだよ。ダイバーズハイってやつさ。エイジ君もとりあえず帰って休んだ方がいい。大丈夫、今日はぐっすり眠れるよ」

「う~ん、例の潜熱病は大丈夫ですかねえ?」エイジが顔をしかめる。

「大丈夫! 九分九厘解消されてるよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る