第59話 陽が暮れてしまう前に、伝えられたならどれだけ幸せか。
脇を通り過ぎていく風が肌寒い。
連れられるままにやってきたのは、いつもの場所。私たちのお気に入りの場所とでも言いましょうか。中庭の大きな木の下でレオノーラ様とエルフリーデが向かい合っています。
時間はもう良い頃合い。
学友たちも自分たちの予定を消化するために動いているのでしょうか、周囲に人の気配は感じられません。
人気のない空間、そして暮れ泥む空に視線を奪われそうになる。でもどうにか今回だけは目をそらしてはいけないと思えてしまった。
先日の出来事を見逃したが故に大きな悔いを残してしまった。
だから今回は……絶対に一言たりとも聞き逃してはいけないのだ。
投げかけられた言葉はあまりにシンプルだった。
「そばにいてください。私の……そばに」
でもそれが何を指し示しているのかなど、誰もが理解出来るでしょう。
それほどまでに、言葉の主の様子はおかしなものだった。
違うな。おかしいではなく、『見たこともないほどに舞い上がっている』と言った方が正しいのかもしれない。
この数年間、彼女のことを見続けてきました。
最初、エルフリーデに突っかかってきた時。
夏の暑い日に顔を真っ赤にしながら走り回っていた時。
彼女の、エルフリーデに対する気持ちが明確なものになった時。
全ての時でも彼女は冷静な部分を残していた。常に周りを見つつ、最善の手立てを打ってきたと、私は思っています。
しかしそんな彼女が、レオノーラ様が今日言い放った言葉はあまりに普段と違いすぎる。
彼女たちを見つめながら、そう思えて仕方がなかったのです。
レオノーラ様に連れられるままであったエルフリーデも、突然の言葉に目を丸くしてしまいます。
それでもこの言葉はエルフリーデには少し都合の良い言葉だったのかもしれません。
「えっと、もういますけど?」
きっと、冗談で済ますことが出来る。エルフリーデはそう考えたに違いありません。
この状況から逃げ出すための軽薄な言葉に私自身は閉口してしまいましたが、レオノーラ様は彼女をジロリと見つめ、何も言葉を発しません。
この状況、どこか既視感を覚えてしまいますね。
考えるまでもなく、それはお屋敷のお庭でよく目にしていたこの光景だ。
真面目に、でもどこか抜けたことを口にするエルフリーデを、少し棘のある言葉で嗜めるレオノーラ様。
しかしいつものやりとりは完全に通用しない。それを求めてはいない。
真剣な瞳でそう訴えかけるレオノーラ様に、冗談を言い放ったエルフリーデも慌てて、
「ご、ごめんなさい! 別に冗談を言っているつもりは一切ないんですけど」
必死に取り繕っていますが口からこぼれた言葉は取り戻すことはできません。
それに気が付いたからこその焦りなのでしょうが、もう少し考えて欲しいところではあります。
「まぁ、そうですわね」
溜息まじりに「貴女はそう言う人ですものね」と苦笑するレオノーラ様。これも長年の付き合いだからこそ分かってくることですよ。エルフリーデには反省をしてほしいものです。
しかしいつもであればそんな小言をチクリと刺されてお終いになるはずの会話も終わることはありません。
「でも、今日くらいははぐらかさずに聞いてくださいませんか?」
「は、い……」
レオノーラ様特有の圧力とでもいうのでしょうか。エルフリーデもさすがに肯定の言葉しか口に出来ません。
しかしそれで上手に会話が回るはずもなく、辿々しさが二人の間に重く横たわってしまいます。
……あぁ、もう! 仕方がないですねぇ!
そう思ってしまうと自然と私の脚はレオノーラ様の方に伸びていました。
彼女の足元にまで近寄り身体を彼女に預けながら、短く鳴き声をあげます。
この声をきっかけにしてくれればと。勇気を出したのであれば迷わずに進んでほしいと。
これは淡い期待だ。そして気付いてしまった。
私は思った以上にレオノーラ様に肩入れしてしまっている。
差を付けるだなんて言語道断かもしれないが、私はレオノーラ様にこそ幸せになってほしいと思ってしまっているのだ。
あぁ、気付くべきではなかった。理解するべきではなかった。
しかし私の動揺を無視し、話は続いていく。
私の行動を励ましと考えてくれたのでしょう。少し落ち着き払いながらレオノーラ様は木の下に腰掛けます。
「もうどれくらい経つでしょうか。貴女に初めて会ったのは」
視線はエルフリーデではなく、顔を隠しつつある夕陽に向かっています。
エルフリーデはレオノーラ様の隣に腰掛けながら、どこか懐かしむように続けます。
「丸々三年くらいですね。その事は目紛しくいろんなことが身の回りで起こっていた時期で、息つく暇もありませんでした」
「そうね、あの頃に比べると……あら、貴女は別に何も変わっていませんね」
「そんなことないですよ。わたしだって少しは……」
そこで語気強く否定することが出来ないのは、先日のハルカさんとのやり取りから自分が成長していないのではないかという意識があるからでしょう。思わず口籠るエルフリーデに「あの頃から、貴女は何も変わらない」と呟いた後、これまでにない真剣な瞳を見せるレオノーラ様。
「私が好きになった時のまま何も変わらない。貴女はずっと……私の中で特別な人なのです」
刹那、完全に夕陽が顔を隠し、彼女たちの表情を見とめることが出来ない。それでもエルフリーデの浮かべたものだけは、私にはハッキリと分かる。
既に気付いていた思いではあるが、ずっと目をそらしてきたものをありありと見せつけられた時の複雑な表情だ。
しかし続く言葉に、さらに彼女の表情は凍っていくのでしょう。
「でも貴女は違うのでしょう?」
それは本当に、言われてはいけない言葉だったのですから。
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