第52話 宵闇の忍び込む教室、決別の後……ですね。
一言あれば全ての主導権を奪い去る事ができる。
これは主人公であるが故の特権なのか、それとも意外性のある言葉だったからなのか。
今の私はそれを正常に判断する事はできないでしょう。
ですが事実として今、ハルカさんの放った言葉にエルフリーデとテオさん、そして外野である私までもが動けずにいました。
ただ意外性があるだけであれば、勢いだけでなぎたしてしまう行動力を持っているのがテオさんの厄介なところ。
私たちが動けないままでいる理由はただ一つ。彼女の、ハルカさんの全てから伝わってきたからです。
それを表現する言葉は数多くあるのかもしれません。
でもどうしたってそれを正しく言い表すことなんて出来ようがないと、ついぞ諦めてしまうくらいに、彼女の放つ空気に私は言葉を失ってしまいました。
しかしそんな中でどうにか動こうと、何かを口にしなければと必死な表情を浮かべるテオさんは恐る恐る口を開きます。
「……は?」
なんとも間抜けな言葉ではありますが、正直無理もないと同情をしてしまうほどに、彼の動揺は凄まじいものでした。
きっと彼の頭の中では様々な言葉が行き交っていることでしょう。
ハルカさんを宥めるための言葉、称賛するための言葉、愛を囁くための言葉。
ですがこのような状況を打開する言葉をきっと彼は持ち合わせていないのでしょう。
それほどまでに恋という病が彼を盲目にしてしまったのか、はたまた生生の性格からなのか、何度も言うようですが私には分からないままでした。
少しずつ橙の灯が教室を染め始め、所々に翳りを作り始めます。
まるでこの場にいる全員の心象を映し出すような情景に、息を詰まらせながら視線を上げると言葉を放った時と変わらない厳しい表情を浮かべているハルカさんは呆れたように息を吐き出します。
「本来ならば……」
矛先はテオさんに向けられています。
「本来ならばこんな事は言うべきものではなないとは存じ上げています。しかし・・・・・・」
この先に続く言葉は間違いなく彼を傷付けるものである事は、誰もが分かることのはずでしょう。しかしハルカさんの言葉にテオさんは瞳を輝かせます。ここまで全く相手にされていなかったから感覚が麻痺してしまっている可能性は否めませんが、それでも彼は一歩踏み出すのです。
きっとこの後、自分自身がどんな目にあってしまうのかなど想像することもなく。
「な、なんだろうか。グライナーさん」
辿々しくはありますが、やはり言葉の端々から期待がにじみ出ているテオさんにハルカさんは更に不快感を顕にします。
「……やはり、気に入りませんね」
ついぞ口をついたのはシンプルに受け手を傷付ける言葉。ですがそれでも構わずテオさんは自分の調子を貫こうとします。
「そんなことを淑女がいうものではないよ。それよりも楽しく話をしようじゃないか」
この状況でよくそんな言葉が出るものだなと、なんとも剛気であるなと感心すらしてしまうテオの態度。
「貴方が貴族様だからと言って、もう取り繕う事はしません。茶化さないでください」
しかし歯が浮くようなそんな態度も、今のハルカさんには無意味というもの。
そしてテオさんを睨みつけたハルカさんが言い放ったのは、これまでの態度をハッキリとさせるものでした。
「貴方様からは下劣な何かを感じます。出来れば貴方のような方とは触れ合いたくはありません」
「げ、下劣などと! そんなものは……」
「ないと言えるのであれば堂々としていてくださって結構ですわ」
しかし私の考えは変わりませんと、ピシャリと言い放つハルカさん。
これはどうしようもないとテオさんも考えたのか、ハルカさんに向けたままだった視線をエルフリーデに向け、懇願するように声を上げました。
「カロリング嬢!」
「リヒトホーフェン様……さすがにちょっと」
「何故だ! 協力してくれると言っていたではないか?」
「ちょ!」
あの時の会話をここまで都合良く解釈する事ができるものなのでしょうか。
何よりエルフリーデを都合良く使おうとする彼の態度に怒りを覚えますが、ここはグッと飲み込み、あえて私は沈黙を貫きます。
理解していますよ。助けを求めるエルフリーデの視線も無視している事は。しかし私が手を出して良い状況ではない。
むしろ私が手を下してはいけない状況だと言ったほうが正しいかもしれません。
「―――へぇ。協力、ですか。それは詳しくお伺いしたいですね。ねぇエルフリーデ様?」
「えっと、それは……」
何かハルカさんに言いたくて、でも何を言っても言い訳になってしまう。エルフリーデのそんな気持ちが痛いくらいわかったのでしょう。ハルカさんはエルフリーデの手を取り笑顔を作ります。
「いいのですよ。でも、しっかりお話だけは伺いますからね」
一瞬エルフリーデの顔が歪んだように見えました。申し訳なさそうに、どこか泣いているように見える。
ですがこんな状況をそのままにするほど、もう一人は空気が読めるわけではないようです。
「なら私も! 弁解のチャンスをくれないか? きっと話せばわかってくれるはずだ!」
テオさんが吠え、手を取り合ったエルフリーデとハルカさんの間に割って入ろうと迫ります。ですがこの状況においてはハルカさんの方に地の利がある。エルフリーデの手を握ったまま詰め寄るテオさんの脇をすり抜け、再び彼を睨み付けています。
どうにか話を切り出そうとするテオさんでしたたが、
「グライナーさん、だから」
ハルカさんはエルフリーデの手を握っていない方の手を上げて彼を黙らせ、
「……はぁ、本当に空気の読めないお人なんですね」
そうキッパリと、これまでにないほどに冷たく言い放ちました。
「邪魔をするなと、申し上げているのです。いい加減にしていただけませんか?」
ハルカさんの冷ややかな様に比べ、テオさんは声を荒げました。
「―――ッ! 貴様」
プライドを傷付けられ、取り繕う事も出来ないのでしょう。テオさんはこれまで見せていなかった苛立ちを表情いっぱいに浮かべています。
それでもハルカさんは淡々とテオさん見据えて淡々と呟きます。
「それですよ、私が貴方を寄せ付けたくない理由は」
「な、何をいっている! 私はただ!」
「そのように人を道具のようにしか見ていない態度、そしてあっさりと掌を返すようなやり方……同じ人間として軽蔑します」
「……そ、そんな……事は」
そう言い放たれついにテオさんの動きが止まってしまう。
最早何も言い返す事が出来ないと理解してしまったのでしょう。端から状況を見守っていた私ですら、彼の中の怒りに似た感情が自分自身に対する不可解な疑問に染められていくのは想像に容易いものでした。
しかしハルカさんは追撃の手を緩めません。
「治してほしいとも思いませんし、今後貴方がどうなろうと関係ありません。ただ、これ以上、そしてこれから先、私たちの邪魔だけは……絶対にしないでください」
決別とすら受け取ることの出来る言葉を淡々と、感情を感じさせないままに言いおき、エルフリーデの手を引いて教室を後にしたのです。
彼女たちの去っていた教室の扉を見つめながらテオさんが何を考えていたのでしょうか。
全ては毒々しさを増していく橙に染め上げられて読み取る事は出来ません。
ただ呆然と、何も出来ずに立ち尽くす彼だけが教室に更に濃い影を作り出していたことだけは誰の目にも明らかでした。
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