第41話 避けることのできない事態も必ず起こるものです。


 陰口とはどういったものを想像するでしょう。


 姿を見せないように誰がいったかをぼんやりとさせるからこそ、矛を向けられた側には強い衝撃があるはずなのです。


 しかし今、エルフリーデを取り巻く状況はそれとは少し違う様相を呈していました。


 陰湿に呟かれるはずのその言葉は、大きな波となって喫茶室の端まで響き渡る。それに呼応するように、クスクスと生徒たちの笑い声が耳に届く。


 そうなってしまえば最早歯止めになるものはありません。


 周囲からは口々にエルフリーデに対する中傷の言葉を発し始目ました。



 耳にするだけで不快感を覚えてしまう言葉たち。きっと言葉を投げつける側には理解できないのでしょう。

その言葉たちがどれだけ滑稽に聞こえるのかという事を。

そしてそれにつられて笑みを浮かべる自分たちの不気味さを。



そんな彼ら彼女らを見ていると、色々な言葉が頭をよぎります。


 このままで良いのか? 止めなくて良いのか? 彼女が可哀そうではないのか?



 しかしその言葉たちに断じて『否』を突きつけて、何も動くことはしません。

 先日のいざこざで思い知らされたのです。

 きっと一時の感情に身を任せてしまったが最後、エルフリーデを傷つけてしまいかねないと。


 だからこそ今は我慢するしかない。


 今にも床を蹴ろうとする後脚を留めながら、視線をエルフリーデに向ける。


「……はぁ。それは、申し訳ないです」


 自分に対する中傷は全てこの冷めた一言で切って捨てた。

 視界に入るその表情はこの状況に特に感じるものはないと言わんばかりのもの。ウェルナー様とレオノーラ様が早く戻ってこないかと、ただそれだけを考えているものでした。


 すっかり言われ慣れてしまったというところもあるのかもしれない。しかしそれにも増して二人が戻ってくるのを心待ちにしているのでしょう。


 だから不意に投げつけられた『自分に対して』ではない中傷に心を動かしてしまった。


「それに飽き足らずグライナー商会の跡継ぎとも媚を売っているとか」

「まぁ! 卑しい身分の方とも関係を持つなんて……」


 誰が言ったのか。甲高いその声が周囲に響いた瞬間、ドッと笑い声が部屋を侵食していく。

一体何がおかしいのか、素直にそう思うのと当時にカタカタと脚が震え始めたのを感じる。これは到底我慢できたものではないはずだ。


「……何、言って……」


 それはエルフリーデも同様でした。


 ハッキリとわかる。これは怒りの感情だ。

 キツく結んでいた唇から発せられる声がそれに震え、抑えようもない感情を示しています。


「何言ってるんですか? 身勝手なこと言わないでください!」


 キツく吊り上げた視線が誰だと言わんばかりに周囲を睨みつける。


 そう。自分のことであれば感情は動かさない。しかしそれが自分のせいで他の人間が虐げられるのは我慢ならない。

 その信条があるからこそ、彼女は声を荒げずにはいられなかったのでしょう。


「卑しい? 誰のことですか? わたしの友達を……そんな風に言う人を許せませるほどわたしは馬鹿じゃありません! そうやって隠れてでないと何も言えないの? それでよく貴族だなんて名乗れますね。そうやって人のことを嘲笑して……それこそ恥ずかしいことではないですか!」


 ライバルであるからこそ、『ハルカ・グライナー』という人物を知っているからこそ、身勝手なその悪意に満ちた言葉を受け流してはいけない。

ただその一心で彼女は大声を張り上げる。


 突然のエルフリーデの怒号にケラケラと笑っていた周囲も一瞬息を潜め、彼女に視線を注ぎます。まるで針の筵と言わんばかりの状況だろうが、息継ぎもなく一気に言葉を吐き出し、肩で息をする彼女にはそれらを気に掛ける余裕はありません。


 普段言われるがままの彼女を全員が認識していただけに、突然の反逆は予想もしていないことだったのでしょう。少し良い気味だと思えてしまう。


「何を偉そうに……」


 そう簡単に全てが丸く収まるはずもない。この一言に、周囲は再燃していく。


「自分こそ、殿下達の腰巾着のくせに」

「権力に媚を売る方が卑しいですわ」


 その言葉たちから一様に伝わってくるのは『エルフリーデが気に入らない』という感情。確かに一介の侯爵令嬢が王太子た公爵令嬢から優遇されてもいれば、周囲から反感を持たれるのも無理はない。


 だが私はやはりこの状況に首を傾げてしまう。


 考えても見て欲しい。

 確かに大半の人間からは気に入られていないのが現状のエルフリーデを取り囲む状態です。しかし中にはエルフリーデが気になる、もしくは無関心という人間もいて然るべきのはずなのです。


 それが満場一致で良くない感情を抱かれている……誰かが操作しているとしか思えない、できすぎた状況ではないでしょか。


 だとすればやはりその手綱を引いている人が必ずここにいるはず。


 そう思った瞬間、これまでにない、一層通る声が響きます。




「皆さん、さすがに可哀想ですわよ」




 聞いたことはない。でも知っている声。

 知りたくはない。でも覚えている声。



 それに続いて強気に床を叩く音で人垣が割れ、ゆっくりと私たちの前に一人の少女が姿を見せます。


 可能であればずっと会いたくはなかった。


「……エリ、カさん」


 彼女の名は『エリカ・フォン・リヒトホーフェン』。



 『ときめき☆フィーリングハート』でエルフリーデと同じく、悪役令嬢の『取り巻きその2』の役割を担わされた人物なのです。

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