第34話 意思疎通が出来ないのは苦しいものです。



 テオさんの瞳に宿る苛立ちの炎。

 それを目の当たりにして、言葉を詰まらせてしまっているのは私だけ。


 彼の怒りは他の人の預かり知らぬところ言うのでしょうか。この様な時だけは、自分と他人の視点が違うことに辛さを感じてしまうところです。


「だから良いって言ってるじゃないですか! 気にしないでくださいよぉ」


 そんな中に我がご主人様のこの言葉である。神経を逆撫しているにも程がありますよ。

 ですが心の底から大した事はないと思っているのですが、そう言われた側はどう思うでしょうか。

 もう少し考えて言葉を選ばなくては、敵をたくさん作ってしまうことになりますよ。

 それにテオさんの苛立ちについても伝えなくてはいけないと思いながら、彼女に向かって短い鳴き声を投げます。



「あぁ、そっか……」


 どうやら私の声に、自分の発言が少し考えなしだったと気づいてくれたのでしょうか。少し咳き込みながら難しい顔をしています。


 やはりどの発言でもしっかり考えて話さなくてはいけませんからね。

 ここは淑女らしく、お淑やかにお願いしますよ。


「気になさらないで下さい。仰って下さった通り、淑女にあるまじき行動であったことはその通りですから」


 当たり障りのない、でもしっかり自分の非は認められているのではないでしょうか。こちらもきちんと謝罪をすれば場も治るかもしれませんからね。


 まぁこちら側の意図が伝わればの話ですが……


「貴女がそれでいいのなら……かまいませんが。テオ、次はないぞ?」

「はい、しかと心に刻みます」


 うむ。アーベルさんはこちらの意図を読み取ってくださっている様ですね。

 これには私も安心して深いため息が溢れてしまいました。まぁここからは特に事件も起こらないでしょう。





 なんて、そう思い込んだ私を叩いてやりたいですよ。

 どうやら私はこの数年で思いの外、脳天気になってしまったようです。





 その切っ掛けとなる言葉は、こんなありふれた言葉でした。


「しかしカロリング嬢、テオをご存じだったのですね」

「え、えーっと」


 私たちの好きなアニメのキャラクターですからね! テンションも上がるもんですよ! そう言えればどれだけでしょうか。


 さすがにこれ以上不用意な発言もできないと思っているのでしょうか、言葉に詰まってしまうエルフリーデ。

助けてあげたいところではありますが、私にはどうすることも出来ず彼女の足元で慌てる表情を見上げるしか出来ません。


 しかしそんな私たちの考えをよそに、話はどんどん進んで言ってしまうのです。


「ということはヘレナもご存じでしたか?」

「……ヘレナ、さんですか?」

「えぇ。ここにいるテオの双子の姉弟なのですが……まぁ私の婚約者に当たりますね」

「そ、そうなんですか……あれ? あ、はい」


 その言葉に私は、いえきっとエルフリーデも同じ様に身体が強張っていきます。


 『ヘレナ』さん。


 それは以前、アーベルさんの家名を耳にした時と同じモノでした。

 どうにも耳馴染みの良い、いや……違う、耳馴染みじゃなくて、『見慣れた』とでも言えば良いのでしょうか。


「お話をしたことはありませんけど……存じています、ね」


 どうにも歯切れの悪い回答。

ですがこの話を続けてしまって、彼女に会ってしまおうものなら、お話がややこしくなってしまうと言うのが火を見るよりも明らかだと、そんな実感があるのです。


 可能な限りこの件に触れたくないなと、私はずっとそう思っていたので何もしないままでいたのです。

 エルフリーデにも同じ実感があるのでしょう。声を発することも忘れて、アーベルさんとテオさんを交互に見ています。


 そんな私たちの様子を不思議そうに見ていたアーベルさんでしたが、ふと思い出したようにテオさんに尋ねます。


「テオ、ヘレナはどこにいるか知っているかい?」

「姉上ですか? 確か公爵令嬢の茶会に参加すると言っていたが」


 と言うことは、先ほどの人だかりの中に『ヘレナ』さんもいたのでしょうか。

 今後レオノーラ様とお会いする時には、おそらく彼女と顔を合わせることになるのでしょう。


そこはアニメの筋書き通りなんですか? と思わず叫んでしまいたくなりますが、致し方ないことでしょう。


これは覚悟が必要になってくるかもしれません。


「なるほど。ではすぐには会えそうにもないか」

「そうなりますね。初めての茶会ということで、かなり気合を入れていましたから」


まぁどう振る舞おうと当人の自由ですからね。他人が口出しできることではありませんよ。

 もうその茶会で気に入られようという気持ちでいっぱいなのでしょう。うんざりとしたテオさんの言葉からもそれがひしひしと伝わり、アーベルさんも苦笑いを浮かべていらっしゃいます。


「では先に打ち合わせを終えてこよう。カロリング嬢、私はここで失礼させてもらおう」

「え、はい。アーベル様、またお会いしましょう」

「えぇ。ではまた」


 そう言い残し、キビキビと歩いていくアーベルさんを見送る私たち。


「……」

「……」


 何故でしょう。テオさんだけはアーベルさんと共に行かずにこの場に止まっていらっしゃいます。


 思わずうわぁと嘆いてしまいたくなるような状況があるとすれば、それはまさにこの状況のことをいうのでしょうか。

鋭い視線をエルフリーデに向けたまま、彼は突然不敵な笑みを浮かべます。


「なるほど、噂通りに、人にこびるのは上手なようですね」

「……」

「私は兄上のようにごまかされませんよ?」


 嘲笑、侮蔑、憤怒。様々な感情が詰め込まれたこの言葉に、黙りこくったまま彼を見つめ返すエルフリーデ。


 このような安い挑発にのる必要はないですよ。

 わざわざ反応してしまうことが、このような輩を一番喜ばせてしまうのですから。




「……ぐへへ」

「は?」

 は?


 まさか、テオさんと同じ反応をしてしまうとは。


「あ、っと。ごめんなさい、つい」


 それにしたって、エルフリーデさん……もしかして挑発にのらないために黙っていたのではない?

 まさか意地悪な表情を浮かべるとテオさんに萌えてたってことですか?

 貴女そんな癖まであったのですか?


 聞かなくてはいけない事が頭の中をグルグルと回っていきますが何から優先して良いのか本当にわからない状況ですよ。さすがに私も反応に困ってしまいます。


 アハハと乾いた笑いが中庭に空く響いていきますが、逆にそれが彼にとってはよかったのでしょうか。

咳払い一つ、一旦話を切り替えようと再び真剣な表情を浮かべるテオさん。


「この際だ。ハッキリさせておきたいことがある!」

「な、なんです?」

「貴女は『どちら』の味方なのだ?」


 ズイと詰め寄ってくる仕草からは、決して逃しはしないという気概が感じられます。

ですが『どちら』だなんて曖昧な問いに、果たしてエルフリーデが答える事ができるのでしょうか。


「……どちら? って、何です?」


 と、やはりこの回答。

 どうとでも取れるようなそんな問いかけをした方が悪いと思う一方で、この学園の状況を考えればカレが言わんとしていることは理解できます。


「わかりきったことを! 私を小馬鹿にしているのか!」

「違います、本当に分からないんです! ッ!」


 しかしその反応もテオさんにしてみれば惚けていると考えても不思議ではありません。エルフリーでを嘲笑っていたような表情は見る見るうちに怒りの色を濃くし、また一歩彼女に近付いていきます。



「そうやって惚けた態度で公爵令嬢や王太子に取り入ったのだろうが……私はだまされない!」

 なんと身勝手な物言いでしょう。それにこの発言がエルフリーではもとより、お二人を貶しているということに気づけないのでしょうか。


 思い出してみれば、アニメの中でもこのような思い込みで窮地に陥るテオさんを何度か見たような覚えがあります。


 そんなところはアニメのままって……つくづくご都合主義じゃないですか。


 それに本当にアニメのままならば、次にテオさんがとるであろう行動は手にとるように分かってしまいます。


「は? 一体何を根拠にそんなこと!」

「まだ惚けるのか、貴様は!」

「―――痛!」


 振り上げられたテオさんの手はエルフリーデの右腕を掴みあげ、


「無害なふりをして人に取り入っているのだろう。何というこ狡い女だ! 将軍の孫であっても関係はない。今この場で分らせてやろう!」


 とわざとらしい大声を上げて、ジリジリと自らの手に力を込めています。



 恫喝すれば怯んで素直に認めると思っているのでしょう。

 しかし元から取り入るなとどいう浅ましい考えを持っていないエルフリーデには理解できようはずもない。


頭の片隅に、そんな人間がいるということは理解していたとしてもそれを反面教師にしているのですから、こんな窮地の中ではそんなことすら思いつかないでしょう。


「だから……心当たりが!」


 こんな風に言葉足らずになってしまいますが、精一杯の言葉を返すエルフリーデ。

 ですが思い通りにならないテオさんは、さらに苛立ちを表情に出し、もう片方の腕を振り上げたのです。


「まだ言うか! ならば!」




 言葉で言いくるめられないからって、次は暴力ですか? いくらなんでもそれはやっちゃいけませんよ!


 その瞬間、自分が理解するよりも早く身体が動き始めていました。


 普段は嗜める為の鳴き声も

 優しく慰める為の前脚も

 そしてエルフリーデを見つめる為の瞳も


 私の中の全部が、全部が一つの色に塗り潰されたように染まっていきます。




すぐに目の前の男を止めろ。噛み付いてでも、怪我をさせてでも、何を犠牲にしてでも。





「―――ッ」


 あぁ、テオさんの驚愕の表情が視界に入ってくる。

 今更止められない。


 普段は咀嚼にしか使わない牙を剥き出しにしてします。

 今更止まらない。


 どれだけ怯えたって……今更止まってやるものか!





 しかしどういうことでしょうか。飛びかかったはずの私の身体はテオさんに覆いかぶさることなく何かに押し留められている様に、抱きしめられている様に感じます。


 ダメだ、まだ思考が落ち着いていない。いつもならもう少しマシなはずなのに。


 でも早く、早く動かないと! 早く、エルフーデを助けないと!

 そう気持ちばかり逸って、私は強引に自分を繋ぎ止めるものから逃れようと乱暴に身体を動かします。


 ですがどれだけ動き回ろうと、どれだけ乱暴に視界に入るものに爪をたてようとこの拘束は解けることはありません。

この状況に困惑していると「大丈夫です」と一言、耳馴染みの良い透き通った響きが鼓膜を叩きます。


 あぁ、真っ赤に染まった視界が正常に戻っていく。

音が波紋の様に、じわりと私の中に広がっていく。


 そうすると自然と身体を駆け巡っていた激流が収まり、正常な思考を取り戻す事ができたのです。


 全く、ついつい熱くなってしまったじゃないですか。

 こんな後ではバツも悪いですし。そうですね……じゃぁここはもうお任せしましょうか。


 私は犬然と待ての姿勢をとって声の主に場所を譲ります。

 その仕草に苦笑し、私の横を通り過ぎながら私にだけ届くように、こう呟かれます。


「あぁ、以前も同じことがあったような気がしますね」


 確かにそうですね。でもいいじゃないですか。


「ご機嫌よう、エルフリーデ様」


 どんなにお約束な展開でも、主人公が誰かを助けに来るなんて、胸が熱くなる展開なんですから。



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