第20話 話はようやく進み始めましたよ。



 自分の特権を活かす!



 つまり『何も考えていないフリをすること』です。



エルフルーデが見送っていた方に向かい、私は4本の脚を動かし、走り去った女の子を追っていきます。


正直心配なのですよ。自分が気付いていない感情に気付かされるということは、それだけでも不安になるはずです。だからこそ私が、この話の流れを理解していない私が行ってあげないといけない。私には、そう思えて仕方がなかったのです。


 でも正直に言いますけど、いきなり走り去るなんて。

しかも玄関とは違う方向に走っていっているのです。これでは帰ることもできないでしょうに……一体何をしたいのかしら。


 そう思っていたことは内緒にしてもらったとして……すぐに目的地には到着してしまったみたいです。




 お屋敷をグルリと半周した影に彼女は蹲っていらっしゃいました。顔は伏せておられ、表情を窺い知ることは出来ません。

ただ私の鼓膜を叩く音はどこか悲哀に満ちており、自分の感情の全て否定しているように感じられます。


 これはまずい……思って板以上に思い詰めていらっしゃる様子ですね。



「違う……私は、そんな事」


 どうしてもハルカさんから言われた言葉が気になっているのでしょう。頭を抱えながら考え込んでいらっしゃる様子はあまりに痛々しく感じます。


 でも言葉にされてしまっては意識せずにはいられないのでしょう。

 頭をかけながらブツブツ独り言を繰り返されるレオノーラ様には、いつもの悠然とした雰囲気を感じることは出来ませんでした。


「なんですか……突然側寄ってきて」


 ですが言葉ばかりはいつの強がり。弱々しい言葉を聞かれるわけにはいかなかったのでしょうか。気丈なフリをしていますが、表情もそして言葉尻もどんどん弱くなっていきます。


 決して強がる必要はないのに。

項垂れる彼女を目にした時、私の心を占めたのはそんな感情でした。



「許されない。えぇ、許されることはないのです。私はアーレンベルクのために生きているのに……」


 彼女はいつも貴族然として、公爵家の一員として生きている彼女にとって、自分の感情をあらわにされることは慣れたことではなかったのでしょうし、抑えて生きるべきものだったのでしょう。


 それがあまりに痛ましいのです。

 その感情には気付かさせたくなかったのです。

 だから、私は……彼女を本当に嫌いになることなど、出来なかったのです。



 吠えることも、鳴くこともなくレオノーラ様のそばに横になりながら、彼女を見つめます。


 沈黙が続いても良いのです。

 ただ今の私は何も出来ないなりに、レオノーラ様の側にいたいだけ。



 こんな言い方をしてしまうと一気にレオノーラ様がヒロイン然としてしまいますね。


「なんですか、そんなの優しくしたって何も差し上げられませんよ」


 そう憎まれ口を叩くレオノーラ様もやはりいつも通りの様子は見えてきません。

 ……気に入りません。この人は、これではダメなのです。この人は常に、悠然としていなくてはいけないのです。



 何を言われようと、私は視線だけは彼女に向けたまま離しはしません。

 何も出来なくとも、この視線が意味することを気付かせることはさせてくださいよ。


 そうすると、私の視線の意味に気付いたのかレオノーラ様は話始めたのです。


「いえ、ちがう……違うんです。私は、ウェルナー様を本当に好きで!」

 それが分かっています。今のあなたの貴女の息遣いも、その瞳もそれが真実だと告げているのですから。

私がわざわざ指摘しなくても既に、レオノーラ様は気がついていらっしゃるはずなのです。



「だからこれは友人に対する、もので……違う。これも違うんだ」



 そうです、貴女にはまだ早いのかもしれませんが……


「こんな気持ち、気付きたくなかった……」


 それでも、気付かなければエルフリーデと向き合うことは出来ないはずです。


「こんなにも、こんなにも愛おしいなんて……気付いてはいけなかったのに」


 きつく結ばれた唇から絞り出される言葉は悲哀に満ちて、認めながらも相反する気持ちを孕んでいます。


 なんですか、いまだに迷っているんですか?


 気に入りません……えぇ、そんな貴女らしくない姿は気に入りません。


 煮え切らない、そんな態度に思わず声を荒げたと同時に、レオノーラ様が伏せていた顔をパッとあげこちらを見ます。



 ようやくこちらを見ましたね。再度、私は声をあげます。


 驚かれようと関係ない。

 どんなお叱りを受けようと関係ない。

 ただ言葉として伝えられないから、吠えるしかない。


 気付いていけないはいけない気持ちなどないのです。

 貴族だろうと、平民だろうとそんなことは関係ないのです。

 ただ私は、自分の気持ちに素直になってほしいだけなのです。


 ……やってしまいました。これは、本当にやってしまいましたよ。公爵令嬢を威嚇したと知れれば、もう処分されることは必至です。


 さよなら、愛しのおじいさま。

 さよなら、エルフリーデ。

 そう覚悟してキツく目を閉じ最期の宣告を待っていると、聞こえてきたのは全く別の言葉でした。



「『常に側に置けば良い』。それだけでよかったのですわ」



 ……ん? 想定していた言葉と違うぞ?そこは『側にいられれば良い』じゃないんですかぁ?

 なんでそんな怖く的な表情を浮かべてらっしゃるんですか?


 これ、本当に起こしちゃいけない感情を呼びしちゃったかもしれませんよ。




「アーレンベルク様!」


 少し自分の所業に公開をしながら項垂れていますと、背後から聞こえてくる耳馴染みの良い声が響きます。

ようやくハルカさんの説得が終わったのでしょう。そこにはエルフリーデとハルカさんが立っていました。


「心配、かけてしまいましたわね」

「いえ。大丈夫、なのですか?」

「……とりあえずは、と言ったところでしょうか」

「……」

「心配なさらないで。大丈夫ですから」


 ……これ本当にさっきまで取り乱していた人と同一人物なのでしょうか?

 目尻には若干涙の筋も見て取れますが、気丈な態度はやはり貴族然とされています。


「は、はい……」


 おそらくエルフリーデも同じことを考えていたのでしょう。

 たどたどしい言葉からは、先ほど目にした困惑がまだ晴れていない様子が伺えます。


「……」


 一歩、エルフリーデの後ろに佇んでいたハルカさんは彼女の様子を見ても何も口にすることはありません。

それに気付いたレオノーラ様が先に声をあげたほどでした。


「貴女は何も言わないのね」

「えぇ、これは貴女様本人が解決すべき事ですから」

「言われなくてもそのつもりです!」


 先ほどからハルカさんの様子がツンケンしているように感じるのは気のせい……ではないですね。

 二人のやりとりを見て、みるみる我がご主人様の表情が怒りに染まっていきます。


「ハルカさん! なんでそんなに意地悪するんですか!」

「そ、そんなつもりはないでよ。ただの確認なのですから」

「相手の気持ちを考えて! ……すいません、はしたなかったですね」


 んー多分これは……皆まで言う必要はないみたいですね。

 だって我がご主人様の言葉に反省した様子を見せていたはずのハルカさんの表情は、ニヤリと口元を歪ませていらっしゃるのです。


 ご自身で仰っていた、『どんな表情でも愛おしい』と言うのはこう言う意味ですか?


 これはあまりに残念と言うか、主人公らしくないと言うか……ダメだ、言葉にするのは諦めることにします。



 ですが、諦めていない人がここに一人、我がご主人様の肩に手を置き一歩前に出ます。


「いいんですよ、エルフリーデさん」

「でも……」

「こんなことは私の力で解決できる瑣末事ですから」

「であれば…良いのですが」


 普段ならば力強い言葉なのですが、やはり先ほどの弱々しい姿を見ているだけに、その言葉を素直に受け取りことは出来ないエルフリーデ。それはレオノーラ様にも伝わっているのでしょう。

気まずい雰囲気が二人の間に流れます。


「一つだけ、エルフリーデさんにお願いがあるのです」

「え?」

「そうして頂ければ……頑張ることができると思うのです」


 何に頑張るんでしょうか? とツッコミを入れたくなる気持ちをぐっと押さえながら、3人の様子を見守るのですが、ここで横槍を入れるなんて無粋にも程があります。


今は黙って待機! それに限るのです。


「わたしに、叶えられることであれば……」

「私を……名で呼んでください」


 ……なんですか、それは。純にも程があるでしょう?

 エルフリーデもさすがにキョトンとした表情を見せていますし、ハルカさんに至っては……このヘタレがと言わんばかりの苛立った表情をしていらっしゃいます。


 これには私もハルカさんに同意をせざるを得ません。

 もうバレちゃっているんですから、『ガンガン行こうぜ!』にしてくれても良いのに、こんな尻込みしてしまうなんて。ハルカさんもみたいにガンガン行っちゃってくださいよ!


 おっと、ついついいつもの自分の悪い癖が出てしまいました。

 キョトンとした我がご主人様も、言葉の本当の意味が理解できないなりに、必死にどうしたら良いのか考え、言葉を絞り出そうとしています。


「えっと……それはあまりに不敬ではないですか?」

「わ、私と貴女は! 私たちは友人なんですから……名で呼んでくれてもいいでしょう?」

「あ、えっと……そう、ですね」


 うん、すごく強引です。

 殊勝な表情を浮かべていらっしゃいますがこれ、呼ばないと終わららないやつですよ。


「―――えっと」


 もう困惑することなかれ。とりあえず呼んであげればいいのです。

 レオノーラ様の側から離れ、エルフリーデの足元まで進んでいった私は、きっかけになるかは分かりませんが、一言吠え声を上げてエルフリーデの方を見ます。


 ハッとした顔とともに視線が私の方に向き、小さく『そうだね』と言う小さな声が私に届いてきます。


「れ、レオノーラ様?」


「―――ッ!」


 名前を呼ばれた瞬間に一気に顔を真っ赤にするレオノーラ様。

 さすがにこの仕草には私もニヨニヨしてしまうのですがもう一人、私と同じようにしている人物が。


 彼女はエルフリーデに聞こえないように、レオノーラ様の側まで寄っていきこう一言。


「ねぇ気付いたら、そのあざとさまで愛おしいでしょう?」

「な! なんなんですの、貴女はぁ!」


 ……なんとも歪んだ進み方だなぁ。しかしようやくお話が動き始めましたよ。


気になることもありますし、私の想定とは違う方向に進んでいるのかもしれませんが、とりあえずエルフリーデが幸せであればそれで良いかな。


 そんなことを考えがなら、今日はもうお休みしましょう。



 さて、明日はどんな困難が現れるのか…・・楽しみで仕方がありませんね。



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