第9章 前編

 弾倉マガジンをセットする。銃把グリップに確かな重みを得る。安全装置セーフティーを解除する。遊底スライドを引く。銃弾がマガジンから押し出され、銃身バレル装填そうてんされる。撃鉄ハンマーを倒す。


 目の前には、薄い人型プラスチック模型が設置されている。刑事ドラマや映画の射撃場でよく見る点数の書かれたあの人型模型だ。


 どこを狙うか考える。頭部、胸部、それとも大腿部だいたいぶか。照星フロントサイト照門リアサイトを合わせて、照準を絞り定める。

 引き金トリガーを引き、銃弾を発射する。直後に、鋭い破裂音と火薬の匂いがする。 


 私の撃った銃弾は、ナンシーちゃん(23)と名札が貼られた人型模型の頭部に命中する。銃弾の当たった箇所が丸く破損されているが、私と同級生のプラスチック人型模型は、何事も無かったかのようにたたずんでいる。


 私は銃を撃ち続ける。ここは青井さんに連れてこられた施設の地下射撃場だ。5人が同時に撃てるように、5体のプラスチック人型模型が並べられている。部屋の面積もかなり広く、銃声が漏れないように完全防音されていた。


 しかし、ここを初めて案内されたときは、驚きと不審感が入り混じった気持ちになった。通常であれば、こんな射撃場が民間施設にあるはすがない。かなり危険な場所に立ち入ってしまったと、背筋に冷たさを感じながら施設の説明を受けた。


 青井さんにこの施設へ連れてこられて、すでに1週間が経つ。私は銃を撃ちながら、この施設に連れてこられた日を回想する。





「別に大丈夫やと思うけどな。そうやなぁ、新しく仲間になるんやったら、まず所長さんには挨拶せ~へんといけへんかなぁ」


 青井さんが門の施錠を解除しながら話しかけてくる。指紋と虹彩の解析装置が、古めかしい門柱に隠すように埋め込まれていた。青井さんは指や目を柱の装置に近づける。


「でも、5時過ぎだよ。こんな時間に挨拶とか迷惑じゃないかな」


「所長さんは5時には起きてるから大丈夫やで。今、歯を磨いてかつらでも被ってるんやないかねぇ」


 かつらなんてトップシークレットじゃないのか。この人は本当にスパイなのだろうかと再び思う。


「はいはい、開いたで~。あんたは人差し指の指紋だけその装置につけてや。それで入場許可が下りるから」


 言われたとおり、人差し指を柱の解析装置に持っていく。ピピッと、小さな電子音が鳴る。


「うんじゃあ行こうか。あんたはうちの後にちゃんと付いてくるんよ。もし逃げたりしたらお陀仏さんやからね」


 お陀仏さんにならないように怖気づきながら、しっかりと青井さんの後についていく。


 玄関に到着する。扉はガラス製で中の様子を見ることができた。午前5時という時間帯がそうさせるのか人の気配はなく、建物の中は近代廃墟のように見えた。


「青井涼子や。寒いからはよ開けてや、ポンコツ機械さん」


 声紋認識だろうか、インターホンのような機械に青井さんは話しかけていた。


 しかし、確認できるだけで指紋、虹彩、声紋認証と3つのロックが掛かっている。これだけガードが厳重なら、他にも監視カメラなどがあるはずだ。少し気になって辺りを見渡してみる。だが、青井さんに背中を叩かれて行動を妨げられた。


「これで開いたんやけど、木原もこの装置に喋りかけてや。名前の後に3秒程度喋るんやで。あっ、うちいいこと思いついたわ。普通の言葉もなんやから、木原のトリビアネタ聞かせてや。あんたのファンキーなトリビア、期待して待ってるで」


 トリビアとか、何年ぶりに聞いたであろうか。ノスタルジックな響きに少し切なくなる。


「木原弘泰です。あーーーーーーーー」


「失格や」


「木原弘泰です。いーーーーーーーーーー」


「駄目やわ」


 三度目の正直だ。


「木原弘泰です。うーーーーーーうがっ!」


 チョップがいきなり私の首に打ち下ろされる。私は本日何度目かの意識喪失を迎えそうになる。


「ちょ、な、何するんですか!?」


 体を屈めて、涙目で青井さんに訴えかける。


「ファンキーなトリビアを言わんかい! そんなんじゃ絶対に開かへんで!」


「ファンキーなトリビアとか分からないよ。それに、さっき青井さんが扉は開いてるって言ったような気が」


「ああ、もう! 男がごちゃごちゃ言わへんの! こっちにはこっちのルールがあるんやから! さっさとやるやる!」


 恐る恐る、インターホンゲームに再び挑戦する。


「き、木原弘泰です。ぼ、僕、オムライスにはいつもソースをかけています」


「0へぇ、やな」


 へぇ無しとか、かなりひどい。


「思いのほか時間を食ってしもうたなぁ。はいはい、入るで~」


 彼女は私の傷心を全く分かっておらず、ずかずかと先に進んでいく。建物の異質さといい、彼女とのこれからといい、様々な不安が胸に押し寄せてくる。

 私は弱々しく唸りながら、彼女の後について行った。



「所長さん、ただいま帰りましたわ」


 明かりのない廊下を歩き、所長室と記されたプラカードのある部屋に到着する。青井さんはドアを大きく開けて、私を招き入れる。


「おかえりなさい」


 見るからに高級そうなスーツを着込んだ人物が大きなデスクに腰掛けて返事をする。


「所長さん、新しい社員さん連れてきたわ。ちょっと頼りなさそうやけど、うちが鍛えるから心配せんでいいですよぅ」


「お待ちしていました。こんな早朝に『HPAACハパック』にようこそいらっしゃいました」


 所長さんと呼ばれた40歳ぐらいの男性が、デスクから立ち上がり私の方に近づいてくる。彼は縁の太い眼鏡をかけており目元が柔らかく、穏やかな顔つきをしている。


 でもこの人は、かつらだということが頭からどうしても離れず、所長さんを直視できない。青井さんはとても罪なことをしてくれる。


「は、はじめまして。木原弘泰と申します。この度は青井さんにお世話になりまして」


「いえいえ、青井君に捕まるなんて災難でしたね。他の人だったらこんなに苦労はしなかったでしょう」


「所長さん、いらんこと言わへんでいいで」


「そうでしたね。青井君の言うとおりだ」


 所長さんはそう言って、青井さんの意見を素直に受け入れる。たぶん、心がとても広い方なのだろう。


「返り血をかなり浴びていますね。着替えを用意します。隣の部屋で、着替えてきてください」


「あ、ありがとうございます」


「私は起きたてなので大丈夫ですが、木原君は眠いでしょう。仮眠室も用意しておくので、着替えたらそこで就寝してください。起床は何時でも良いので、起きたらこの部屋に来てください。いろいろと尋ねたいことがありますので」


「分かりました。いろいろご対応いただき、ありがとうございます」


「いいえ、当然のことをしているだけですよ」


 所長さんの丸みを帯びた言葉遣いの中に、有無を言わせない力強さを感じる。無意識に私は、この人には逆らわない方がいいと判断する。


「では、早速着替えてきます」


 私は手短に返事をして、隣の部屋に急いだ。



 着替えを終えて就寝し、起床したのは13時を過ぎたころだった。それから私は2時間ほど所長と話し合った。所長から尋ねられた内容は、青井さんが車の中で聞いたような質問がほとんどだった。逆に質問はないかと聞かれたので、いくつか尋ねてみた。


 まず、この組織について。「HPAAC」とは「HosPital Audiovisual Apparatus Company」の略称らしく、病院で使用する視聴覚機器を製造している企業だそうだ。しかし、青井さんが言ったように実際の業務は違っており、裏社会の調査団体で反社会組織やテロ組織の偵察、壊滅などを行っているそうだ。


 次に、私の処遇についてだが、組織の特殊性から、まずは身柄が拘束される。言わば、軟禁状態になるということだ。それから入団審査が実施されて、承認が下りれば入団が許される。しかし、青井さんによれば、私はこの団体がどのような活動をしているか事前に知ったために、情報の隠匿いんとくも兼ねて入団は強制的に決定されるらしい。


 そして、千里さんについてだが、所長も彼女が地下施設に関係があると判断し、捜索の続行を許可してくれた。


 ただ、簡単に組織のことを話していいのだろうかという疑問は残った。どうしても何かを勘繰ってしまうのは、異常な状況に自身が置かれているからだろうか。


 そして先日、私は入団を正式に許可され、様々なレクチャーを受けている最中だった。しかし、実態は青井さんの職権乱用により、私はすでにある程度のレクチャーを受けており、施設の内部も自由に歩けていた。建物の内側はカモフラージュのためか玄関が綺麗な状態ではなかったが、その他の内部はきちんと整備されており、10部屋ほどの居住区画、所長室などの業務区画、多目的ホール、地下のトレーニングルームや射撃場など、様々な種類の部屋があった。





「だいぶ銃撃つの上手くなったなぁ」


 急に声をかけられ、私は回想から戻ってくる。


「あ、青井さん」


 スーツを着た青井さんが射撃場に入ってくる。


「どれどれ、うちも木原の銃撃たせてや」


 そう言って、彼女は黄色いゴーグルを取って私の方に近づいてくる。


「うん、いいよ」


 青井さんは私の銃器の師匠だった。この1週間は彼女から、銃器の種類や構造、撃ち方、メンテナンス方法、精神論まで様々な事柄をレクチャーされた。特に感心したのは、引き金は力任せに引くのではなく、軟らかい果物を素早くしぼるように引くというものだった。

 狙ったところに着弾しない私に、銃も弓道と一緒で形があり、気持ちを落ち着けて撃たないと狙った場所に当たらないと青井さんがアドバイスしてくれた。銃なんて照準を合わせて引き金を引いたら的に当たると思っていた私にとって、目から鱗な教えだった。何事も奥が深いのだな、と思い知らされる。


 彼女は私から銃を受け取ると、ゴーグルを片手で器用にかけて、ナンシーちゃんの隣にいるツトム君(20)を素早く打ち抜き始める。物の見事に、ツトム君の心臓部は穴だらけになる。


「コルトガバメントにしては軽いから、撃った後の反動が大きいと思ってたんやけど、案外少ないのね。貫通力もありそうやし、構造バランスがええのかねぇ。とっても使いやすい銃やわ」


 自分が褒められているわけではないのに、何故か嬉しくなる。


「青井さんのはどんな銃なの?」


「うちのはドイツ軍が採用しているHヘッケラーアンドKコックのP2000よ。この銃は両利き用に作られとって、チューンすることで右利き用と左利き用になるねん。やっぱ、左右とも同じ銃のほうが、二丁銃でも撃ちやすいねんなぁ。違うマガジンをわざわざ持ち歩かんでいいから便利やしねぇ」


「少し撃たしてもらっていいかな」


「ええで~」


 青井さんから、右利き用の銃を貸してもらう。


「ダブルアクションやから、ハンマー引かんでそのまま撃ってな」


 胸部に狙い定めて、銃弾を数発放つ。


「トリガーが結構硬いね」


「ハンマーを引かへんでいいダブルアクションやから、トリガーにその分負荷がかかんねん。でも、連射の性能はシングルアクションよりも優れてるわ」


「何回も撃っていたら、手がすごく疲れそうだ。これを長時間撃てるなんて、青井さんはかなり握力あるなぁ」


「あんたねぇ、握力あるとか女の子に向かって言わへんの。デリカシーないと女の子に嫌われるで」


「は、はい。すみませんでした。以後気をつけます」


「分かればいいのよ、分かれば」


 互いに銃の感想を述べ合い、銃を持ち主に返す。

 青井さんは左利き用の銃も取り出し、二丁銃で射撃の練習を行う。二連の乾いた射撃音が、部屋の中に響き続ける。


 私は弾がなくなったので、後ろの椅子に腰掛けて彼女の射撃を観察する。技は師匠から習うものでなく、盗むものであると、よく昔のお偉いさんは言ったものだ。私もその格言にならい彼女の射撃の腕を盗もうと凝視する。


「なっ!?」


 思わず、身を乗り出してしまう。青井さんの射撃にではない。青井さんに狙われているまとのツトム君(20)の体にだ。


「ひ、ひどい」


 思わず、声を上げてしまう。ツトム君に起こった、突然の悲劇。青井さんは、執拗にツトム君の股間を打ち抜いていた。股間に打ち込まれた弾は数えるのも痛々しい。


 彼女の射撃からは得るものより無くすものが多いと思い、私は射撃場を静かに後にした。



 自分の部屋に帰ってくる。


「ああ、暇だ」


 ベッドに寝転がり、独り言を呟く。用意されたワイシャツに着替えているが、特にすることがないため、普段は見ることのない平日の昼ドラマをぼんやりと眺める。ここに連れてこられなければ、今頃は会社で齷齪あくせく働いているはすだった。


「ちょっと、気晴らしに散歩でもしよう」


 あまりにもやることがなく、私は部屋から出た。


 適当に施設内を歩いていると、業務区画の部屋から男性同士が言い合う声が耳に入ってきた。


「私は納得いきません」


 声は所長室から聞こえてくる。


「仕方ないでしょう。これが一番良い方法なのですから」


「意味が分かりません。何故、素人をHPAACに入れるのですか。彼は正式な審査を受けたわけでもなく、まして有益な能力者などでもありません。ただ、隠蔽したいがために組織に編入させたとしか思えません」


「ワールドディアという理由ではいけませんか」


 所長の声だ。私は思わず部屋の近くで立ち止まる。


「私はワールドディアなんて信じません。あまりにも非科学的です」


「生命魂の存在も現在の科学では証明できていませんよ。ですが、存在することは事実です。ワールドディアも同じです。彼の能力は確かに存在します。ただ、運として片付けられる要素が強いだけです」


「だからと言って、入団させることはないと思います。あまりにも不確実で不明な能力です」


 私のことを言っていると分かる。私はそのまま、耳をそばだてる。


「一般人、特にワールドディアを消すことは私の方針ではありません。それなら、有用に働いてもらった方がいいじゃないですか」


「無理です。きっと足手まといになります」


「ですから、今回の被検体救出という計画と、第七世界から依頼された反乱調査を兼ねて、彼の能力を見てみればいいでしょう。きっと、計画が上手くいっても君には運で済まされるでしょうが」


 第七世界からの依頼という言葉に、疑念が沸き起こる。


「青井君には、第七世界に報せずに地下施設の捜査を行ってもらっています。第七世界の誰が、クーデターを企てているのか分かりませんからね。その彼女が、実力で地下4階までしか潜入できていません。しかし、彼はいきなり地下10階以降の階層に行き着くことができています」


「だから、それは」


「そうですね。運です」


 所長と話している人物が沈黙する。


「彼の働きを見てみましょう。その結果により、彼の処遇は自ずから決まっていくでしょう。それにワールドディアはいざとなったときの世界間抑止力になります。私たちは、まだ第七世界と仮初めの協調関係を築いているだけです。いつ侵略に舵が向けられるか分かりません。手駒は多いに越したことはありません」


「それには私も賛同します。ただし、今回は素人歩兵ポーンの配置を間違っていると思います。彼が勝手に自滅するだけならいいのですが、騎士ナイト弓手アーチャーの支障となる場合も十分想定されます。秘密裏に遂行しなければならない調査です。それなのに……」


「君が騎士で、青井君が弓手ですか。それなら、私は司祭ビショップあたりでしょうか。面白い例えです。ですが、君の例えは一つの可能性を孕んでいることに気づいていますか。歩兵は敵陣の最後列に行き着くと、何になるでしょうか」


「……」


「そうです、偽女王フェイククイーンになりますね。彼にも為ってもらおうではありませんか、第六世界の偽女王に。彼にはその資質があると、私は思っています」


「別に私はチェスの例えを持ってきたわけではありません。チェスに弓手の駒は存在しません。それに偽女王なんて言葉も……」


「細かい部分はいいでしょう。彼は捨て駒にしても転生の駒にしても、活躍できるのです」


「私には所長の仰る根拠が全く解りません」


「根拠は先ほどから、何回も言っているではないですか。彼がワールドディアだからです。では、君が理解しやすいようにそれぞれを仮定してみましょうか。もし、君の言うように彼が自滅したとしたら、我々はワールドディアという優秀な人物を失う痛手を負いますが、第七世界に第六世界の世界間矛盾という絶対的な圧力をかけることができます。そして、もし彼が生存して帰還するようであれば、ワールドディアの強い力を持っているという証拠を得ることになります。更に鍛錬して優秀な人材に育成して、抑止力にすればいいのです。どちらの選択肢を採っても、私たちに有利に働きます。非常に合理的ではありませんか」


「ワールドディアの有用性については理解できました。ですが、私たちの行動の支障になるという問いに答えていません」


「私はあなたたちの力量を信頼しています。これ以上の言葉はありません。さて、他にありますか」


「……」


「無いのでしたら、明日の潜入についてもう一度、確認しておいてください」


「了解しました」


 話が終わりそうな気配を感じ取り、私は足音を立てないように所長室を後にした。



 私は多目的ホールにやってきた。ホールの右側には、旧式のデスクトップパソコンが整然と並んでいる。


 奥のパソコンデスクに座る。電源を押してパソコンを起動させる。ハードディスクのこすれる音やファンが空気を振動させる音が上がる。しばらくすると、汎用型オペレーションシステムのロゴが画面に映し出される。


 パソコンの画面を見ながら、所長と男性の会話を思い出す。


 私が組織に加入することを反対している者がいる。それは当然だった。優れた知性や運動能力を持っているわけではなく、何か特殊な技能を身に着けているわけでもない。やはり、どうして私を組織に入れたのかという疑問に至ってしまう。所長は先ほどの会話の中で、加入の理由として、私がワールドディアだからこの組織に入れたと言っていた。World Dear、世界の親愛とでも訳するのだろうか。この単語が意味することは何だろうか。どんなに考えても答えは出てきそうになかった。


 それから、潜入は第七世界からの依頼とも言っていた。言葉通りに解釈するのなら、この組織は第七世界と呼ばれるものと何かしら繋がりがあるようだ。青井さんや所長さんは、第七世界という単語を知らないと言っていた。ここでも彼らは、何故隠すような言動をとったのであろうか。第七世界とは、一体何を示しているのだろうか。


 考えが煮詰まり、再び二人の会話を思い出す。手駒やら有益やら、人のことを物扱いするような言い方に辟易する。異様な組織に身を置いて、銃器を持ちイリーガルな組織に潜入をするということで、生命への危険が付き纏うことは理解していた。だから、本当に信頼できるのは自分自身だけだと言い聞かせていた。


 しかし、実際に捨て駒や自滅などと言われると、大きな不信感が鎌首をもたげてくる。信頼してはいけないと、もう一人の自分が語りかけてくる。

 だけど、この組織にいることしか、先に進む手段は無かった。


「女神、被検体、つくられしもの、第六世界、第七世界、ワールドディア……」


 様々な単語が、頭の中を渦巻く。どの単語も、確かな意味を説明をすることはできない。


 パソコンが起動する。私は適当にアイコンをクリックしてみる。様々なフォルダやファイルがある中、私は気になったフォルダを開封してみた。


 そこには、大量のハッキングソフトやウィルスが存在していた。すでに対策がなされて実用不可なものもあるが、半分ほどのソフトやウィルスは見たことが無く、現役である可能性を不気味に示唆しさしていた。その他にも、法律を無視した有害ソフトがたくさん保存さている。一つずつ確認していくには、時間がない。ファイルの名前だけ、なるべく感情をこめずに流し見する。


 ファイルを見始めて数分が経ったとき、私はあるファイルを発見する。

 ファイル名は被検体調書。急いでクリックする。しかし、開かない。もう一度クリックしてみる。やはり、開かない。

 ファイルは何をしても反応しない。パスワードが要求されたわけでもない。右クリックをして、コマンド要請をしても反応しない。拡張子も記載がなく、一般的な拡張子を試してみたが、どれも開くことはできなかった。


「開かないファイルか」


 言葉に出して呟いたとき、とあることに閃いた。そういえば、先ほどのハッキングソフトの中に、フォルダやファイルを無理やり開封させるものはないだろうか。急いでハッキングソフトのフォルダを開いてみる。その中にそれらしきソフトを見つける。


「ブレイクマン……」


 何とも安直な名前を付けられているが、試しにクリックしてみる。すぐに反応があり、じ開けるファイルを要求してくる。IPアドレスなどを入力する画面に移行する。自身のパソコンをハッキングするので、ローカルエリアの項目を探し出し、それにチェックを入れる。次にファイルの場所をソフトは尋ねてくる。ファイルの場所を指定し「OK」というボタンを押す。最後に破壊する内容を決める。「UNLOCK」の項目にチェックを入れて「OK」のボタンを押す。


 ボタンを押すと、トラひげ危機一髪の人形に似たおじさんが、工事現場でファイルを破壊するアニメーションが画面に映し出された。指定したファイルを、工具で一生懸命に壊していくひげのおじさん。コミカルなだけに、逆にこのソフト製作者の悪意を感じ取ってしまう。


 軽快で不気味なアニメーションが終わると、開封完了の通知がディスプレイに表示される。開かなかったファイルは圧縮フォルダだったようで、たくさんのファイルがフォルダ内に所狭しと並べられていた。


 ファイル名には人物の名前と英数字が記載されている。一つずつ注意深く確認していくと、その中に知っている名前を見つけた。


「エリ チサト(XRDYMMWL57)」


 クリックする。ファイルが開く。

 千里さんのものと思われる電子カルテが開示される。名前、性別、生年月日、血液型などの基礎的なデータから、能力の内容らしき項目、簡易化された身体図などが記載されている。


 名前:エリ チサト(千里絵梨)

 性別:女性

 生年月日:19**年 9月 20日

 血液型:O+

 既往歴:精神疾患

 現病歴:――――


 能力:エンパス (感応能力、突然変異型)

 種別:第一種B(第一種 No Control)(B 対人複数、同時全層)

 処置:7THWorldによる機械処置、薬剤処置により第四種D+に能力変更

    (第四種 Control 95%~100%)(D+ 対人単体、層選択)

 観察:B7(R.A.)


 何故、千里さんのデータがここのパソコンにあるのか、私は訳が分からなくなる。青井さんも所長さんも、千里さんについて詳しいことを話さなかった。そして、二人とも千里さんが超能力者だと知らなかった。なのに、何故、ここまで詳細なデータが記された電子カルテがあるのか。


 その他のファイルも開いて、中身のカルテを見ていく。能力という項目にエンパスと表記されている人物のカルテが多数あり、その他にはリーディングという単語が記載されていた。ということは、このファイルに記載された人物は超能力者ということになる。被検体と呼ばれる人々の条件として超能力者であることが必要なのだろうか。


 急に寒気がする。地下施設も異様だったが、この団体もかなり危険だ。


 ここのパソコンを使ってデータを閲覧したことは、隠しておいた方がいい。しかし、千里さんのデータはこれから必要となる情報が載っているかもしれないので、なんとかして手に入れたかった。私はプリンターはないか探してみたが、それらしい機器は見当たらない。


 無意識にポケットの中に手を突っ込む。手が携帯電話に触れる。私はあることを思いつき、ポケットから携帯電話を取り出す。


 千里さんのデータを、携帯電話のカメラで撮影する。ディスプレイの光による反射でうまく撮れるか不安だったが、正面からだと問題なくカメラに撮ることができた。


 写真を数枚撮り終えてパソコンをシャットダウンする。私は急いで、部屋に戻ろうとする。しかし、デスク中央の薄い引き出しが少し開いており、立ち上がったときに太ももを打ってしまう。大した痛みはなかったが、その衝撃でデスク脇の引き出しも少し開いてしまった。私は引き出しを閉めようとしたが、その中に数冊の本が入っているを見つけた。


 どのような本か確認してみると、すべて優生学関連の書籍だった。優生学の基礎的な内容を書いた本もあれば、生物学の範疇を超えて、とんでもない思想の域にまで達した本もある。


 何冊か流し読みしていたとき、私は見覚えのある本を見つける。背表紙には「消極的優生学と進化の拡がり」と記されている。思わず、私は手に取る。それは千里さんの地元の病院で見つけた本と同じものだった。


 どうして、この団体にも同じ本があるのか。疑念がさらに強くなる。先ほどの電子カルテといい、やはりこの団体は千里さんと何か関係がありそうだった。私は引き出しを閉じて、ふらついた足取りでホールから出ていった。





 冷えたドアノブを回して扉を開けて自分の部屋に戻ってくる。6畳ほどの切り取られた空間には乾いた空気が充満していた。


 私はベッドに横たわり、携帯電話に保存した千里さんの電子カルテを見る。


 まず、精神疾患という文字が目に入る。彼女の痛ましい告白と、彼女の地元で出会った女性の言葉を思い出す。そして、エンパスや7TH World、第七世界という単語が記載されている。


 やはり、この組織は千里さんと強い関係がありそうだ。そして、そのことを私から隠そうとしている。それは何故だろうか。


 また、この組織は本当に裏社会の調査団体で、反社会組織やテロ組織の偵察、壊滅だけを行うのだろうか。私にはどうしても、表向きの病院機器メーカー、裏社会の調査団体だけでなく、更なる奥に何かが潜んでいるように思えてしまう。


 信頼してはいけないという気持ちが再び沸き起こってくる。しかし、この組織に頼る以外に先に進む道筋がない事実にも、改めて至る。


 ノックの音が部屋に響く。


「木原~、おる~?」


 青井さんだ。私は携帯電話の画面を消して、ドアに近づく。


「いるよ」


 鍵を開錠し、ドアを開く。


「もうそろそろ六時やで。一緒に夕ご飯でも食べようや」


「うん、行くよ」


「どうしたん? ちょっと元気ないやん」


「いや、そんなことないよ」


 青井さんから視線を逸らし、気持ちを取り繕う。


「所長さんから聞いたかもしれへんけど、明日もう一度会社の地下施設に行くから、しっかりご飯食べてちゃんと覚悟しておいてな」


「うん、分かった」


「じゃあ、行こうかぁ。今日はねぇ、熱々の天丼らしいで。うちは海老の天ぷらが食べれて嬉しいわぁ」


 私は無言で相槌を打ち、彼女と一緒に食堂に向かった。



 私と青井さんは夕食を食べ終え、食堂のテーブルに座っている。食堂には私たち以外は誰もいなかった。


「あの天丼は絶対に詐欺やわ。野菜ばっかで海老とか小さすぎやし。あれはただの野菜丼や。赤出汁あかだしも付いてへんし、本当に気が利かへんなぁ、ここの食堂」 


「うん」


「なあ木原ぁ、さっきから表情が暗いで。冴えへん顔してると幸せは逃げていくんやで」


「うん」


「あちゃ~、こりゃ重症やな。ホームシックにでもなったんとちゃう」


「ううん、大丈夫だよ」


「全然大丈夫には見えへんなぁ。そんなんじゃ、活力ある明日を迎えられへんわ」


 そう言って彼女は席を立ち、缶ビールを4本持って戻ってくる。食堂内の自販機で買ってきたのだろう。


「はい、元気のない木原ちゃんに、うちからの盛大なお・ご・り」


 彼女は私に1本だけ缶ビールを手渡し、残り3本はしっかりと自分の手元に置いた。4本あるから、二人とも2本ずつだと予想していたのだが、違った。


「青井さんは3本あるんだ」


「そのものほしそうな目つき。はは~ん、あんたもう1本ビール欲しいの?」


「いや、4本あったから2本ずつかなって思ってた」


「続きが飲みたいんなら、自分で買いにいかへんとなぁ。うちなぁ、本当はなぁ、人にビールおごる余裕なんてないくらいに貧乏なんよ。財布はいつもすかすかやで。そんなうちがおごったんやから、絶対に美味しそうに飲むんよ」


 豪快に笑いながら、彼女は缶ビールを喉に流し込んでいく。


 自分本位な考え方と、罪のない大げさな脚色が、いかにも青井さんらしい。青井さんはいつだって青井さんだな、なんて当たり前のことを思う。


「あ、やっと笑った」


 口元でもゆるんでいたのだろうか、彼女は私の顔を見つめながら微笑みかける。


「木原ぁ」


「うん?」


「そんなに緊張せんでいいんやで。この組織のことも、明日の潜入のことも、何も心配せんでええから。今日はそんなに考え込まずにゆっくりし~や。明日になれば必ず何か区切りも付くと思うから」


 彼女の綻んだ笑みと暖かい言葉。


「青井さん」


 彼女の優しい心遣いに気持ちが大きくぶれる。

 すべての疑問を尋ねたくなる。すべての思いを話したくなる。偶然に聞いた所長さんの会話、ホールで見たパソコンの中身、千里さんの地元の病院で見た本と同じものがあったこと……。


 しかし、ここで理性が歯止めをかけてくる。この組織を信用してはならない。彼女も何かを隠し持っているはずだ。今日、聞いたことや見たことは晒すべきではない。不信感が冬の曇り空のように青井さんへの信頼感を覆い尽くす。


 感情と理性が衝突し、互いに譲らない状態。


「青井さん」


「何?」


「千里さんは、無事なのかな」


 思わず、語尾が震えてしまう。


「千里さんは、大丈夫なのかな」


「うん、千里ちゃんはきっと大丈夫よ。安心して」


 青井さんは微笑み、大きくうなずく。私は視線を落とす。

 私には、その言葉を信じるしかなかった。





 部屋に戻り、すぐにテレビをつける。音のない空間にいると、頭がおかしくなりそうだった。


 椅子やベッドに座らず、そのまま立ち尽くす。テレビの音があるというのに、耳は静寂を感じ取る。


 木製の机には鍵付きの引き出しがある。その中に、私は銃や貴重品を保管していた。


 鍵を差込み、引き出しを開く。そっと銃を手に取る。


 銃に彫られた刻印を眺める。銃身の側面に幅広く大きな英文が刻まれており、その中央に馬の絵が彫られている。それを見つめていると、馬の頭に小さい傷痕が付いていることに気づいた。どうやらそれは、銃の製造時に彫られたものではなく、ぶつけるか落としたりして傷ついたようだった。


 傷痕を眺める。ぼんやりと眺めているうちに、その傷が馬から生えた一本の角のように錯覚し始める。その姿が、まるで、一角獣ユニコーンのようだった。

 昔、聞いたことがある一角獣の話を思い出す。邪気をはらう神聖な角を持つ白馬、清らかな乙女しか触れることを許されぬ幻獣だっただろうか。


 銃を引き出しにしまう。鋼鉄の重みが手から離れる。無意識に、手が銃の感触を求め、むなしく空気を掴む。人を殺める道具が、いつの間にか支えとなっている。その事実に気づき、私は寒さと戸惑いを覚える。


 ベッドに倒れ込む。僕はこれからどうなるんだろう。単純だが大きな疑問に、心が揺れ動く。

 まぶたを固く閉じる。私は電灯とテレビを点けたまま、浅い眠りに落ちていった。

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