第30話

 天使は俺を掴んだまま、空高く舞い上る。

 俺はもう完全に鷹にさらわれた仔リス状態で、なすがまま。


 俺をさらった天使ことマクロファージは、長い金髪を巻き毛にした、貴族のお嬢様風の女の子だった。

 彼女は、眼下のデリバーが豆粒のように小さくなったあたりでホバリングをはじめる。


 そして、



「……見たことのない生き物ですわね」



 いかにも高慢そうな目つきで掌中の俺を見つめた。



「おまえは何者なんですの?」



 口調は完全に、不審者を問いただすお嬢様のそれだった。



「え……えーっと、俺は……カウルっていいます……」



「カウル? 聞いたことのない、いかにもやましい名前ですわね。それに、震えている……。これからやましい事をするからこそ、震えているのでしょう?」



「ち……違いますよ! 震えてるのは、いきなり掴まれてびっくりしたからで……!」



 しかし俺の弁解も、鼻であしらわれる。



「ふん、まあいいですわ。おまえがこの世界に仇なす者かどうか、この私にかかればすぐにわかりますわ」



「すぐにわかるって、どうやって……!?」



 すると一緒に飛んできていたルールルが教えてくれた。



『マクロファージは体内に侵入してきた細菌を捕食して、危険な存在かどうかを判断するんです』



 ほ……捕食っ!? これから俺は食べられちゃうってこと!?

 食われるなんてイヤに決まってるだろっ! どうすりゃいいんだっ!?



『うーん、「潜伏ステルス」スキルのレベルがあれば……』



 俺は一も二もなくステータスウインドウを開き、『潜伏ステルス』にポイントをぶち込んだ。



 名前 なし

 LV 14

 HP 140

 MP 140

 VP 80 ⇒ 40


 スキル

  潜伏ステルス ⇒ 潜伏ステルス

  吸収ドレイン

  憑依ポゼッション

  看破インサイト

  増殖レプリカント

  血栓フィブリン

  膨張エクスパン

  遊走フリーラン

  溶性ソルブル

  結合アブソーブ

  耐性レジスト(酸・アルコール)

  伝染インフルエンス(経口・創傷)



 しかし途中で、



『カウルさんはもう捕まっていますから、いくら潜伏ステルスのレベルをあげても捕食は避けられませんよ?』



 なにっ!? それじゃ、どのみち食べられちゃうってことかよ!

 なんで『潜伏ステルスのレベルがあれば』なんて言ったんだよっ!?



潜伏ステルスのレベルがあれば、捕食後の結果を良くすることができる、とお伝えしようとしたんです』



「なにをモゾモゾしてるんですのっ!?」



 お嬢様に一喝され、俺はビクンと硬直する。

 俺が、ルールルとやりとりしているのを不審に思ったようだ。


 そういえば、ルールルは俺以外のヤツには見えないんだった……!


 生まれたてのようにプルプル震える俺に、端正な顔が迫ってくる。



「それじゃ、頂かせていただきますわ……!」



 上品な薄ピンクの唇を、下品に舌なめずりるお嬢様。

 俺は「終わった……!」と、目をきつく閉じ、覚悟を決める。


 すると、



 ……ちゅっ!



 と音が聴こえてきそうなくらいの、みずみずしくて柔らかいものが、俺を包み込む。

 おそるおそる目を開けてみると、そこには……。


 お嬢様の、キス顔のどアップが……!


 俺の今世での……いや、前世を含めてのファースト・キス。

 こんな時だというのに、全身がカッと熱くなるのを感じた。


 お嬢様は小鳥がエサでもついばむように、俺の全身にちゅっちゅと唇を這わせる。

 熱烈なキッスに、俺はすっかり魂を抜かれていたが、顔を離したお嬢様は難しい顔をしていた。



「ふぅ、今まで口にしたことのない、珍しい味ですわね」



 彼女は言うが早いが、俺を掴んだまま急降下を開始する。



「ぎょわっ!?」



 身も心も、ジェットコースターに乗っているかのように振り回されっぱなしの俺。


 お嬢様は世界樹のほうに向かうと、幹から張り出すように作られた通路に着地。

 オープンテラスのような場所で寛いでいる人物に声をかけた。



「ちょっと、この子をご存じでして?」



 その人物はメガネをかけた若い男性で、司令官っぽい軍服を着ている。

 お嬢様に負けず劣らずの高貴な人物っぽい。


 司令官は『またか』といった様子で、口にしていた紅茶を置くと、



「やれやれ、いまはティータイムなんですよ。それにいい加減あなたも、不審者の見分けくらいつくようになってください」



 お嬢様のほうを見もせずに、溜息をついた。


 おいルールル、このキザな男はいったい何者なんだ?



『彼は「ヘルパーT細胞」といって、人間の免疫を司る司令官のような人物です。

 普段はリンパ節という場所にいて、ウイルス……つまり、この世界の不審者の情報を管理しています。

 マクロファージがカウルさんを見せに行ったのは、自分の知識では不審者かどうかを判断できなかったんでしょうね』



 そう言われて俺は、少し嫌な予感がした。

 それまでは「やれやれ」調だった司令官が、レンズごしの切れ長の目で俺を捕らえるなり……。


 妙に熱っぽい感じになったからだ。



「……こんなかわいらしい生き物が、悪さをするわけがないでしょう。この私にかかればすぐにわかります。確かめるまでもないですが、せっかくですから……」



 今度こそ俺は本気で逃げようとしたけど、



 ……ぶっちゅぅぅ~!



 司令官の熱いベーゼを、全身に……!


 ぐぐっ……!

 ま、まさか、セカンド・キスまで奪われてしまうとは……!


 しかもお嬢様の唇の余韻を、思い出すヒマもないほどに、間髪入れず……!

 で、でも、ガマンだ……! これで、俺が不審者でなくなるなら……!


 俺は焼印を受け入れるように、司令官の唇にされるがままになっていると……。

 ルールルが、とんでもないことを言った。



『いちおうお教えしておきますけど、ヘルパーT細胞には、捕食して不審者かどうかを確かめる性質はありません』



 なんだってぇ!?

 じゃあ、この情熱キッスは何なんだよ!?



『単なる趣味だと思います。カウルさんが潜伏ステルスのレベルを上げすぎたせいでしょう。そのせいで、思わずキッスしたくなるくらい愛らしくなってしまったんだと思います』



 な……なんだってぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーっ!?!?


 でも、ルールルの言うとおりだった。


 司令官はひとしきりキスを終えると、どこからともなく百科辞典のように分厚い本を取り出す。

 そしてパラパラと適当にめくって、



「ふむ、この子のことはどこにも書いてありませんね。やっぱり私の見立てどおり、この子は悪い子ではなかったでしょう」



 と、ペットショップで見つけた仔犬をもう自分のペットにしたかのような口調で言う。



『T細胞は「獲得免疫」といって、過去に侵入したウイルスと、その対処法を記録する性質があります。そのデーターベースから照らし合わせて、攻撃すべき相手かどうかを判断するんです』



 俺はどっと疲れてしまった。

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