第22話
俺とデリバーは小高い丘のてっぺんにいて、眼下に広がる『肩』を見下ろしていた。
そこはもはや、地獄絵図。
大空には大きな裂け目があって、そこから黒い大嵐のようなものが吹き込んでいる。
黒い大嵐は、有象無象の魔物たちを周囲にまき散らしていた。
大地には、巨大なナメクジのような生き物が。
陸に打ち上げられた鯨のような巨躯に、鬱血したような単眼を不気味に光らせている。
あのナメクジみたいなのが、破傷風菌に間違いないだろう。
「ハショォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
と、まるで痰が絡みついたような、不快な鳴き声をあげている。
破傷風菌は一匹だけでなく、海のようにびっしりと地を覆い尽くしていた。
ぬらぬらと身体を揺らし、ゆっくりと襲う津波のように、街や人々、森や動物たちを飲み込んでいく。
人体の衛兵である白血球たちは、軍勢となって巨大ナメクジに立ち向かっていた。
しかしナメクジが、口から紫色の液体を噴出すると、それを浴びた白血球たちはドロドロに溶かされてしまう。
『あれは「溶血毒」ですね。白血球や赤血球を破壊する毒素です。ご覧のとおり、浴びたらひとたまりもありません』とルールル。
さらにナメクジは、ときおり背中から黒いコウモリのようなものを出していた。
コウモリは群れとなって、どこかへ飛び去っていく。
『あれが「テヌタス毒素」です。彼らは末端神経のほうで破壊活動をします』
頭の中に響くルールルの声は、非情なほどに冷静だった。
頭の外で響く悲鳴や絶叫、細胞たちが死にゆく姿を目の当たりにしているというのに。
世界の終わりのような光景に、俺は戦慄していた。
ま、まさか破傷風菌が、こんなに恐ろしいヤツだったなんて……!
『Oー157』は人間の姿をしてたのに、コイツは完全に、モンスターじゃないか……!
『どうです、怖いでしょう? カウルさんも巻き添えを受ける前に離れましょう。花火は間近で見るものではなく、遠くで眺めるからこそ美しいのですよ』
それで俺は気付いた。
この悪夢のような映像を創り出しているのは、コイツだということに。
『今頃気付いたんですか? こうでもしないと、カウルさんの「偽善者病」は治らないと思いまして』
お……お前……! お前、最低だな……!
『それは心外ですね。これはカウルさんのことを思ってやっているんですよ?』
ふ……ふざけるなっ! これが、俺のためだとっ!?
もう、お前なんかには頼らねぇ! 俺にひとりの力で、宇佐木さんを助けてみせるっ!
どこにでも行っちまえっ、このクソ女神がっ!
俺はついカッとなって怒鳴ってしまったが、直後に「しまった」と後悔する。
あの、どんな時でも表情を崩さない女神の瞳からは、光が消えていた。
『……そうですか、それではお好きになさってください』
ルールルはそれだけ言って、しゅっと消えてしまった。
俺は呼び戻そうとしたが、今はそれどころじゃないと思い直す。
い、今は……宇佐木さんを助けるのが先だっ!
大切なクラスメイトの身体を、こんなバケモノどもに好きにされてたまるかっ!
俺は丘の上から、ツバメのように猛然と飛び出した。
麓にいるナメクジの群れに、上空から襲いかかる。
手近な一匹にめり込み、『
よしっ、次だっ!
俺は火の玉のようになって、ナメクジを次々と駆逐していく。
衛兵たちが俺を指さして叫んでいた。
「み……見ろっ! あのふわふわしたものをっ!」
「ナメクジどもを次々と倒していっているぞ!」
「すごい! あんなに小さいのに、あんなに強いだなんて……!」
「私たちも負けていられない! あのふわふわしたのに続けーっ!」
勢いを取り戻す衛兵たち。
しかし反撃は長くは続かなかった。
数体やっつけたところで、ナメクジたちは
俺が体当たりしようとしても、コウモリたちがキーキーと邪魔してくる。
コウモリたちをなんとかすり抜けてナメクジに近づいても、
「ハショォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
ヤツらは身体をのたうたせて、付け入る隙を与えてくれない。
俺はやむなく、もうひとつの切り札を出した。
「
しゅばぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!
『
それで何匹かはやっつけられたんだけど、とうとう、
「し……しまった! うわああああっ!?」
俺は溶血毒のブレスやコウモリたちに追い立てられ、すっかりボロボロになってしまう。
そして気がつくと、MPだけでなく、
もう残された手は、ひとつしかない。
それは……。
さっき三行半をつきつけたヤツに、すがること。
……た、頼む……! ルールルっ……!
助けて、助けてくれぇ……!
俺はフラフラになりながらも、あたりを見回して彼女の姿を求める。
た……頼む……! 頼むっ、ルールル……!
さ、さっきはクソ女神だなんて言って、悪かった……!
謝る……謝るから……! 俺のところに、戻ってきて……!
俺を、助けてくれぇぇぇ……!
すると、声だけが聴こえた。
『そうですか、では助けてさしあげましょう。特別に、破傷風菌のお仲間になれるようにしてさしあげます』
破傷風菌の仲間、だと……!?
『そうです。破傷風菌といっしょになって、宇佐木さんの身体を破壊するのです。溶血毒で細胞たちを皆殺しにし、テヌタス毒素で呼吸を止め、じわじわ苦しみながら死んでいく宇佐木さんを見ながら、祝杯をあげるのです。カウルさんはウイルスなのですから、きっとそのほうが性に合っていると思いますよ』
そ……そんなの、死んでもおことわりだっ!
ソウルフレンドを殺すための手伝いなんかできるかよっ!
『またそれですか。相手からは嫌われているのに、ソウルフレンド(笑)とは、片腹痛いですね』
相手がどう思っていようが関係ない……!
俺がそう思った時点で、そうなんだ……!
『そうですか、そこまでおっしゃるなら、カウルさんの本気のほどを見せていただきましょう。破傷風菌の弱点をお教えします』
ま……マジでっ!?
やった!教えてくれ!
『そのかわり、破傷風菌を撃退したあとは、カウルさんはこの世界から消えていただきます。宇佐木さんが助かるかわりに、カウルさんの人生は、ここで終わりを告げ……』
……かまわんっ!!
ヤツの言葉を遮って言い切る。
すると目の前にパッと、妖精姿のヤツが現れた。
姿を現したというよりも、ビックリするあまり、姿を消していたのを忘れてしまったというような風情で。
呆気に取られたルールルに、俺はさらに続ける。
オーケー! ルールルっ!
俺の生命くらい、くれてやる!
すると、見開いたままのヤツの瞳に、光が戻ったような気がした。
『まったく……。嫌われている者を救うために、自らの命を投げ出すなんて……。カウルさんは本当に愚劣ですね……。まぁいいでしょう、教えてさしあげます。破傷風菌の弱点は「酸素」です』
さ、酸素……!?
破傷風菌って、コブラみたいな恐ろしい毒を持ってるヤツなのに……。
空気中ならどこにでもある、酸素なんかに弱いのか……!?
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