第43話 委託


 Σ


「……やあ」

 

 セシリアの家に戻ると、門扉の前でオーギュストが待ち構えていた。

 既に夜半に差し掛かろうとしていた。

 俺は「ただいま」と言って、“傘”を袋にしまい込んだ。


「どうだった」

「まあまあだ」

「まあまあ、か」


 オーギュストは苦笑し、肩を竦めた。


「どうとでもとれる言い回しだな。それで、上手く行ったのかい」


 最初から無理だろうという答えを持っている顔。

 俺が、エリザベートを説得など出来るわけがない、という顔だ。


「ああ。エリザベートは自らの非を認めたよ」

「まさか」

「恋を諦めることはしないが、もう、腹いせに彼女をイジメることはしないと」


 エリザベートの恋愛対象が実はセシリアだったことは伏せておいた。

 それはいつか、彼女自身が話すことだ。

 この国が、そう言える世の中になったら。


 オーギュストは目を丸くした。

 それから「信じられん」と首を振った。


「あのエリザベート様が、そんな簡単に自分の意見を翻すなんて」

「俺も、そう思う」

「なんだい、それは。一体、何があったんだい」


 オーギュストは顔を曇らせた。


「一応、もうセシリアには手は出さないと約束した」

「一応、というのは」

「一応は一応だ。女心というのは、完璧には読めない」


 オーギュストは腕を組み、「たしかに」と息を吐くように言った。


「だが、私はどちらでも構わないんだ。エリザベート様がどうあろうと、彼女を守ると決めたから」


 オーギュストは真摯な眼差しを向けた。

 少年と青年の狭間のような双眸は、それなりに頼もしく見えた。


 しかし――彼ではエリザベートには敵うまい。

 だから、“保険”が必要だ。

 俺は心配性なのだ。


「これは念のためだ」


 俺はそう言うと、“袋”から毒々しい葉に包まれた黄色い粉を取り出した。

 見るからに禍々しい雰囲気のある粉。


 オーギュストは眉を寄せ、「なんだ、それは」と問うた。


「こいつは“生まれ変わりセフィロトの粉”と言って、飲んだ相手は記憶と人格をリセットさせる効能を持つ。つまり、赤ん坊に戻るということだ」

「な、なんと」


 オーギュストはごくりと息を吞んだ。


「人格を破壊してしまうなどと――そのような業薬があるのか」

「ダンジョンには軽い薬草から恐ろしい秘薬までなんでも落ちているのさ。だが、こいつは超レアアイテムで、一つしかない。大事に持っててくれ」


 俺はそう言うと、葉ごとオーギュストに手渡した。

 この恐ろしいアイテム。

 オーギュスト以外には、預けられない。


「わ、私にくれるのか」

「そうだ。俺はこの街には留まらないからな。あとのことは、お前に頼むしかない」

「つまり――もしもエリザベート様が元の暴君のままなら、これを使えと」

「ああ。万が一にも、セシリアたちにこれ以上、辛い想いをさせるわけにはいかねーからな」

「……分かった。預かっておく」


 オーギュストは大きく顎を引くと、大事そうに懐にしまい込んだ。


「……だが、エリザベート様は本当に私を諦めてくれるのだろうか。出来ることなら――こんなものは使いたくない」


 オーギュストはそう呟き、俯いた。

 俺は目線を外して、意味もなく地面に落ちていた小石を蹴った。


「……本当のことを言おうか」

「本当の事?」


 オーギュストは首を傾げた。

 俺は彼に視線を戻し、ああ、と頷いた。


「エリザベートは、その薬をくれと懇願したんだ」

「な、なんだって?」

「どうしても辛くて仕方なくなったら、それを吞んで、また一から生き直したいと言ってな」


 オーギュストはごくりと息を吞んだ。


「エリザベート様が……そんなことを」

「これまでやってきたことの言い訳にはならんがな。奴も苦しんでいたというわけだ」

 俺は肩を竦めた。

「だが、俺は断ったよ。エリザベートは発作的に飲んじまいそうだったからな。そいつはなんていうか……正しくないように思えてな。エリザベートは確かに酷い為政者だったが――彼女にも、もう一度チャンスを与えるべきだと思った。だから、エリザベートが本当に変われるかどうか、その判断はお前がしてくれ」


 オーギュストは唇を噛んだ。

 それから、沈痛な面持ちで目を伏せる。


「そんな顔をするな、オーギュスト。お前は悪くない。もちろん、セシリアもな」

「しかし、私にそのような資格があるだろうか」

「資格なんていらねえよ。エリザベートが暴君に戻り圧政を始めたら、お前が代表してこの国の民を救うんだ。お前なら、この道具を適切に使える。そう信じてるよ」


 俺はぽんとオーギュストの肩を叩くと、門扉をくぐった。


「ルルブロ」


 最後に、オーギュストが呼び掛けた。

 俺は脚を止め、半身だけ振り返った。


「一つ聞いても良いだろうか」

「なんだ」

「エリザベート様は、ヒュンドルがセシリアの父上であるアレッキーオ殿だということを、知っていたんだろうか。その上で、彼女自身に討伐させようとしていたんだろうか」


 俺は短く首を振った。


 実は、同じことを考えていた。

 帰り道、ずっとそのことを考えていた。


「さあな」

 と、俺は言った。

「ただ、エリザベートはお前が思っているような人間ではなかった。アイツは十年以上、“本当の自分”を隠し続けて生きていた。いや――俺もまだよく分かっていないのかもしれない。やはり、女というのは奥が深い」

「どういう意味だ?」

「女の本当の気持ちは海より深くて、俺たち男にはきっと、一生分からないってことだ」


 オーギュストはよく分からないという風に首を傾げた。

 俺は苦笑して、今度こそ、彼の横を通り過ぎた。


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