第35話 叫び
Σ
「お見事」
肩で息をしながら、オーギュストが言った。
「見事なお手前でした。ルルブロ殿」
「いや、お前のおかげだ、オーギュスト。俺一人だとやばかった」
俺はそういうと、ヒュンドルの前に立った。
ヒュンドルは仕立ての良い、とても高貴な鎧を着ていた。
胸に3つの勲章を付け、剣には鷹とアザミの紋章が刻印されている。
セシリアの家で見たものと同じ。
「悪いな、ヒュンドル。いや――アレッキーオ。あんたに恨みはないが――」
俺は“袋”から“
この剣は聖力を帯びた神剣である。
魔を滅し、死を消し去り、闇を照らすために作られた、非常にレアなアイテム。
ただし非常に脆く、攻撃を受けたり、鍔競り合いなどをするとたちまちの裡に破壊されてしまう。
しかし、聖なる力が付与されており、こちらから攻撃する分には強力な力を発揮する。
特に――
俺は鞘から剣を抜いた。
刀身は聖光で僅かに輝いている。
それを、ゆっくりと上段に構えた。
剣から降り注ぐ煌めきが、俺とヒュンドルを包み込む。
刹那、俺たちは神の洗礼を受けているように感じた。
「さよならだ。あんたには、ここで消えてもらう」
餞の言葉を吐き、剣を振り下ろそうとした――
その時である。
「何をしているの!」
あばら家から、イザベラが飛び出してきた。
「ルルブロさん! あなた、いったい何を」
「見ての通りだ」
と、俺は言った。
「ヒュンドルの討伐だ。元々、俺はセシリアからその頼みを受けてやってきたんだ」
イザベラは険しい顔つきのまま、俺の方に歩み寄った。
「そのことでしたら、もう結構だと伝えたはずです。ルルブロさん、これまでありがとうございました。もう、おかえりください」
「そうはいかない。俺たちは、セシリアに頼まれたんだ。あんたじゃない」
「セシリアは私の娘です。あの子の言うことは、私の言うことと同じです」
「違う。彼女は、あんたの
「あの子は私のものよ!」
突然、イザベラはヒステリックに叫んだ。
「あの子は、私が育ててきたんだから! 苦しくて、食べ物が無くて、それでも必死に育ててきたの! だから、私のいうことを聞くのが当たり前なのよ!」
暗闇の森に、イザベラの声が響いた。
「……イザベラさん」
オーギュストが口を挟んだ。
「あなたは一体、ヒュンドルに――いいや、アレッキーオ殿に何をしたんですか。一体、どうやってアレッキーオ殿をここまで怒らせたんですか」
イザベラはどろりと淀んだ瞳でオーギュストを見た。
口元には、歪んだ笑みを浮かべている。
「これはこれは。マヌエル家の御子息ではありませんか。公爵の騎士殿が、こんな汚いあばら家に、一体、何の御用ですか」
その時すでに。
イザベラの瞳は既に正気ではなかった。
オーギュストは小さく息を吐き、小さく首を振った。
「……イザベラさん。セシリアはどこです」
「セシリア? あの子なら平気よ。あれくらいなら、死んじゃうことはないもの」
イザベラは目を剥いて笑みを浮かべ、肩を竦めた。
オーギュストは顔を顰めた。
多分、俺も似たような表情をしていた。
この女――今、なんて言った?
「そ、それはどういう意味ですか」
「だから、
「さ――刺した?」
「ええ。それくらいしなきゃね。夫はもう言葉があんまり通じないから。
「ば、馬鹿な」
オーギュストは戦慄したように体を強張らせた。
どんな醜悪なモンスターを見た時よりも、嫌悪に満ちた顔をしていた。
無理もない。
イザベラは、どうやらそれほどイカれたことをやった。
俺は想像する。
彼女はヒュンドルを街へ向かわせるために芝居を打った。
まず、セシリアを刺し、それから、街の人間に刺された、だから娘の仇を取って欲しい、きっとそのように嘯いた。
わずかにアレッキーオの心が残っていたヒュンドルは、娘を刺されたことに激昂した。
化け物になってしまった彼は、すでに物事を理性的に判断することは出来なかった。
これまで受けた仕打ちも憎悪を助長したのかもしれない。
そしてアレッキーオの心が残っていたヒュンドルは完全に化け物になり。
これほどまでに怒り狂い、殺意を漲らせたのだ。
「そうよ。でも、誤解しないで。これは必要なことだったの。あの子も、それを望んでいたんだから」
イザベラは偏執狂のように、へらへらと異様な笑みを浮かべた。
イザベラはずっと復讐を果たしたかったのだ。
彼女は――自らの夫の亡霊を使い、市井の人間に復讐しようと考えていた。
そして、俺の薬で体力が回復したとき、その欲望が爆発したのだ。
きっと、イザベラたちはヒュンドルに街を襲わせた後、この街から出ていくつもりだったのだろう。
「何を笑っているんだ!」
オーギュストは怒鳴った。
「あなたは、自分の娘を刺したのか! 夫の亡骸に町の人間を襲わせるために、自らが腹を痛めて産んだ娘を――その手で刺したのか!」
オーギュストは怒りの表情を浮かべていた。
初めて見る、剥き出しの表情だった。
「あんたは狂っているんだ、イザベラさん! 正気に戻ってくれ!」
オーギュストはイザベラの胸倉を掴んだ。
「さあ、教えるんだ! セシリアはどこだ!」
「黙れっ!」
イザベラはオーギュストの手を振りほどいた。
老いた顔を歪め、鬼のような形相をしていた。
「貴様に何が分かる! ぬくぬくと何不自由なく、誰からも差別されず生きてきたお坊ちゃんに、私たち親子の何が分かる!」
イザベラは白髪を振り乱して叫んだ。
「私たちがどれだけ辛酸を舐めてきたか! どれだけ辛く惨めな想いをしてきたか! 殴られ、侵され、辱められてきたか! 狂ってるのはお前たちの方だ! 私たちはただ生きていただけなのに! 家族で静かに暮らしていたいだけだったのに! この街の人間が――」
私たちから全てを奪ったんだ!
イザベラは目を剥き、憎悪の全てをぶつけた。
オーギュストは眉を下げ、唇を震わせた。
ただ佇立し、悲しげに、困惑したように、激しく攻める老女を見つめていた。
彼は、イザベラに言い返すだけの言葉がないようだった。
「分かったでしょ! あんたたちには、関係のないことなのよ!」
イザベラはヒュンドルに向かった。
それから町の方角を指さし、
「さあ、あなた! 行くのよ! 私たちの恨みを晴らして! 街の人間どもを、皆殺しにして――」
イザベラは叫んだ。
それに呼応するように、グギギギ……と、ヒュンドルは小刻みに震えた。
凄まじい力が圧縮されていた。
「無駄だ。影縫いは物理的なパワーではどうにもならない」
と、俺は言った。
「悪いが、もう勝負はついている。アレッキーオにはここで――」
バギンッ!
俺が言いかけた時。
背後で、分厚い鉄を捩じ切るような音がした。
「う――嘘だろ」
俺は身体が硬直した。
恐る恐る振り返ると――そこには、影縫いから脱したヒュンドルの姿があった。
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