第34話 狂戦士


 Σ


 ヒュンドルは異様な殺意を剥き出しに、俺に斬りかかってきた。

 俺は咄嗟に“袋”から伝説の武器の一つ、血塗られた剣ブラッディソードを取り出し、ギリギリのところでその剣戟を受け止めた。

 まるで猛スピードで走る車を全身で受け止めたような衝撃。

 これまで受けたどんなものよりも強大だった。

 ダンジョンで出会った誰よりも強い物理攻撃である。

 おそらく、あのまま剣戟を受けていたら、この俺の強力な外殻装甲をも貫いていた。


 生まれて初めて、ダメージを食らうところだった。

 それも、致命的な傷を。

 俺は数十年ぶりに“恐怖”という感情に襲われていた。

 

 想像をはるかに超えている。


 俺は目の前に迫るモンスターに目をやった。

 オーギュストは彼を“器用な剣士ハンドール”と呼んだが、とんでもない。

 こいつは――


「グアアああアァァあアアアッ!」


 ヒュンドルは耳をつんざくような声音で咆哮した。

 凄まじい怒りの放出だった。

 全身から、憤怒のオーラが迸っている。


 そう。

 こいつは、もはや剣技に秀でたアレッキーオではない。

 怒りに駆られた躯騎士ヒュンドル――狂戦士バーサーカーだ。


 ヒュンドルの圧倒的な力のおかげで、腕がミシミシと鳴った。

 俺は圧されて、徐々にあとずった。

 ささくれた後ろ肢が、地面に埋まっていく。

 

 これでは“袋”から道具を取り出す暇もない。

 片手では、きっとこの未曽有のパワーに押し切られてしまう。


「失礼します!」


 突然。

 右方向から声がした。

 続いてガキィンッ、という鋼が削れるような音。

 驚いて目をやると、オーギュストが、横からヒュンドルの横腹に剣を突き刺していた。

 ヒュンドルは僅かに体勢を崩してよろめき、一瞬、力が緩んだ。


 ここだ。

 俺は肢で思い切り奴の腹を蹴飛ばした。

 ヒュンドルはくの字型で吹き飛び、あばら家の壁に激突した。


 ほんの束の間、空白の時間が生じた。

 俺はその隙に“袋”に手を突っ込み、アイテムを取り出した。

 とにかく、奴の行動を不能にしなければならない。


 “睡眠杖”では弱い。

 刹那、俺はそのように判じた。

 チャンスは一回だ。

 もしも魔法が効かなければ、奴の攻撃を再び受けることになる。

 力は向こうの方が遥かに上。

 もう一度力比べになってしまえば、じり貧だ。


 瞬く間の思考の末、俺は“影縫いの巻”を取り出した。

 こいつは文字通り、対象者をその場に縫い付け、動かない状態にする。

 魔法系は無効化するモンスターが多いのに対し、こういった術系、しかも忍術系のアイテムはほぼ全ての魔物が耐性を持っておらず、効果がある。

 ダンジョン内に、影縫いが効かなかったモンスターはいなかった。


 がらりと壁が崩れて、ヒュンドルが立ち上がった。

 怒りは露ほども衰えていない。

 それどころか、さらに増幅しているようにさえ思えた。


 グルルル、と、ヒュンドルは動物のような唸り声を上げた。

 眼球の抜けた穴ぼこの双眸から、ないはずの視線を感じた。


 恨み。

 嫉み。

 この世のあらゆる感情を集めたような、禍々しい視線。


 こいつは何故、こんなに怒っているのだろうか。

 これまで比較的この屋敷の中で大人しく過ごしていたはずのヒュンドルが、怒りで我を忘れている。

 これも、イザベラの仕業であろうか。

 だとすると、彼女はどうやって、この男の感情をここまで高ぶらせることが出来たのか。

 なにをトリガーにすれば、ヒュンドルをここまで怒らせることが出来るのか。


 一瞬の間。

 俺の脳裏に、そのような考えが瞬いた。


「こいよ、化け物」


 俺は挑発するように、昆虫のような右肢をくいくいと手招いた。


「ギュャルルアァアアアアアアアアア!」


 言葉にもならない雄叫びをあげながら、ヒュンドルは身体を捩じり、躍動させながら俺の方へと突っ込んできた。

 俺はすぐに“巻物”を広げ、奴に向かって手を掲げた。

 影縫い。

 そのように詠唱するとたちまち黒い波動が表出され、地面を這うようにして“領域”を発露させた。

 そして、ヒュンドルがその上を通過しようとしたとき――


 バシュッ。


 俵を切り裂くような音がして。

 ヒュンドルは俺の手前、約2メートルのところで、動きを停止させた。


 

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