第29話 地下室にて
Σ
ピリア軍の兵士がセシリア邸の納屋に突入してから、約30分ほど。
俺たちは、急遽その地下に作った“
「静かに……なったな」
頭上を見ながら、オーギュストが小声で言った。
少し前までしていた足音もなくなり、どうやらエリザベートの遣わした兵士たちは諦めて帰ったようだった。
「そのようだな。しかし、俺たちが消えたことを訝しんで、見張りは幾人か残して行っているはずだ。まだ、当分は出ない方がいい」
俺は言った。
あのエリザベートの使徒が、おいそれと諦めるとは思えなかった。
「仕方ないな」
オーギュストはそういうと、壁を背にして腰を下ろした。
「しばらくは話も控えたほうがいいだろう。丁度いい、みな、1時間ほど休憩しようか」
誰からも異論は出なかった。
セシリアもイザベラも、それからオーギュストも、心労でクタクタだったのだろう。
俺はオーギュストから少し離れた場所に腰掛けた。
俺の隣にラキラキが座り、さらに横にはブルータスが寝転がった。
さらにその隣に、セシリアとイザベラが座った。
“空間槌”で急造した部屋はがらんとしていて何もないが、広さは学校の教室2つぶんくらいある。
おかげで息苦しさはそれほどないものの、窓や天蓋などはなく、寂しくて心寒い空間である。
ラキラキは退屈になったのか、さっさと寝てしまった。
「のう、ルルブロ」
それから20分ほど経ったころ、ブルータスが口を開いた。
「なんだ」
「ワッシ、腹が減ったんじゃが」
「我慢しろ。あと1時間ほどだ」
「我慢できんのよ。もうずいぶんと飯を食うとらん」
「出来なくてもしろ。子供じゃねえんだから」
「できんもんはできん。ああ、不味い。イライラしてきた」
ブルータスはそういうと、怒りの表情を浮かべて、歯をぎりぎりと鳴らした。
俺は短い首を傾げた。
様子がおかしい。
「ワッシ、腹が減りすぎると理性が飛びそうになるんじゃ」
「なんだと」
「頼む。何か食うもんをくれ」
ブルータスはそう言って、手を差し出した。
しょうがねえなと俺は“袋”に手を入れ、その中から干し肉を取り出した。
「今はこれくらいしかない」
「おう、ありがとうの」
ブルータスは奪うように俺から肉を奪い取ると、あっとう言う間に平らげてしまった。
「ちっとはマシだが……足りんのう」
「もうない。我慢してくれ」
「……しょうがないのう」
ブルータスは情けない顔つきで腹をさすりながら、俯いた。
「あの、ルルブロさん」
隣で聞いていたイザベラが小声で声をかけてきた。
「よかったら、私が母屋の方から食べ物を持ってきましょうか」
「いやしかし、まだエリザベートの兵士がいるかもしれない」
「平気ですよ。もう、こんなにも静かなんだし」
「しかし――」
俺は“
確かに、もう数十分以上、足音ひとつもしない。
既にいなくなったと見るのが妥当だろうが――
「私も行きます」
セシリアが言った。
「分かった。俺じゃあ、俺も行こう」
そのように提案すると、セシリアは首を横に振った。
「いえ。みなさんは休んでいてください。隣の家に行くだけですから、私たちだけで充分です。万が一兵士に見つかったら、すぐにルルブロさんを呼びますし」
「そうか。まあ、考えてみれば、あんたも十分強い剣士だもんな」
「それであの、申し訳ないんですが、念のため例の透明になれる“傘”を貸していただけませんか」
「なるほど。アレを使えば完璧だな」
俺はそういうと、腹についた“袋”から“透明傘”を取り出して、セシリアに渡した。
「使い方は分かるな」
「ええ。それでは、行ってまいります」
セシリアとイザベラはそういうと、天井に付いたマンホールのような出口から出て行った。
Σ
「ルルブロさん」
それからどれくらい経っただろうか。
いつの間にかウトウトしていた俺は、何者かに揺さぶられて目を覚ました。
「ルルブロさん、起きてください」
オーギュストだった。
「ああ、どうした」
俺は節の付いた肢で顔を洗った。
「大変だ。セシリアとイザベラさんがいない」
「あ? ああ、彼女たちは食事を取りに行った。ブルータスがわがままを言ってな」
俺は辺りを見回した。
ブルータスはあれだけ騒いでいたくせに、今はまた眠りこけている。
全く、モンスターというのは勝手なものだ。
「心配するな。ほとんど兵士の気配はないし、念のため、姿を消すことのできる俺の道具を貸しておいた」
簡単に説明すると、オーギュストはホッと胸を撫でおろした。
「そうだったか。すまない。どうやら少し寝てしまったようだ」
「無理もない。目が赤かった。昨夜からほとんど寝てないのだろう」
「……実はそうなんだ。全く、キミは何でもお見通しだな」
オーギュストは肩を竦めた。
それから少し何やら考えた後、「少しいいか」と俺を見た。
俺がうなずくと、オーギュストは俺の隣に腰掛けた。
「ルルブロ。キミから見て、私のやろうとしてることはどう思う」
オーギュストがやろうとしていること。
それは、セシリアのために、エリザベートと婚姻関係を結ぶこと。
即ち、好きな女のために、好きではない女と結婚するということだ。
「やはり、馬鹿げているか」
「さてね。俺にはよく分からない」
「キミの率直な意見が聞きたいんだ」
オーギュストはそこで言葉を止め、真剣な目で俺を見た。
あまりに熱心なその視線に、俺は思わず目を背けた。
「なんだ、それは。俺はモンスターだぞ」
「そうだ。キミはモンスターだ。しかし、ただの魔物じゃない。人間のことがよく分かっている。もしかしたら――人間以上に、ね」
「そんなことはないよ」
「いいや。私は驚いているんだ。それから反省もしている」
「反省?」
「ああ」
オーギュストは少し離れたところで大股を広げてぐーぐー寝ているブルータスに目をやった。
「キミだけじゃない。ラキラキさんもブルータス殿も、私の思っていたモンスター像とはかけ離れていた。もちろん、ヒュンドルのような恐ろしい魔物もいるが――そうでないものもいる。君たちにも“個性”や“多様性”があるんだということを知った」
まじめな男だ。
俺は思わず苦笑した。
オーギュストの人間性をよく表した言葉だと思った。
彼は、とても純粋で、とても育ちが良い。
「考えてみれば当たり前のことだ。しかし、その当たり前が分からなかった。“魔物は悪”という先入観に囚われていた」
「は。こいつらは特別だよ。特別、変な奴らなんだ。それに――」
そこで、俺は言葉を止めてオーギュストを見た。
「それに?」
「それに、オーギュスト。そんなことを言うお前も、人間としてはなかなか変な奴だ」
頭をさすりながら、俺は言った。
するとオーギュストは「……そうかもしれないな」と言って、ちょっと笑った。
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