第21話 オーギュスト


 Σ


 それから。

 俺は前庭に出て、軽く体を動かした。

 ただ、運動、というよりは日光浴に近かった。

 何十年ぶりの日光が身に染みた。

 外の空気が気持ちいい自分が新鮮で、なにより嬉しかった。


 ブルータスは昼食を食べるとまた寝てしまった。

 ラキラキは妖精の姿に変身して、街の様子を見に行くと言って飛んでいった。


 伸び放題の芝生に寝ころんで空を眺めていると、自分が元居た世界のことを思い出した。

 どこまでも蒼く澄んでいて、白い雲が筆の遊びのように張り付いている。

 その下を、巨大な鳥が羽を広げて、優雅に滑空している。


 同じだ。

 空や自然は、どこの世界も同じ。

 もしかすると、こちらとあちらの世界はどこかで繋がっているのではないか。

 唐突に、そんな閃きが脳裏に瞬いた。


 と、そんな風にぼんやりと考えていた時。

 急に気配を感じて、俺はむくりと起き上がった。


「誰だ。出てこい」


 俺は誰もいない四つ角に向かって言った。


 反応はなかった。

 俺はもう一度、出てこい、と言った。

 しばらく待つと、男の影が現れた。


 オーギュストだった。


「よう。昼間に見ると一段と色男だな」


 俺は軽口を言った。

 オーギュストは何も言わず、じっとこちらを見ていた。


「なんだよ。何の用だ」

「……お前は何者なんだ」


 オーギュストはじり、とこちらににじり寄った。

 腰に剣を提げているが、構えてはいない。

 殺気もない。


「前に言った通りだ。セシリアの友人。それ以上でも以下でもない」

「ということは、彼女を助けに来たのか」

「そうだ。ヒュンドル討伐を手伝ってくれと言われて来た」

 

 俺は言った。

 この男には全て話してもいいと判じていた。

 セシリアが、信頼しているようだったからだ。


「ヒュンドル討伐を?」

「そうだ。セシリアとはこの近くにあるダンジョンで出会った。ピリアの領主であるラティス公の命は断れない、と話を聞いてな」

「……何故、モンスターであるお前が、人間であるセシリアを助けるのだ」

「さてね。理由は特にない。強いて言うなら、仲間のモンスターに頼まれたからだ」

「理由は、ない?」


 オーギュストは訝るように眉根を寄せた。

 俺は顎を上げ、わざと見下げるようにオーギュストを見た。


「お前はどうするつもりだったんだ、オーギュスト」

「わ、私の名を知っているのか」

「質問に答えろ。お前はどうするつもりだったんだ」


 今度は、俺の方が一歩、オーギュストに近づいた。


「お前はセシリアの友人――いいや、かつてはきっとそれ以上の関係だったんだろう。こうして今も様子を見に来ているところを見ると、どうもまだ未練があるようだ。そんな男が、セシリアの窮地を知って、手を貸そうとは思わなかったのか」


 オーギュストはハッと目を見開いた。

 それから口惜しそうに唇を噛み、俯いた。


「……お前に何が分かる」

「あん?」

「ダンジョンの中で生きてきた化け物のお前に、何が分かるというのだ」


 オーギュストは三白眼で俺を見た。


「私には立場があるのだ。セシリアの一族、ルートヴィヒ家は前領主に仕えていた移民の娘だ。代々この土地で栄えてきた我がマヌエル家の人間が、余所者を助力することは許されない」

「だから恋人を見殺しにすると」

「そんなことはしない!」


 オーギュストは大きな声を出した。


「私は、ずっと彼女を陰ながら見てきた。だから――今回も」

「なんだ? ヒュンドル討伐には、お前も力を貸すつもりだった、とでも言うのか」

「そうだ。ただ、そのことが周りの人間にバレてはいかにも拙い。巷間の噂というものはすぐに市井に回る。市井に回れば、いずれ領主様の耳に入る。だから、セシリア本人にも伝えていなかったのだ」

「は。随分と都合の良いことだ」

「なんだと?」


 オーギュストは顔をしかめた。

 俺は節のついた硬い肩を竦めた。


「オーギュスト。お前は、あの母娘がどれほど追い詰められていたのか知っていたはずだ。もはや、彼女たちには進路も退路もなかった。それなのに、お前は自らの保身や世間体を気にして、コソコソと見守ることしかしなかった」


 オーギュストはぐ、と怯んだ。

 俺はなおも続けた。


「お前は意気地なしだよ、オーギュスト。セシリアのことより、自分のことが大事なんだ。お前の正義、お前の情は、その程度なのさ」


 オーギュストはギリ、と歯噛みした。

 そうしてしばらく、俺を睨みつけていた。


 乾いた風が吹いた。

 オーギュストの美しい金色の髪が揺れる。


 俺は前肢で顔を洗った。

 色男は、こうして佇んでいるだけで絵になる。


「……お前、名前は」


 やがて、オーギュストが問うた。


「名前はない。だが、ルルブロと呼ばれている」

「ルルブロ。私は驚いているよ。よもやモンスターの中に、お前のようなものがいるとは」


 オーギュストはそういうと、碧い目を伏せ、がくりと項垂れた。


「お前の言うことは全て正論だ。私に反論の余地は微塵もない。私はセシリアを愛している。それなのに――世間や父に対して、どうしても勇気が出せなかった」


 そうして、彼はセシリアとの思い出をほつりほつりと語り始めた。


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