第17話 令嬢
Σ
「一人娘?」
と、俺は聞いた。
セシリアはそうです、と言って頷いた。
「ラティス公の一粒種、いわゆるご令嬢です。彼女の名前はエリザベス。とても激しい気性を持った、虎のようなお方でございます。それはもう恐ろしく冷徹で、市井の人間は怯えておりました。あまりに横暴なので、ラティス公も手を余すような――」
言い過ぎたと判じたのか、セシリアはそこで口を閉じた。
「そ、そんなにすごいのか」
俺が問うと、セシリアは「……はい」と頷いた。
「ラティス公も随分と手を焼いていらっしゃいます。気に食わない使用人を勝手に追い出したり、隣国の使者を強引に追い払ったり。最近は政治にも口を出すようになったとか」
俺ははあと息を吐いた。
そいつは確かにすごい。
「最も、昔はとてもお優しい方でした。市井の人間から疎まれていた私に目をかけてくださっていました。私もあまり年が変わらないので、時々、遊んでもらいました。しかし、どういうわけか、ちょうど母が病に臥せったころから、突然態度が変わったんです」
セシリアは疲れたようにははと乾いた笑い声をあげた。
「一体、何が気に食わないのか、私に特に冷たく当たるのです。市民の嫌がらせも、半分は彼女の指示だと思います。常に私に対して対抗意識を持っているようで……そして極めつけに――」
「ヒュンドル退治を命じた、と」
俺は先回りして答えた。
セシリアははい、と頷いた。
「要するに、この命もその令嬢、エリザベート様の気まぐれ・お遊びなんです。私が困ることが楽しくて仕方ないんでしょう」
セシリアは深いため息を吐いた。
「なぜ、彼女に嫌われているのか。急に嫌われだしたのか。心当たりはないのか」
「はい。小さい頃はあんなに仲良かったのに――」
そう言って俯く。
なるほど。
大まかな話は分かった。
セシリアが言っていたように、かなり不愉快な話だった。
凄まじい半生であった。
しかし同時に、ある意味で得心が入っていた。
なぜ、彼女が一人でダンジョンにやってきていたのか。
イザベラの言っていた通り。
セシリアはもう、限界だったのだ。
半分、自棄になっていたのに違いない。
「それじゃあ、最後にもう一つ」
と、俺は言った。
「さっき庭にいた、あの色男。あいつは何者だ」
「ああ、あの人は」
セシリアはこの期に及んで言い淀んだ。
やはり言いにくそうだ。
「……あの人はオーギュストさんです。嫌われ者の私たちに、唯一、優しく接してくれた人」
「恋人か?」
「ま、まさか」
セシリアは急に顔を赤くして、首をぶんぶんと振った。
「オーギュストさんは名家の御子息です。私なんか……」
「しかし、向こうはその気なんじゃないのか」
「そんな。あり得ません」
「どうかな。さっき、奴は俺に向かってきたぜ。俺があんたらを襲うと勘違いしてな」
「……あり得ません」
セシリアは俯き、呟くように言った。
その反応を見て、俺はやはりそうかと思った。
二人はかつて、恋人同士か、或いはそれに近い関係だったんだろう。
あの剣士――オーギュストは、こうして毎夜セシリアの家を見張っているのだ。
「しかし、そのオーギュストとかいう男も意気地なしだな。世間体を気にして、こそこそ隠れるようにして、セシリアを守ってるなんて」
「いえ。私たちにとっては十分です。一人でも味方がいる、というのは」
「だが、直接は手を貸してくれないんだろう」
「あの人にはあの人の立場がありますから。私たちに手を貸したとなれば、エリザベート様からどのような仕打ちを受けるか」
セシリアは少し寂しそうに笑った。
「とにかく、話は分かったぜ」
と、俺は言った。
「話してくれてありがとう。俺も、決心がついたよ」
「決心、ですか」
「ああ。あんたに手を貸すっていう、決意だ」
俺はそう言って、“袋”をまさぐった。
そして中から、碧い草を取り出した。
「これ、よろずの病に効くとされている薬草だ。よかったらイザベラさんに使ってみてくれ」
「や、薬草、ですか」
「ああいや、過度な期待はしないでくれ。ダンジョン内にあったアイテムだから、人間に効くものかはわからない。人間に効いても、イザベラさんの病に効くのかはわからない。だから、使うなら、覚悟はしておいてくれ。もしかすると、人間には毒草かもしれない」
「……わかりました。ありがとうございます」
セシリアは薬草を受け取ると、もう一度「ありがとうございます」と言って、それをぎゅっと抱きしめるようにして、顔を伏せた。
「な、なんだよ。泣いてるのか」
「すいません……嬉しくて」
セシリアは両目からぼろぼろと涙を流した。
「こんな風に優しくされたの、もう何年振りだろう」
そうして、彼女は肩を揺らして、長い間泣いていた。
俺はどのような声をかけてやればいいか、考えていた。
慰めてやれる言葉を探した。
しかし、何を言っても上滑りしそうだったので、そのまま黙っていた。
「ルルブロさん、やっぱりいい人です」
やがて、目をゴシゴシと拭きながら、セシリアが言った。
「やめてくれ。俺は良い奴じゃないし、人間でもない」
俺は冗談めかして言った。
するとセシリアは泣き顔のまま、ふふと笑った。
俺はその笑顔を見て、ほっとして胸を撫でおろしたのだった。
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