第14話 袖野白雪の嫉妬

花園はなぞのくん、そろそろ担当を増やしてみないか?」

 編集長に呼び出され、第一声がそれだった。

 私――花園はなぞの美咲みさきは、新米編集者とはいえ、この出版社に入社してちょうど一年を迎える頃である。このときが来るとは薄々勘付いていた。

袖野そでの白雪しらゆき先生以外に、担当する作家を増やす、と?」

「袖野先生のもとで色々と学んできただろう? まあ途中トラブルもあったが」

 トラブル、というのは袖野先生が初めての恋愛感情を知り、私を担当編集から外そうとした事件のことだ。

 ――袖野白雪は、花園美咲という同性に恋をしてしまったのである。

 そして、私も先生を少なからず想っている。両想い、というやつであろう。既に先生と同居もしており、先生の家から出版社に通勤している。

松井まつい光一こういち、という新人作家が近々デビューする準備をしている。君にその子の担当を頼みたい」

「松井光一……ああ、うちの小説コンテストで入賞した高校生ですね」

 私の働いている出版社では毎年小説コンテストを行っており、入賞した有望な作家志望者には担当がついて様々なアドバイスを行い、やがては本を出版する。作家の卵にとっては夢を掴むための第一歩だ。

 それにしても、高校生作家か。どんな子なんだろう。素直な子ならいいけど、「作家なんてひねくれてる連中が多いからね」とは明神みょうじん先輩の言である。

 もちろん、編集部の人間は全員コンテストの応募作品には目を通している。

 松井くんの書いた小説は今流行りの異世界ファンタジーだが、他の作品とは一線を画していたのが受賞に繋がった。

 主人公が異世界に転移してしまうところまでは普通なのだが、世界設定があまり類を見ないものだった。『裏日本』という、日本の裏側にある世界で、その世界ではまだ戦国時代の真っ最中。しかもその世界の住人は全員獣人で、異世界から来た身体が毛に覆われていない人間は、戦国時代を終結させる『救世主』なのだという伝説にしたがい、獣人たちに『救世主』と担ぎ上げられた主人公は戦乱の世に巻き込まれる……というストーリーだ。戦国時代とモフモフ好きなケモナーにはたまらない設定である。

 しかし、私もかつては「作品は作者を映す鏡」だと信じていたが、袖野先生の例を見ると、この松井くんがどんな子なのか、作品からは想像もつかない。

 ひとまず編集長から住所を書いたメモを手渡され、担当編集である私がお家にお伺いすると約束した日時に松井くんのご自宅を訪問することになった。袖野先生には「帰りが遅くなるかもしれないので、十九時までにはちゃんとお夕飯を食べるように」と念押しの連絡をしてある。

 スマホの地図アプリと編集長のメモを見比べながら、なんとか時間までに松井くんの家に辿り着いた。

 呼び鈴を押して出てきたお母様と思われる女性は愛想よく迎え入れてくれた。いい人そうだ。お家に上げてもらい、二階にある松井くんの部屋まで案内してもらう。

「こんにちは、今日から松井くんの担当編集をさせていただく花園美咲と申します」

 私はにっこり微笑みながら名刺を手渡した。

「あ、ありがとう、ございます……」

 松井くんはまだ緊張気味なのか、ぎこちなく返事をする。じっと名刺を見つめている……。

「ケーキと飲み物でも持ってきますね」

 お母様は階段を降りていってしまった。

「まずはコンテスト受賞おめでとうございます。私も拝読させていただきましたが、とても面白い作品でしたよ」

 私はなるべく優しい口調で笑いかけるが、松井くんの緊張は解けない。なんだかそわそわしている。

 ……えーと、こういうとき、何を話せば緊張が解けるんだろう……。

 明神先輩なら、上手いこと心を開かせられるんだろうけど……。

 内心悩んでいると、立っている足元に何かがすり寄ってきた。毛の感触。

 足元を見ると、一匹の猫が足にすり寄っていた。ロシアンブルーだろうか。毛は灰色で、目は青い。

「あら、この猫……小説に出てきたキャラにそっくりですね」

 松井くんが書いた小説で、異世界にやってきた主人公の最初の友人になってくれた獣人の特徴が、このロシアンブルーとよく似ていた。

「あ……はい。その子がキャラのモデルなんです」

「へえ~。可愛い猫……小説に出すくらい大切な子なんですね」

「はい。僕が中学生のときに拾ってきて……僕の大切な友人、です」

 猫のおかげで、少し松井くんと打ち解けた、気がする。

 そこへ、お母様がケーキと紅茶を持ってきてくれたので、食事をしながら松井くんと話す。

「まずは松井くんの受賞作品を本として出版するために、いくつか作品の手直しをしていただきます。ページを増やすために文字数も少し増やしたほうがいいですね」

「は、はい」

「あ、でも全体としてはとてもいい出来だと思うので、話の内容を大きく変える必要はないですよ。ただ、間違った知識も小説内に混じってしまっているので、そこを直すところから始めましょう」

「はい……」

 二人でケーキを頬張りながら、今後の方針について話す。袖野先生のもとについていたおかげで、だいぶ編集者らしいことが言えてる気がする。

「花園さん……って、編集者になって何年くらい経つんですか?」

 松井くんが不意にそんな質問をした。

「まだまだそんなに経ってないですよ。出版社に入って一年くらいかな」

「あ、そうなんですか……もっとベテランかと思った……」

「袖野先生のもとで鍛えられましたからね」

 私は力こぶを作る真似をする。

「袖野先生、って……袖野白雪先生?」

「はい」

「わ、すごい……僕、袖野先生の百合小説買って読んだんですけど、あんなの僕には書けないなって思っちゃいました……」

 そう言って、松井くんは本棚からあの百合小説を取り出す。

「袖野先生は年季が違いますからね。大丈夫、松井くんも経験を積んで取材をすれば書けるようになりますよ」

 言えない……この百合小説を書くためにレズ風俗に行きかけたりレズビアン物のAV見まくったなんて言えない……。

 そんな気持ちを押し殺して、私は笑顔を作るのであった。

「取材……やっぱり外に出なきゃ、ダメですか?」

「? ダメってことはないですけど、ネットの情報だけだと真偽が分からなかったり、何かを自分の五感で体験するっていうのも大切だと思いますよ。スマホでいいのでカメラ片手に散歩するだけでもいいですし」

「その……言いづらいんですけど、僕、引きこもりなんです。学校にも、行けてなくて……」

 松井くんはロシアンブルーを抱き上げながら、悲しそうに言う。

「あっ……そうなんですね。なんか、ごめんなさい」

「いえ……」

 き、気まずい……。

「それで、インターネットで小説を発表していたんですね」

「学校に行けないと、やることなくて……。そんなことしてる暇があったら勉強しろって話なんですけど」

「でも、それでコンテストに入賞するなんてすごいですよ! もう本を出版して作家デビューできますし! 学校に行けなくても、ご飯を食べていけるだけのお金さえ稼げればどんな道を進んでもいいと思いますよ」

 私の言葉に、松井くんは目をパチクリさせていた。

「……そんなこと言われたの、初めてだな。周りはみんな『学校に行け』ってうるさくて」

「中卒で大企業の社長やってる人もいますから大丈夫ですよ! まあ、あくまで私の考えですけどね」

「……ふふ、花園さんって面白い人ですね」

 あ、笑った。

 ひとまずその日はあらかじめ小説全体を読み直して修正すべきところに赤ペンを入れた印刷原稿を渡し、あまり長居をしても迷惑かと御暇おいとまさせていただくことにした。

 松井くんの家を出ると、夕焼けが沈んでいくのが見えた。袖野先生のお夕飯に間に合うだろうか。

 私は家路を急ぐのであった。


 家に帰ると、家の中は真っ暗であった。

 まあ袖野先生のことだし、電気を付けるのを忘れて執筆に没頭しているのだろうと思っていたから、真っ暗な食堂で独りで夕飯を食べていたのにはビビった。心臓に悪い。

「美咲さん、遅いです」

「遅くなるかもって言ったじゃないですか」

 ジトッとした目で私を見る袖野先生は、明らかに拗ねていた。

「美咲さんがわたくしの専属編集ならいいのに……編集長に抗議の電話でも入れようかしら」

「仕事なんだから仕方ないじゃないですか。袖野先生は私と一緒に暮らせるだけじゃ不満ですか?」

「不満ですよ。一緒に住んでたって同じ空間にいなきゃ意味ないじゃないですか」

 なんだか、ひとつ屋根の下に暮らすようになってから、私より年上のはずの袖野先生は子供に戻ったような言動が多い。子供の頃に甘えさせてもらえなかったから、私に甘えてるのかな。

 とりあえず電気をつけて、袖野先生の向かい側に座る。

「高校生作家だか何だか知りませんけど、美咲さんはわたくしの美咲さんですからね」

「はいはい、私は袖野先生の担当編集ですよ。なに子供に嫉妬してるんですか」

「高校生だからって子供と侮ってはいけませんよ。美咲さんは可愛らしいから、いつ襲われるか分かったものではありません」

 どうやら先生は、男子高校生を性欲の塊だと思っているらしい。偏見がすごい。

 かといって、「松井くんはいい子でしたよ」なんて言ったら火に油どころかガソリンを注ぐ結果になるだろうしな~。めんどくさいな~。

「そういえばその子、松井くんっていうんですけど、先生の本を買って読んでましたよ。『あんなの僕には書けない』って言ってました」

 と思い出したように言うと、ちょっとだけ機嫌が良くなったようだった。

「ふふん、新人作家には負けませんとも。美咲さんも渡しません」

「まあそもそも書いてる土俵ジャンルが違うので勝ち負けとかないですし、多分松井くん、私には興味ないと思いますよ?」

 私は袖野先生の台詞に思わず苦笑する。先生がこんなに嫉妬深いなんて思わなかったな。

 しかし面倒臭さよりも可愛いという気持ちのほうが勝ってしまう私であった。


〈続く〉

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