第5話 先生! レズ風俗に行くのは勘弁してください!

 私の名前は花園はなぞの美咲みさき。出版社に勤め始めたばかりの新米編集者だ。

 しかし、新米なのになんやかんや事情があって大人気恋愛小説家、袖野そでの白雪しらゆき先生の担当編集になってしまった。

 しかも、袖野先生は美女なのに少し変わっている。いや、創作者というものは大抵変人揃いと聞くけれど、袖野先生はその中でもかなり変わっている。

 なにしろ、だ。恋愛感情を知らぬまま、恋愛小説を書き続けて、いつしか恋愛小説の代表的な大作家になってしまった。

 しかも、自分がバイセクシャルなのかも把握してないのに、「女性同士の恋愛小説が書いてみたい」と担当編集である私に迫ってくる始末。これを変人と言わずして何というのか。

 だが、あの闇色の瞳に見つめられてしまうと胸が高鳴り、虜になってしまう自分もいるわけで、私は今、結構揺らいでいる。

 もしかして、私もバイセクシャルなのかな……? と、自分の性癖に自信が持てなくなってきていた。

 それでも袖野先生は私の担当しているビジネスパートナーだから、たまに様子を見に家にお邪魔しなければならない。

 先生の家に着くと、チャイムも鳴らさず玄関で靴を脱いで上がる。先生の許可は既に得ている。

 そのまま廊下を歩き、袖野先生が執筆に使っている和室を覗く。

「袖野先生、様子を見に来ました」

「あら、美咲さん、ようこそいらっしゃいました」

「あれ? 今日は和服着てないんですね」

 和室の畳一面に散らばっている紙はおそらく小説の資料である。先生が資料を散らかす癖があることは知っていたので驚かなかったが、いつも和服を着ている先生が、今日はノースリーブの縦縞セーターにロングスカートという出で立ちだった方にびっくりした。

「今日は取材に出かけようかと思いまして。和服で外に出ると目立ってしまいますからね」

 たしかに、和服を着ている日本人って普段あんまり見かけないから、たまに歩いてたりすると思わず見ちゃうよね。

「取材って、どちらに?」

「それが迷っているのですよね」

 袖野先生は頬に手を当て、ふうとため息をつく。

「迷っている、とは」

「いえね、探してみたら意外とお店が多かったものですから」

「?」

 何の話をしているのか、よくわからないという顔をすると、先生は床に散らばった紙の一枚を見せてくる。

「――ッ!? こ、これって……!?」

 一見、おしゃれな広告に見えるが、これは風俗店のチラシだ。

 しかも、女性が利用する同性愛のお店――いわゆるレズ風俗だ。

 まさか、この床に散らばってる紙、全部風俗のチラシ!?

「せ、先生! どこからこんなの……!?」

「一人暮らししてると、たまにポストに入ってたりするでしょう、こういうエロスなチラシ」

 先生は顔を赤らめもせず、平常心を保った顔でチラシを指でつまむ。

「女性同士の恋愛小説を書くなら、こういうことも避けては通れないかな、と」

「ま、まさか行くつもりなんですか……?」

「何事も経験ですから」

 いやいやいや。そんな軽い気持ちで風俗なんか行かれたら困る。

 私は、作家の担当編集というのは芸能界で言えば芸能人のマネージャーのような関係だと思っている。

 作家のイメージを損ねないようにマネジメントするのも担当編集の務めだ。

 美人で超有名な女流作家がレズ風俗に通っているところを見られたりでもしたらちょっとしたスキャンダルである。

「先生、お願いですから、行かないでください」

 私は捨てられた子犬のような目を演じながら、なんとか止めようとする。

「大丈夫ですよ、美咲さん」

 袖野先生は子犬を撫でるように、そっと私の髪を指で梳く。

「美咲さんも一緒に連れて行こうと思っていたところですから、仲間はずれにはしませんよ」

「…………は、ハァ!?」

 まさかの3P!?

「ちょ、ちょっと、ちょっとまってください先生、落ち着きましょう」

「落ち着いてますが」

「えっと、あの、3Pは流石に向こうさんも予測してないでしょうし、オプション料金とか取られちゃうかもしれないし、」

「さんぴぃ?」

「あの、そもそも私は同性愛者じゃないですし、女同士なんて無理無理無理! 勘弁してください先生!」

 私は顔を真赤にしてブンブン首を横に振る。

「別にセックスはしませんよ?」

「セッ……しないんですか? じゃあ何しに?」

「さっき申しましたでしょう? 取材です」

 そう言って、先生はいつものスマホとタッチペンをスカートのポケットから取り出す。

「こういう風俗の方に取材して、女性同士のセックスはどんな感じなのか聞いてみようかと」

「あっ、ああ、ご自分の身体で体験するわけではないと……」

「そっちのほうがリアリティはつかめるのでしょうけれど、流石にそこまでは」

 流石にご自分の身体は大切にしてくれるらしい。良かった。ホント良かった。

 しかし、セックスすると思ってやってきた風俗嬢がセックスせずに延々と話を訊かれるために呼び出されるのってどんな気分なんだろう……。

「……あの、先生。やっぱり取材はちょっとどうかと思うんです。ご自分のイメージにも関わりますし……」

「うーん、そうですか……。まあ、結局店はしぼりきれていませんし、外に出るのも億劫ですしね」

 袖野先生は出不精というか、引きこもりの雰囲気がある。用事がないと外に出ないタイプだ。

「では、家の中で出来ることをしましょうか」

 袖野先生はパソコンを開き、何やらネットで検索し始めた。

 立ち上がったサイトは、エロ動画のレンタルサイト。

 お金を払えば、期間中は何度でもパソコン上でエロ動画を見放題というサイトだ。

「今度は何やってるんですか先生!?」

「レズビアン物のAVを見て勉強しようかと」

 AVを教科書代わりとか、男子中学生か!?

 私が止める間もなく、既にお金を払った先生のパソコンの画面の中では、女体同士が絡み合い、アンアン言ってるのが聞こえる。

 先生はあくまで取材だと思っているらしく、AVを見ながらスマホにタッチペンを滑らせメモを取っている。

「ホント……勘弁してください先生……」

 私はなんだか泣きたくなってきたのであった。


 数時間後。

「こちらのAVはドラマ仕立てになっていて、なかなか面白かったですね」

「AVに面白さを求めないでください……」

 結局、先生の横でAVを延々見続ける羽目になってしまった。だって担当編集だから……先生を独りにはしておけないし……。

 先生のスマホの中はメモでいっぱいだ。もう何時間もメモを取り続けているのだから当然だが。

「……あの、これ、小説にするんですか?」

 これでは恋愛小説ではなく官能小説になってしまう。

「別にメモを取ったからと言って、メモしたすべてをネタとして使うわけではありませんよ?」

 袖野先生はAVをひと通り見て満足したのか、サイトを閉じてパソコンのワープロソフトを起動し始める。

「あのドラマ仕立てのAVのように、あくまで恋愛物語を中心にして、性描写はスパイスとして使うだけです。今までわたくしが書いた小説をすべて読んでいるなら、『そういうシーン』もあったでしょう?」

 たしかに、かなりぼかされてはいたが、先生の執筆した小説の中にはたまにベッドシーンはあった。

 先生が今まで書いていた小説は男女モノがほとんどだったから、ドキドキしながらページをめくったものだ。

「わたくしが知りたかったのは、あくまで『女性同士がセックスするとしたらどういった方法を使うのか』ということです。学生時代、保健体育の授業は習いましたが、同性同士の性行為については学んだ記憶がございませんでしたので」

 たしかに、日本の性教育では同性同士のセックスの仕方は普通教えない。

「先生は、本当に小説のことしか頭にないんですね……」

 AVを何時間も見ても思うところはないらしく、先生はあくまで通常運転である。

「美咲さんはAVを見てなにか思うところでもあったんですか?」

「先生、同性同士でもセクハラが成立するって知ってます?」

「それは知りませんでした。またひとつ賢くなってしまいましたね」

 ウソつけ、絶対知ってたぞ。

 なぜなら先生は闇色の目を細めて笑っているからである。

「とにかく、これだけ情報があれば、女性同士の恋愛小説も書けそうです」

 その言葉を最後に、袖野先生はパソコンのキーボードをカタカタと叩き始める。

 こうなると、もう先生は集中状態に入り、周りの音も聞こえなくなってしまう。

「ご飯とお風呂は忘れないようにお願いしますね」

 そう言った私の言葉も聞こえているかどうか。

 明日また様子を見に来て、身の回りの世話をしておいたほうがいいな、と思いながら、私は袖野先生の家をあとにしたのであった。


 後日。

 袖野先生の百合小説は無事脱稿し、新規の男性ファンを獲得するのみならず、百合好きな女性ファンからも高い支持を得ることになる。

 ちなみに、あれだけ取材したにもかかわらず、ベッドシーンは少なめで、さらにぼかした表現であったことに私は安堵するのであった。


〈続く〉

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