第22話 「お姉さん、同級生に無理矢理お酒を飲ませないで下さい」

 魔術学校での日々はあっという間に過ぎていった。刺激的な時間に満ちた学校生活。入学初日のような騒動が、ほぼ毎日起こっている。こんなトラブルだらけの教室なのも、個性的なメンバーが集まっているせいか。

「キョウカお姉ちゃん! 助けてぇ!」

 泣き目でキョウカに抱き付くのはアミカだった。今日はアミカの日だ。肉体が交代する瞬間を一度も見てないからイマイチ実感が湧かないけど、今までアミカとアキマが同時に存在しているのも見た事が無い以上、二人が片方しか世界に居られないのは本当なのだろうと思う。


「はいはい。どうしたのアミカ」

 キョウカはアミカを胸で受け止め、頭を撫でた。本当の姉のような温かい態度に、俺は目を疑う。あの、誰にでも刺々しい言動をしていたキョウカが!? アミカには優しい! 何故だ!

「エムネェスお姉ちゃんがね、臭いお薬飲ませようとするの!」

 アミカは怯えてエムネェスを指差した。確かにエムネェスは、謎の液体が入った瓶を持ってアミカを追跡している。

「何やってんの、エムネェス」

 キョウカはアミカを庇いつつエムネェスを睨んだ。

「違うわよぉ。これは薬じゃなくてお酒。ワタシの新作よぉ」

 エムネェスは弁明した。いや弁明出来てないが。

 何でクラスメイトに酒飲まそうとしてるんだよ。一応ここは学校だぞ?

「モラル無いのね。アミカに飲ませようとするなんて」

「キョウカはつまんないわねぇ。インモラルな人生は楽しいわよぉ。さぁ、グイッといっちゃいなさい! これ飲むと気持ちよくなれるんだから」

 いやいやいや怖い怖い。言動がアルコール依存症のそれと同じで怖い。アルハラですよそれ。


「エムネェスの酒魔術は今日も調子いいみたいだな。ははははっ!」

 休み時間に(いつものごとく)発生した一悶着を、ザハドは愉快そうに笑っていた。

「酒魔術? 何でもあるな魔術って」

「理論上何でも出来るからな。エムネェスの『アルコホリック・パーティー』は水を酒に変える魔術。飲むと嫌な事全部忘れられるらしいぞ」

「謳い文句が危ない薬みたいだな……」

「実際危ないクスリだろ? 酒は『百ヤクの長』って言うしな」

 ザハドが冗談めかして笑っていると、エムネェスは絡む標的をこっちに変えた。

「ちょっとそこぉ! 人聞きが悪いわよ! ワタシの酒は安全なの。万が一害があっても解毒魔術で治してあげるから飲みなさい。新作の実験台……味見役が欲しいのよ」

 実験台とか言ってる時点で安全な気がしないんだが。って言うか大人に飲ませろよ。先生とか。もちろん退勤後にな!


「俺は下戸なんだ。ってな訳でアレイヤで実験してくれ」

 ザハドは速攻で俺を売った。一切の躊躇は無かった。

「おい待て! 俺、酒なんて飲めないぞ!」

 この世界ではどうだか知らないが、少なくとも俺の世界では俺は未成年。飲酒可能年齢ではない。人術で体内浄化機能を強化すればアルコールの影響は受けないけど、気分的に飲酒は嫌だ。

「うふふ……それがいいんじゃない。まだ未成熟の男の子に、ワタシのお酒を飲んでもらう背徳感……。お姉さん興奮しちゃう」

 エムネェスは俺を見下ろして舌舐めずりした。

「……変態!」

 俺は捨て台詞を残して逃げ出した。《しつ》を発動し高速で廊下を駆ける。あっという間に教室は視界から遠ざかった。

「ちょっとぉ! お姉さんショックなんだけど!」

 エムネェスの叫び声が聞こえたが、無視した。


「……ふぅ。ここまで逃げれば撒いたか」

 ある程度走って、俺は背後を確認した。エムネェスどころか誰もいない。

 一安心したのも束の間、別の問題に気付いた。ここはどこだ。入学して日が浅い俺は、この馬鹿みたいに広い校舎の全貌を知らない。少し見慣れない場所に迷えば、どう帰ればいいのか頭を悩ませた。

 人を探して道を尋ねるとか、五感強化系の人術で教室の場所を探せば良いだけの話だ。でも今の俺は、何故か行くべき道が分かる気がした。

「……こっちかな」

 根拠なんて無い。だけど初めて通る道を、俺は迷わず進めた。何か得体の知れない力が俺を誘導しているようだった。

 甘い匂いが鼻をくすぐる。どこからだろう。この優しい匂いに身を託してしまいたい程だった。


 すると不思議。俺はいつの間にか1組の教室に辿り着いていた。勘で歩いただけなのに、都合のいい偶然もあるものだ。

「あらぁ。来てくれたのねアレイヤ! やっぱりお姉さんに会いたかった?」

 エムネェスは俺を見つけるや否や、俺を抱き締めて逃げられないようにした。彼女の大きな胸が俺の顔を塞ぐ。

「むぐぐ……やめろ恥ずかしい! みんなの前だぞ!」

 俺は慌ててエムネェスを引き剥がした。彼女は寂しげな瞳で俺を見る。

「もう、恥ずかしいからこそ良いんじゃない。そんなに怒らないで。それとも、二人っきりの時にしてあげよっか?」

「そういう意味じゃない。こういう過度なスキンシップは……その……もっと進展した仲の男女がするもので……」

 俺が言葉に詰まっていると、エムネェスはからかうように微笑んだ。

「そういうとこも可愛いわよ。弄り甲斐があるわぁ。ねぇ、お姉さんが気持ちよくしてあげる」

 そしてまたエムネェスは酒瓶を取り出した。だから酒は飲まないって……そう言おうとした時、既視感を覚えた。いや『既嗅感』? とにかく、さっきの甘い匂いがこの酒瓶から漂っていた。

「その匂い……」

「うふふっ。気付いた? アレイヤがここに来たの、ワタシの魔術のおかげなの」

 エムネェスはグラスに酒を移し、一気に飲み干した。


 『アルコホリック・パーティー』。酒を作る魔術。その酒を飲んだり嗅いだりした者に、特殊な効果を及ぼすらしい。

「このお酒に付与したのは誘惑のフェロモン。特定の生き物をこの酒の元に誘導させられるわ。つまりワタシからは逃げられないって訳」

「へー」

 解説しながらエムネェスは飲酒していた。もう酒を飲んでもいい歳なんだろうか? 仮にそうだとしても、まだ学校のあるうちに教室で飲むのはどうかと思うけど。

「とりあえず、ありがとう。おかげで迷子にならずに済んだ」

「あらいいのよ。あなたを捕まえたかっただけだし」

 あぁ、そうなんだ。お礼言わなきゃよかった。

「エムネェス。クラスメイトにお酒飲ますのはやめないか?」

「でもワタシが飲んでも効果が無いのよ。ただのお酒になっちゃう。せっかく色んな効果の付与に成功したのに」

 がっかりした口調でエムネェスは酒を飲む。自分で飲んでも無意味なら何故飲む? 飲みたいだけだろさては。


「実験の協力者なら、正規の手続きで募ればいいですよー。職員室に書類はありますから、放課後にでもいらっしゃいー」

 ワットムが話を聞きながら教室に入ってきた。もうすぐ授業の時間だ。

「あら先生。助かるわ」

「それと、飲酒は控えましょうねー。まだ放課後ではありませんよー」

 ワットムはしれっとエムネェスを嗜めた。たまには教育者っぽい事も言う。エムネェスは「はぁい」と返事して酒瓶を仕舞った。


「えー、皆さん着席して下さいねー。今日は情報解禁日です。プリントを配りますから回して下さーい」

 ワットムは正面の席に座るサナとエムネェスにプリントを渡した。二人から後ろに回ってきたプリントが、俺の元にも届く。

「情報解禁?」

 何のだろう。そう思ってプリントを見ると、ワクワクする文字列が書かれてあった。

「皆さんお待ちかね。年に一度の大イベント。『魔術体育祭』の開催ですー」

 盛り上げ下手なワットムのローテンションとは裏腹に、俺の気分は燃え上がっていた。

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