第359話 未回収のエルフ領

「もし仮に連邦が占領地から撤退するのであれば、我が国は旧エルフ族領に進駐することになるだろうな」


 しばらく黙っていたジェットが、腕を組みながらそう呟く。


 五〇年前。連邦の侵略を受けたエルフ族は、ハイラント皇国と条約を結び、皇国に編入される形で辛うじて民族としての独立を守ることに成功した。

 そういった歴史的な経緯から、エルフ族は非常に高度な自治権を有している。形式上は皇帝陛下に忠誠を誓ってはいるものの、実態としては各部族による政治連合体とでも言うべき事実上の独立国なのだ。


 そんな、高度に中央集権化された国家機構を持たないエルフ族ではあるが、その精神的支柱としてのハイエルフ————すなわちマリーさんの存在は非常に大きい。

 政治的な実権を持つ長老とは一線を画する存在感のハイエルフ。エルフ族の棟梁とでも言うべきマリーさんが皇国軍において中将という実質的に最高位の階級にいるということは、皇国とエルフ族が非常に密接な関係にあるということを国内外に示している一方で、エルフ族もまた皇国への影響力を大いに有していることの証左でもあるわけだ。


 ゆえに皇国には、エルフ族の優れた魔法技術と対連邦陣営における味方を得る代価として、反攻の兆しが見えた暁には旧エルフ族領を奪還する義務がある。

 皇国にとって旧エルフ族領の奪還は至上命題なのだ。


 未回収のエルフ領問題。

 この問題はここ五〇年にわたって長らく皇国首脳陣の頭を悩ませてきた。だが公国連邦は非常に強大な国家だ。

 真正面から戦争をすればまず負けることはないだろう。しかし、少なくともかなりの苦戦を強いられることは間違いない。

 それだけの強大な国家を相手にわざわざ皇国が自分から攻めに向かうかといえば、そのようなことはまずないだろうと断言しうる程度には俺もこの国の国防方針には詳しいつもりだ。


 攻められれば反撃はする。可能であれば敵の後背地を突き、大打撃を与えることもしよう。しかし積極的にこちらから進軍し、戦線を拡大するといったことはこの国では考えることすらしていなかったのが実情であった。


 なにしろ連邦は広い。あまりにも広いのだ。豊富な人口を擁する多民族国家で、大陸最強の名をほしいままにする皇国であってさえ、その国土の広がりにおいては連邦と肩を並べることは敵わない。

 わかりやすい例を挙げるとしよう。

 近代文明の中心であるヨーロッパと、それに対するロシアだ。

 ヨーロッパという地域は人口も豊富で、文化的にも経済的にも、そして軍事的にも優れた技術を持っている。そのヨーロッパ中央部をすっぽり覆うような一つの巨大な国家が現れたとしよう。それがハイラント皇国だ。

 それに対し、東方にはヨーロッパ全土を足してもなお届かないほど遥かに巨大な国土を持った国家が存在する。これがヴォストーク公国連邦である。


 数百年前、突如として拡大を始めた大陸東方の小さい国。公王が治めるその小国は、周辺国家を次々と攻め滅ぼしては併呑し、侵略戦争を繰り返して強大化し続けてきた。その結果として生まれたのが現在のヴォストーク公国連邦という国なのだ。


 そしてその史上稀に見る急拡大の背景には、魔人の存在がちらつくという。

 これが現代の皇国軍で主流となっている分析だ。今となっては、連邦の背後に魔人がいるというのはもはや疑いようのない事実である。連邦は、魔人の魔人による魔人のための国家なのだ。


 だが魔人というのは非常に数が少ない。一体一体が強力だとはいっても、数において主力である第三世代ともなれば、Sランク程度の実力があれば充分渡り合える程度の強さしか持っていないのだ。

 これが魔公————魔王の血を直接引く第二世代ともなれば、なかなか骨が折れるかもしれない。それでもかつてオヤジが魔人を討伐した時のように、多大なる犠牲を払えば勝てないというほどではないのだ。

 ましてや国家間の戦争ともなれば、圧倒的な人口の規模の違いもあって魔人対人類では勝負にすらならないだろう。


 実際、歴史を振り返ってみてもそれは事実なのだ。

 初代皇帝陛下たる勇者が魔王を倒し、結果として戦力的・精神的な支柱を失った配下の魔人達は、各地で勢いを盛り返した人類陣営に敗走を繰り返し、やがて歴史から姿を消した。


 魔王は勇者を除けば限りなく最強に近い存在だ。だがその分、強力すぎるがゆえに魔王を失った魔人は案外脆い存在なのだ。











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