第354話 『昇華』された力
鏡に映る、銀髪赤眼の若い男。思考停止した頭でその姿を眺め続けることしばし、俺は数十秒ほどしてからようやくそれが自分だと理解した。
「え、ええええっ⁉」
これが、俺か⁉ 俺はもともと金髪に近い茶髪で、目の色も似たような色をしていた筈だ。それがマリーさんそっくりの銀髪に、これまたマリーさんそっくりの赤眼だって? 耳の形こそ以前までと変わりはないが、しかし見た目の変化のインパクトがあまりに大きすぎる。
「エーベルハルトよ。ど、どこか身体に異常はないか?」
「見るからに髪と目の色が異常なんですが……」
「う、うむ。それは妾もそう思うが……その、どこか痛むとかはないか?」
「そうだね……、どこも痛みは感じないかな。あと全身の諸器官、組織、血液なんかにも異常は見当たらないね」
自分に『診断』の魔法を掛けつつ確認を行う俺。と、同時に気づく。
驚くほど魔法の発動がスムーズだ。しかもその精度が尋常でなく高い。これまでに使ってきた『診断』とは桁外れに詳細な情報がフィードバックされている。身体の中心から末端部に至るまで、細胞レベルでの把握が可能だ。
「む……お主、魔力の質が変化したのか?」
「そうみたいだ」
マリーさんに指摘されて実感する。魔力を扱う時の感覚が、いつもと少し違うのだ。
なんというか、これまでの魔法がどこか霞がかった視界の中を手探りで進むようなものだとしたら、今は霧が晴れてクリアになった視界の中を軽やかに駆けているとでも形容すべき気分だ。
ゆえに魔法を発動する際の、魔法陣の展開も必要ない。
「固有魔法を扱うような気軽さで魔法が使える……」
試しに、複雑な行程を複数踏まなければならない『分身』の魔法を展開してみる。これまでよりも高度な自律思考が可能な疑似人格もインストールしてみたが、難なく発動ができてしまった。
続いて、これを一〇人ほど追加してみる。全部で一一人の独立した俺の分身が生み出されることになった。
最後に、これらすべてを統括・制御下に置くための『
「……驚くくらいに思考がクリアだ」
これまでであれば、六分割程度が限度だった。それ以上となると脳が過負荷に耐えられずに鼻血や頭痛、酷い時は知恵熱的なものに苦しむことさえあったというのに、今ではその倍近い負荷を加えてなおありあまるほどの余裕が感じられる。
「『
今度は分割・並列化された思考を直列に繋ぎ直してみる。直後に体感時間が一二分の一に。世界がスローモーションのように感じられる、灰色の世界が訪れる。
「頭が痛くない」
その状態で軽く手を振ってみた。なるほど、身体を動かすスピード自体は変わらないから、やけに自分の手の動きがゆっくりと見えるな。
マリーさんが、色々と試している様子の俺を心配そうに見守っているのが見えた。俺は少し下がってもらうように示した後に、腰を低くした姿勢で足を踏ん張り、その状態から全身の捻りを加えて可能な限りの速さで拳を放つ。
————ブオォンッッ
風切り音が聞こえるほどの鋭い突き。時速に換算すれば、数百キロといったところか。だがまだ限界は感じない。もっと速くできそうだ。
俺は北将武神流「表」の技の一つである『
————パァァンッッッ!!
空気が弾けた。と同時に衝撃波が発生し、周囲に風を引き起こす。拳圧だけで、数メートルは離れているマリーさんの長い髪がふわりと揺れた。
「音速を超えた……?」
ふと手の甲に痛みを感じて視線を遣れば、音の壁を超えた衝撃で拳が
「エーベルハルト、大丈夫か」
マリーさんが慌てて近寄ってきて、『治癒促進』の魔法を掛けてくれる。傷が浅かったこともあり、おかげで一瞬で血が止まった。
「凄いよ、マリーさん」
そこで俺は『意識加速』の魔法を解き、通常モードへと復帰する。以前ならここでどっと疲れが襲ってきたものだが、今は何の負担も感じない。
「うむ。横で見ておったが……恐ろしいほどに完成された魔力操作じゃ。無駄が一切見受けられん。普通、人であれば必ず発生する筈の魔力ロスや揺らぎが完全に存在せんのじゃ。まるで神獣や精霊の魔法を見ておるような気分じゃったぞ」
そう言ってマリーさんは俺の手を取り、自分の小さく温かい手で優しく包む。
「『昇華』、成功じゃな」
「みたいだね」
神獣界に来て数週間。ようやく俺は、『昇華』することができたのだった。
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