神獣界編

第351話 神獣界

「ここは……」


 周囲一帯が霧に覆われた世界。どことなく世界樹の内部に広がっていた迷宮————「閉じた世界」を思い出す雰囲気だ。だがどうやら、この霧には魔力を掻き消す効果は無いらしい。


「驚いたの。まさか神獣の棲まう世界が、文字通りに妾らの世界とは隔絶されておったとは」

「マリーさん」


 背後から声がしたので振り返って見れば、そこには我が愛しのお師匠様がいつもと変わることなく立っていた。傍には召喚神獣のピーター君もいる。もちろん俺の隣にはリンちゃんの姿が。


「隔絶された世界って……例の『閉じた世界』みたいな?」

「うむ。どうやらそのようじゃな。この空間自体が途方もなく広大な結界と化しておるようじゃ。遥か昔によほど強力な時空間魔法の使い手でもおったのか?」


 試しに『アクティブ・ソナー』の魔法を放ってみるが、地形の把握こそできても空間自体の大きさを把握することはできない。なるほど、少なくとも半径数キロメートル以上は広がっているとみて良さそうだ。


「ぴゅい」

「何、ついてこいって?」


 リンちゃんが俺を呼ぶので、マリーさんと一緒についていくことにする。いったい何があるんだろうか。あれか、神獣の長老的な存在でもいるのかな?


「おぉ……これはなんともまあ……」

「想像以上の絶景じゃな」


 リンちゃんに案内された先に広がっていたのは、まさに幻想の世界とでも表現すべき絶景だった。陽光を受けて金色に輝く泉や川、生命力に溢れた一面の樹海。切り立った崖から零れ落ちる滝の飛沫しぶきが見事な虹を生み出している。


「ここがリンちゃんの縄張りなのか?」

「ぴゅい!」


 リンちゃん曰く、どうやらここら一帯は空を自在に飛ぶことのできる翼竜種が比較的多い地域らしい。他の神獣も数多く生息するが、全体的には竜種のテリトリーのようだ。


「神獣の棲む世界にも縄張りなんてものがあるんだな」

「まあ、こやつらもれっきとした生物じゃからの」


 生き物である以上、生態系からは外れえない。その法則は、神獣であっても変わらないわけだ。


「しかし……面白いな。普通の生き物もいるんだな」

「ふむ、興味深い」


 視線を澄んだ川の中に遣れば、そこにはごくごく普通の魚が泳いでいた。ファーレンハイト領を流れる川やベルンシュタットの湖なんかでもよく見かけた種類の魚だ。名前は確か……シウス魚。あっさりした白身が特徴的で、フライやソテーにすると美味しいんだ。

 そのシウス魚だが、リンちゃんやピーター君のような神獣特有の精霊に近い魔力反応はまったく感じられない。至って普通の魚だ。


「よっと」


 手から細長い針状に形成した魔力塊を放ち、シウス魚を串刺しにして捕まえてみる。ビチビチと跳ねるシウス魚の生命力の高さに感心しつつ、俺は鮮度が高いうちに下処理を済ませてしまうことにする。


「食べてみたら何かわかるかもしれない」

「地上の物とどう違うのか、気になるの」


 マリーさんの話によれば、神獣化――――『昇華』するには、体内の魔素濃度を高める必要があるという。通常の物質とは異なる振る舞いをする魔素。その魔素をより多く取り込むことで、魔法への親和性が高まるのだそうだ。

 そして魔法への親和性が高まれば、波長を操作する難易度もグッと下がる。そうすればいずれ俺は『昇華』できることだろう。


「妾はお主と違って属性持ちじゃからの。『昇華』できるかはわからぬ。じゃがエーベルハルト、お主なら……もしかしたらできるかもしれんな」


 塩とハーブを塗り込んだシウス魚を焼いている俺の横に座ったマリーさんが、ポツリとそう呟く。俺はそんなマリーさんの手を無言で握ることで、自分の決意を伝えるのだった。



     *



 神獣界にやってきてから、主観時間で一週間が過ぎた。外の世界で何日経っているかはわからない。もしかしたらまだ数時間しか経っていないかもしれないし、意外と早くて数日くらいなら過ぎているかもしれない。だが、少なくともこの一週間で俺に何か変化が無いということだけは確かだった。


「やってることは魔素を取り込んで、魔法の修行をする。ただそれだけだからなぁ……」


 理屈としては正しい筈だ。体内の構成物質をこの神獣界産のものに置き換えられれば、あとは自然と魔法に対する親和性が高まっていく。それはほかならぬ契約神獣のリンちゃんやピーター君が証明していることだ。

 だが、いかんせん時間が掛かりすぎる。体内の物質が完全に入れ替わるのに二年くらい掛かると、前世の頃にどこかで聞いたことがある。もしそれが本当だとしたら、俺はここから二年も出られないことになるじゃないか。

 それに、魔素を多く含んでいるからといって神獣化しないパターンもいくらでも存在するのだ。最近のご飯になっているシウス魚なんかが良い例だ。あいつは魔素こそ豊富に含んでいるが、決して神獣なんかではない。つまり神獣化する————『昇華』するには、魔素を豊富に取り込んだ上で、更にまた何か別の要素が必要だということになる。


「抜本的な解決方法が必要だ」


 今のままではどれだけ時間を掛けたところで何も変化は起こらないに違いない。もっと深く考え、必要な要素を洗い出すんだ。


 そんなことを考えながら、ひとまずは先ほどの魔法訓練で失った魔力を回復させるべく『龍脈接続アストラル・コネクト』を発動しながら休んでいると、それをぼんやりと眺めていたマリーさんが突然「あああーッ!」と大声を上げて叫び出した。


「マ、マリーさん?」

「エーベルハルト。お主、それじゃ!」


 マリーさんが指差すのは、俺の身体。はて、何かついているだろうか。


「『龍脈接続』じゃ! この魔力密度の高い世界でそれを四六時中発動していれば、体内の魔素濃度が桁違いに高まるに違いないぞえ!」

「た、確かに」


 小型化して膝の上に乗っていたリンちゃんを撫でながら、俺はマリーさんの言葉に頷く。

 なるほど、確かにそれならいける気がする。


「じゃあ、早速やってみるよ」

「うむ。妾も意味があるかはわからぬが、一緒にやってみよう」


 そこで「よっこいしょ」と俺の隣に腰を下ろすマリーさん。前屈みになった時に、服の隙間からチラリと可愛らしい桜色が見えたのは指摘しないでおこう。


「この助平めが」

「バレてる」


 わかっていて見せつけてくるマリーさんのほうがよっぽど助平スケベだと思うんだけどなぁ……などと考えながら、『龍脈接続』の発動準備に掛かる俺なのであった。










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