第298話 結納
「お久しぶりです、閣下」
「エーベルハルト君、久しいね。息災にしていたかね?」
「ええ。閣下もお元気そうで何よりです」
イリスと結ばれてから数日後。俺はハイトブルク南方、皇都西方にあるベルンシュタットの領主の館にいた。
今、対面しているのはこの屋敷の主人のラガルド・アルブレヒト・フォン・ベルンシュタイン公爵閣下。リリーの親父さんだ。
「ファーレンハイト卿も変わらないな」
「ええ。それだけが取り柄ですから」
そう返すのは俺の隣にいたオヤジこと、カールハインツ。今日は俺とオヤジの二人で、結婚を踏まえた結納のためにリリーの実家に来ていたのだった。
「今更なのに、なんだか緊張するわね」
向かい側に座っていたリリーがそう茶目っ気混じりに話しかけてくる。今日のリリーは結納ということもあって、正装を着て上品におめかししていた。斯くいう俺もまた貴族の正装だ。ゴテゴテしていてあまり好きではないんだが、これもまあ、ある種の貴族の義務のようなもの。仕方ないものとして受け入れている。
「結納って言ったって、形式的なものに過ぎないんだからそこまで緊張しなくてもいいと思うけど」
権謀術数渦巻く政略結婚ならいざしらず、俺達の場合は事実上の恋愛結婚だ。もちろん馴れ初めこそ政略結婚ではあったが、婚約者として、そして幼馴染として長い年月を共に過ごした俺達からしてみれば、政略結婚であるという認識は薄い。お互いの領地経営も安定していることだし、今更ご破断になるだなんてことはまずもってありえない話だ。
だからこそ両家を繋ぐ儀式である結納もまた、形式的なものにならざるを得ない。世間一般的に行われている贈り物などの交換をしたり、正装の上で会食をして両家が顔合わせをしたりするくらいだ。
「そういえばエーベルハルト君。陛下からお話は伺ったよ。驚いた、まさか陛下自ら媒酌人に立候補なされるとはね」
「私も驚きでした、閣下。日頃から陛下にはよくしていただいておりますが、今回の話は予想すらしておりませんでしたから。……とはいえ、こちらとしては願ってもない話、まさに一世一代の誉れと言っても良いでしょう」
「勅任武官の肩書はそれだけ大きいということでしょうな。いやはや、我が息子ながら恐ろしい……」
「ファーレンハイト卿よ。私は貴殿と、そして貴殿の御子息とこうして深い縁で結ばれることを心から喜ばしく思うよ」
こうして終始穏やかな雰囲気のまま、結納の儀式はつつがなく終了する。今日の予定はこれでおしまいだ。あとはベルンシュタットで一泊過ごしてから、実家のあるハイトブルクに戻って結婚式の準備をするだけである。
食堂を出て、来客用の部屋に戻ろうとしたら、リリーが近寄ってきて俺を捕まえた。
「ハル君、今時間あるかしら」
「うん。特に予定はないけど」
「なら少し夜風に当たりましょ」
「おう」
結納の儀式の間はずっと礼儀正しくしていたリリーである。今でこそお淑やかで立派なレディに成長した彼女だが、本来の気質はお転婆娘なのだ。堅苦しい雰囲気に疲れたこともあって、気晴らしがしたいのだろう。若干の疲れがあるのは俺も同じなので、快く付き合うことにする。
そのままリリーについていき、二階の中庭に面したテラスに出る。季節はしっかり夏だが、夜は涼しい。そこまで湿気を含んでいない心地良い夜風に当たりながら、俺達はしばらく無言の時を過ごす。
「ねえ。覚えてるかしら」
「何を?」
リリーが話しかけてきた。昔を懐かしむような声音だ。
「私達が初めて会った日。ハル君、緊張してぼけっとしてたわね」
「な、なんだよ! 仕方ないだろ。だってこんなに綺麗な公爵家のお嬢様がやってきたんだから」
今となっては熟年夫婦のように気兼ねない関係ではあるが、出会ったばかりの時は、それはもう緊張したものだ。
「実は私も、最初は緊張してたのよ。でもハル君ったら辺境伯家の嫡男とは思えないくらいわんぱくなんだもの。気が付いたらすっかり緊張なんて解けちゃってたわ」
そういえばそうだったな。最初はぎこちない会話をしていたような気がするが、実家の裏庭を案内したり一緒に芝生の上を転げ回ったりしている内にいつの間にか打ち解けていたのだ。
「それからしばらく経って、私が反体制派の過激派に誘拐された時も、ハル君は助けに来てくれた。……嬉しかったわ。でも同時に自分が悔しかった。だから私は強くなりたいと思ったのよ。ハル君の隣に居続けるために」
「それで、今ではこんなに強い魔法士になったわけだ。しかも超レア属性の時空間魔法まで自在に使い熟すときた」
「ふふ。だから今は自分が誇らしいわ。やっとハル君に相応しい女になれたって、心底思えるの」
そう言ってにっこり笑うリリー。なんとも健気なその笑顔に、俺は心臓がバクバクと音を立てるのを感じていた。
しかしリリーはそんなことを思っていたのか。むしろ俺のほうが、リリーに相応しい男になれているか不安だというのに。相手は格上の公爵令嬢で、それに相応しいだけの教養と品格、美貌と才覚を兼ね備えている。俺は果たしてそんな彼女に釣り合う男になれるのか。そんな風に悩んだことも無いわけでは決してない。
「ハル君の周りに集まる女の子って、みんな何か優れた一面を持っている子ばかりでしょう。メイルは言わずもがなだし、イリスだって特魔師団の一線級魔法士だわ」
「まあメイに関しちゃ、あいつ規格外だからな……」
もちろんイリスも凄い。光属性という比較的珍しい魔法を、攻撃に用いる魔法士はイリス以外に古今東西見たことがない。イリス自身はあまり自覚していないみたいだが、彼女は光属性魔法にパラダイムシフトを引き起こしたのだ。
「だから、正妻として負けてられないって思ってたわ。学問も魔法も作法も、何よりハル君を愛する気持ちで負けてられない。……その思いはこれからも変わらないわ。結婚しても私はハル君の一番であり続けたい」
俺は、俺を好いてくれる女を格付けしたりはしない。むろん平等に愛せるとは思わない。そこまで俺は完璧な聖人君子ではない。どこかで絶対、贔屓や偏りが出てきてしまうだろう。
だが、俺が相手に求めるものは一人一人少しずつ違う。
たとえば俺が一番素のままでいられる相手はメイだ。彼女はヒロインズの中でも俺と一緒に過ごしてきた時間が一番長いということもあって、多分俺が一番仲が良いと言える人間はメイだと思う。幼馴染であり、親友であり、恋人であり、兄妹であり、なんでもさらけ出せる間柄だ。一番馬鹿な俺でいられると言ってもよい。
イリスなら、俺が唯一背中を預けられる相棒という表現が妥当だろう。同僚で、恋人で、一番信頼できる相棒だ。強い敵と戦う時には絶対に彼女が必要だ。感情表現が苦手なイリスだが、そんな不器用なところも可愛い。戦っている時も、そうじゃない時も、イリスは俺の相棒なのだ。
そしてリリーはといえば、俺が唯一自分の弱さを見せられる相手だと思うのだ。依存できる、と言い換えてもよい。精神面では他の誰よりも大人っぽいところのあるリリーだ。母性とはやや違うが、俺を包み込んでくれるような懐の深さを感じるのが彼女である。
加えて、そんな彼女だからこそ俺は恋をした。今でこそ俺は自己肯定感の塊だが、昔は前世の記憶がまだ新しかったこともあって、決して自己肯定感が高くはなかった。そんな俺が自分を認められるようになったのは、リリーが俺の隣にいてくれたからだ。
俺にとってリリーとはまさにヒロインであり、恋人であり、嫁なのだ。幼馴染属性でも、相棒枠でもない、ヒロインとしてのヒロイン。そういう意味では俺の中でのリリーの正妻としての立ち位置が揺らぐことは決してないだろう。
「リリー、愛してるよ」
「奇遇ね。私もなのよ、ハル君」
どちらからともなく顔を近づけあい、キスを交わす俺達。そっと目を開けると、至近距離でリリーと目が合った。どうやらこういう時、リリーは目を閉じない派らしい。俺はいつも閉じていたから今日も閉じると思っていたんだろう。月の光に照らされて、目が合ったことに動揺したリリーが赤くなっていく様子がよく見える。
……ああ、今宵はとても月が綺麗だ。
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