第259話 ソミュールの丘
「リリー。今日はこのまま二人でどこかに行こう」
リリーの作った料理で感極まった俺は、気がついたらそんなことを口走っていた。
「行くって……どこに?」
「どこでもいいさ。二人っきりになれる場所だ」
我ながら随分と二枚目な台詞だな。でも仕方ない。俺は猛烈に感動してしまったのだ。今だけはリリーと、この愛すべき幼馴染にして許婚にして恋人と、二人だけの世界に閉じこもりたいのだ。
二人だけの世界か。どこがあるだろうか。南都マルスバーグは前に行った。是非また訪れたい場所ではあるが、今はまだ早すぎるだろう。何よりあそこでは二人っきりになれない。マルスバーグの人口はそこそこ多いのだ。
「ソミュール……」
「何?」
「ソミュールの丘に行ってみたいわ」
「それって……月夜に精霊が躍るっていう、御伽噺の?」
「そうよ。でもあの御伽噺って、実話が元になっているの。人里離れたソミュールの丘では、人間の知らないところで光の精霊達が月夜を浴びて華麗に躍る――――その正体は、まだ精霊に成長しきっていない原始精霊。自我を持たない魔力生命体が、月の光に含まれる魔力に反応して空中を浮遊しているっていうのが、この御伽噺の真相らしいわ」
「へえ……。原始精霊か……」
精霊というものは、実体を持たない魔力生命体だ。原初の海でアミノ酸が集まって一個の生命となるように、精霊もまた魔力が集まり、そこに意識が芽生えることで誕生する。ただしそこに明確な自我は無い。あるのは魔力に吸い寄せられる原始的な本能だけだ。
そうして数え切れないほど何度も何度も魔力を取り込みながら精霊は少しずつ大きくなっていき、やがては周囲の生命の意思に感応して今度は本格的な自我が芽生える。だから精霊には性格があるし、善悪の性質があると言われている。
ここまでが最新の研究の成果として、学院でも習う内容だ。
「魔法学が発展している現代だから、昔はわからなかった不思議や闇が解き明かされている。そのこと自体はとても良いことだと思うわ。でも、昔の人が感じていた自然への崇敬、親愛、恐怖……そういったものも、忘れちゃいけない気がするのよね。神獣と契約していると特にそう思うわ」
「多分、説明しようと思ったら悪魔だって科学で説明できちゃうんだろうさ。あいつらは神話に出てくるような超自然的な存在なんかじゃなくて、俺達と同じ生命を持つ生き物だ。……でも、そこに何らかの神格や超自然性を見出す。神や精霊は現実ではなく、俺達の心の中にいる。そう理解してしまえば、不思議と御伽噺を素直に受け入れられるんだ」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とはいうけれど。枯れ尾花と知った上で、敢えて幽霊を怖がることを選ぶというのもありなんじゃないだろうか。そのほうがきっと、心が豊かだ。そしてそんな豊かな生き方をリリーはしている。
リリーは頭が良い。もちろん世紀の
魔法学院の入試でトップクラスの成績を誇る――――それこそ学科だけなら俺よりも得点は高かったリリーが、それだけの科学的魔法学的知見を持ちながらも、古風で雅な価値観を持っていることが俺には堪らなく魅力的に見えたのだ。
そしてそんなリリーだからこそ、ソミュールの丘という御伽噺に出てくる地をデートの場所に指定した。なんと風雅で文学的な提案だろうか。ここまで気品溢れる提案をできる人間が、科学が芽生えつつあるこの時代、この国にいったい何人いるだろう。
「ソミュールの丘は、皇都から七日の距離だったな」
「うん。歩くとそのくらいかしら」
「なら飛べば一時間だ」
「きゃっ、ハル君」
俺は『飛翼』を展開すると、リリーをお姫様抱っこして空に浮かび上がる。風の直撃を避けるために魔力を風防状に実体化させるのも忘れない。
「さあ、夕焼けの空の旅と行こうじゃないか」
「うん。綺麗……」
✳︎
空を飛ぶこと約一時間。太陽はとうの昔に暮れ、空はすっかり暗くなっていた。眼下には人工の明かりが一つも見えない。森を過ぎ、川を越えて人里離れたこの辺りでは、月の明かりだけが頼りだった。
「今日は少しだけ雲がかかってるのね」
「まあでもその割にはしっかり明るいから良かったよ」
これだけ明るければ、視界が闇で覆われるということもない。精霊達もきっと姿を見せてくれることだろう。
「とりあえず降りようか」
「うん。……あの辺りがいいかもしれないわ」
「あそこだね、了解」
リリーが指し示したのは、周辺よりも少しだけ小高い小さな丘だ。元々この辺り一帯が標高の高い高原地帯になっていて、この高原のことを「ソミュールの丘」と呼ぶのだ。だからリリーが示したあの丘がソミュールの丘かといえば、広義には正しく、狭義には否であった。
だが、俺にはなんとなくではあるが、リリーが正しいという直感があった。根拠は無い。でも、あのリリーがあそこだと言ったのだ。ならソミュールの丘はあそこに決まっている。
「誰もいないわ」
「そりゃまあ、田舎だから」
「うん。……精霊もいない」
「来るさ」
「そうかしら」
「ああ。きっと来る」
そうして二人で丘に腰を下ろし、大自然の息吹を感じることしばし。ふと、視界が急に明るくなった。
「雲が……」
「晴れたな」
空にかかっていた雲が風で流され、隠れていた月が顔を出す。曇りでもここまで明るい理由がわかった。今日は満月だったのだ。
「あっ……! 見て、ハル君!」
「うん? ……あっ! 精霊」
月明かりが丘を照らしたら、大地から顔を出すようにして次々と浮かび上がる光の粒達。これが原始精霊……御伽噺に出てきた光の精霊達か。
「本当にいたんだな」
「ね、言ったでしょう」
まるで昔見た蛍みたいだ。夜の闇の中を輝きながらフワフワと飛んでゆく精霊達。昔の人がこれを見たら、御伽噺にしたくなるのもよくわかる。
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