学院生活編

第251話 束の間の日常

 アーレンダール家がノルド全国に伸びていたデルラント王国の魔の手を暴いてから一週間。俺とメイはといえば、ハイラント皇国に帰国していた。

 理由は単純。メイの学院での授業があったからだ。ただでさえ休みが長くはないのに加えて、今回のお家騒動だ。既にいくつかの授業を欠席してしまっていたメイは「これ以上欠席するわけにはいきませんから」と言って、お家騒動の疲れも癒えない内に帰国を主張した。

 俺は特待生として実技系の授業を免除されているから問題はないのだが、メイは違う。彼女は入学試験を受けてこそいるものの推薦枠で入学しているから(とはいっても座学の成績はトップだったが)、立場上あまり学業を疎かにするわけにはいかないのだ。しかもメイの所属する魔法研究科は俺のいる魔法科と違って座学・研究系の授業がかなり多い。これ以上おサボりするわけにはいかない以上、早期帰国は必然だった。


「今回の件では何から何までたいへんお世話になりました」とカリンが頭を下げていたが、こちらとしては親類に不幸があっては寝覚めが悪いし、何よりちゃんと正当な対価を得ているので、気にすることはないと再度強調して伝えておいた。

 まあカリン達アーレンダール宗家とは今後も長い付き合いになるだろうし、これが今生の別れになるわけでもない。転移門も設置しておいたから、行こうと思えば今すぐにでも会いに行ける筈だ。


「メイは授業に、文部委員会の研究開発室に……で忙しいし、リリーも風紀委員の仕事があるもんな。俺の場合、生徒会とはいっても執行部の仕事なんて基本有事以外にはパトロールくらいしかないし……そもそも最大の監視対象だった中央委員会が解体・再編されちゃったからそのパトロールすらもほぼ必要ないし……」


 座学の授業があるとはいえ、それでも大幅に時間が余ることに変わりはない。はて、どうしたものか。


「久々に魔法哲学研究会と文芸部に顔を出すか」


 両方ともしばらく行っていなかったから、サボり魔だって文句を言われるかもしれないな。まあ、ノルド土産の工芸品とか温泉饅頭(もどき)を差し入れれば許してはくれるだろう。気まずくなって顔を出せずそのまま幽霊部員に……という展開だけはなんとしてでも避けたいものだ。

 せっかく転生して二度目の学生生活を送れるんだから、思いっきり青春しないとバチが当たるってもんだ。既に相当(主に国際情勢に)翻弄されて灰色気味になってはいるけども……。

 若干の諦観を覚えながら学院の渡り廊下を歩いて部室棟へと足を運ぶ俺。魔法哲学研究会の部室よりは文芸部の部室のほうが近いので、今日は先に文芸部に行くことにしようかな。


「なんだか久しぶりで懐かしい気分だ……」


 入学早々、国境の内乱鎮圧に駆り出されたり、皇帝杯で優勝したと思ったら特待生に認定されて実技科目系授業が免除されたりと、学院にあまり長いこといない俺ではあるが、それでも授業のある日とかはちゃんと部室に通ったりはしていたのだ。今回のノルドでのお家騒動のせいでしばらく部室に来れていなかったが、これでようやくいつもの日常が戻ってきたわけだな。


「やあやあ、お久しぶり……ってユリアーネ?」

「え、え、えっ……」

「え?」

「エーベルハルトくぅぅううんっ!!」

「わっ、なんだなんだ」


 部室の扉を開けると、窓際の席で一人、本を読んでいたユリアーネと目が合う。合ったと思ったら、彼女は一瞬ぽかんと真顔になった直後、その透き通った両目いっぱいに涙を浮かべてこちらへと駆け寄ってきたのだった。


「ぜ、ぜんぜんっ、来ないから、ぐすっ、もう辞めちゃったのかと思いましたぁああああ〜……」

「あー、ごめんよ。ユリアーネ。長いこと来れなかったのには色々と深い事情があってね……。はい、これお土産」

「ぐす……お土産? あ、ありがとうございます」

「とりあえず落ち着いてくれ。俺はいなくなったりしないからさ。なんでしばらく来れなかったか、説明させてほしいんだ」

「わかりました」


 しばらく部室に行ってなかったから驚かれるとは思っていたが、まさか泣かれるとはな……。

 申し訳なさから、少しだけいつもよりお高めの(庶民……それも農民ではなく中産階級の月収に相当する)茶葉でお茶を用意する俺。お茶請けの温泉饅頭もどきとよく合う筈だ。ユリアーネのことだから銘柄の違いに気づくかもしれないが、まあ今回に限っては謝罪の意思の表れとして辞退せずにちゃんと受け取ってくれることだろう。


「粗茶ですが」

「いただきます……ずずっ、あっおいしい」

「よかった」


 ティーカップを上品に持ってお茶を啜るユリアーネは、なんだか小動物みたいで可愛い。涙で失った水分を取り戻したからか、さっきよりも少しだけ元気そうに見える。


「これ全然粗茶なんかじゃないですよね……? 値段は怖くて訊けませんけど……」

「あー、これはカシミヤ王室御用達の「言わなくて結構ですからっ」……そう」


 それにしても、ふと思ったが今の状況を客観的に見ると、新興の準男爵家令嬢が、長い歴史を持つ大貴族である名門辺境伯家の嫡男にお茶を汲ませている絵面になるんだよな。俺自身は特にそういう立場関係とかは気にしないが、第三者が見たら誤解を招きかねない相当ヤバい状況というね……。

 まあ、そんな身分差を意識しないでもいいくらいの仲になれたことは単純に嬉しいから、敢えてそれを指摘するような野暮な真似はしないけどな。お父上であるメッサーシュミット準男爵は軍の技術士官らしいし、アーレンダール工房の技術を積極的に導入しようと画策している俺とは、将来的に知己になる可能性が高い。その時に余計な気を遣わせたりしないためにも、俺とユリアーネが仲良くしておくのは大事なことだ。


「……とまあ、こういうわけで帰国が遅れちゃったんだよね」

「はえぇー……。エーベルハルトくんもついに妻帯者ですかぁ」

「突っ込むところ、そこかい?」

「お家騒動なんて言われても、新興準男爵家の私にとっては縁のない話ですからね」

「そりゃまあそうか」


 一代で成り上がったのだから、お家騒動なんてある筈もない。そんなことよりも、部活仲間の浮いた恋愛話のほうが年頃の女の子的には聞いていて楽しいわけだ。


「はぁ〜、いいなぁ。結婚! 私もできるんでしょうか……」

「ユリアーネは知的でお淑やかだし、できないことはないと思うけどな」

「それがですね。エーベルハルトくんの許婚……そろそろ結婚するからお嫁さんですかね。公爵令嬢のリリーさんみたいに地位も名誉も人望もある方だと、我こそは……と縁談を希望する男性も多いんですけどね。私みたいに中途半端な成り上がり者がいたずらに知的アピールをしようものなら、生意気だって嫌われるのがオチですよ」

「そうかな」

「そういうものです。口が悪い言い方になっちゃいますけど、エーベルハルトくんが少々異常なんですよ。これだけ身分差があって、私みたいな頭でっかち女に気さくに話しかけてくれる人なんて普通いないんですから」


 まあ良くも悪くも、貴族という生き物は見栄を張るものだからな。女にうつつを抜かして家名に傷をつけるくらいなら、格下の令嬢なんてまともに取り合わないのが賢明だ。


「あーあ。私もどうせならエーベルハルトくんと結婚したいなぁ………………………………あっ」

「……………………」


 こういう時、俺はどういう反応をすれば良いのだろうか。聞かなかったふりでもするか? でもそれはそれで「気を遣わせてしまった」ってショックを相手に与えかねないしなぁ……。うーむ。


「…………きっ、ききき、聞かなかったことにしてください!」

「は、はい」

「み、身分差が! ありますから! ねっ!」

「いや、身分差の話をするならメイなんてあいつ平民だけど」


 ノルドでは豪族かもしれんが。少なくとも彼女の母国であるここハイラント皇国では紛れもなく平民だ。


「あわわわわ、そうでした! でもその、違うんですぅ。これは、あの、その!」

「うん、わかってるよ。違うんだね。俺とは結婚したくない……」

「あああう、違っ、そういうわけじゃなくて、別にエーベルハルトくんと結婚したくないってことじゃなくて、そもそも私達そういう関係じゃないですよねっていうか……、あああっ、これも別にそういう関係になりたくないですって意味じゃなくて! ……ってうわあああまた私ったら恥ずかしいことを〜〜っ!」


 なんというか、日常が戻ってきた気がするな。どうせまたすぐに戦場に呼び戻されるんだろうけど……とりあえずはこの束の間の日常を満喫するのも悪くないな、と思いながら、俺は慌てふためくユリアーネのティーカップにおかわりのお茶を注いでやるのだった。


「渋っ」

「あっすまん」


 せっかくの高い茶葉だが、湯を入れてから放置していたせいで不味くなってしまったのはご愛嬌だろう。









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