第215話 南都マルスバーグ

「わあっ……」

「綺麗だなー」


 数日後。俺達の姿は海辺の港街にあった。

 海沿い特有の潮風が吹き抜けるのが心地よい。皇都と違って少し暑いくらいの気温と湿気が、どことなく前世の日本を思い出させて懐かしい気持ちになる。

 カモメだかウミネコだか遠目には判別できないが、海鳥の群れが海上を優雅に舞っている姿がとても新鮮だ。


「皇国南方への玄関口というだけあって、流石の発展ぶりね」


 道行く人々や馬車を眺めながら、港のベンチに腰掛けたリリーが呟く。ここ南都マルスバーグを治める領主は、俺の実家のファーレンハイト家と同じく辺境伯家だ。他の三家と少々毛色が違って、領地の規模が小さい代わりに巨大な海軍を独自に所有している有力貴族である。その軍事力を背景に皇国南方の海を支配して、南方からの脅威に備えているというわけだ。

 随分と広い港には、立派な帆船がズラリと並んでいる。商船だけでなく、軍艦もかなり多いようだ。なかなか圧巻の光景である。

 後ろに振り向けば、白、黄色、オレンジと実に色とりどりの中層建築が整然と並んでいる景色が広がっていた。その景観はまるで南フランスのマルセイユやサントロペといった穏やかな南欧のそれそのものだ。政治・経済・文化ともに世界の最高峰に君臨する大都市の皇都も良いが、こういったある種、世俗と距離を置いたような穏やかな街も随分と良いものである。


「後で困るといけないから、先に宿を取っちゃおうか」

「そうね。海が見える部屋だといいわ」

「そりゃマルスバーグに来て、海の見えない部屋に泊まるとかありえんだろう!」


 草津に来て温泉に入らず帰るようなものだ。あるいはハワイに行って海を見ずに帰るか。……こっちのほうが例えとしては近いかな。

 麦わら帽子に白ワンピという、まさに夏を舞台にした映画や恋愛ゲームに出てくる儚げなヒロインそのものの格好をしたリリーを伴って、マルスバーグの海沿い、他より少し高台に建っている白亜の壁が綺麗な高級宿へと足を運ぶ。


「ようこそお越しくださいました」


 流石は高級宿だ。落ち着いた雰囲気に、紳士的なホテルマンが出迎えてくれる。この分ならきっと夕食も期待できることだろう。


「一週間でお願いします」

「かしこまりました。お部屋の種類はどうなさいますか?」

「一番景色の良い部屋で」

「ではスイートルームへご案内いたします。どうぞこちらへ」


 ホテルマンの案内で部屋に向かう途中の廊下には、手入れの行き届いたシャンデリアや、皇都の高級店で見たことのある高名な画家の宗教画、彫刻、調度品などが、邪魔にならず、それでいて目の端に留まる程度には多いという最適なバランスで飾られていた。これなら気になる人は足を止め、気にしない人は意識しないで過ごすことができるわけだ。しかも、もし仮に気にしなかったとしても無意識のうちに穏やかで落ち着いた雰囲気を感じ取れてしまうような配置になっているのだ。……端的に言って、計算し尽くされている。


「内装師って職業が成り立つのもわかる気がするな……」


 日本だと確かインテリアデザイナーというんだっけか。あそこまで高度に分業が発達した社会ならともかく、この世界でそういった直接的に富を生み出さない職業が存在している……できているということは素直に驚きだ。まあ、それだけこの国の文化と経済に余裕があるということなんだろう。


「こちらがスイートルームになります。それではどうぞごゆっくりお過ごしください」


 そう言い残してホテルマンは去っていった。俺達は渡された鍵で部屋の扉を開錠する。


「これは……」

「綺麗!」


 視界に飛び込んできたのは、一面に広がる水平線だ。眼下に広がるお洒落な街並みと青い海、どこまでも続く初夏の空のマリアージュが俺達を非日常の世界へと誘ってくれる。


「ああ……バカンスって感じだ」


 開け放った窓から部屋に入ってくる潮風が心地よい。風に煽られたリリーの金髪がふわりと舞って、花のような香りが俺の鼻腔と心を幸せで満たす。


「ハル君、ありがとう」


 こんな綺麗なところに連れてきてくれて。実際にそうリリーが言ったわけではないが、彼女はとても幸せそうな顔をして俺に微笑んでいた。




――――――――――――――――――――――――――

[あとがき]

 今回は話の都合上、やや文量が短くなっております。

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