第206話 抑止力
「いよいよ明日は決勝戦なわけだが、ファーレンハイト。勝てるか、あの男に」
魔法学院の敷地内にある皇帝杯関係者の控え室で、四年のニコラウス先輩が話しかけてくる。
皇帝杯六日目の夜。決勝戦を前にして、控え室にはどこかピリピリとした空気が張り詰めていた。決勝戦に出場するのは俺だけだが、同じ魔法学院陣営として、皆も緊張してくれているらしい。なのでいつもと違って、毎夜学生食堂で行われている小規模な祝勝会は今日は無しだ。
「正直なところ、わかりません」
「お前でもか」
「ええ。……ジェットは強い」
「皇国のSランク序列第二位にして、特魔師団団長の肩書きは伊達ではないということか……」
ちなみにSランク序列の第一位はマリーさんである。パワーや近接格闘といったフィジカル面での強さなら俺やジェット、オヤジのほうが強いのだが、魔法のバリエーションの豊富さや熟練度、規模や威力など、一人のSランクの人間が皇国の安全保障に及ぼしうる影響力全体を鑑みると、マリーさんのほうがやはり上なのだ。だからこそ魔の森に一人で住んでいながら公国連邦の監視ができるし、旧エルフ領(現在は一部が皇国にエルフ族自治領として組み込まれている)出身で生粋の皇国人ではないにもかかわらず、中将という役職を任され、国家の中枢にいるのである。
ちなみにジェットは皇国生まれ皇国育ちの純粋な皇国人だ。何代か前の先祖が外国出身で、東方の異民族の血が流れているという話も本人からチラリと聞いたことがあるが、詳しくは知らない。訊こうと思ったら「任務がある。さらばだ!」と言って帰ってしまったのだ。ジェットは自由人に見えて、忙しい人間だからな。そこはまあ、仕方がない。話すのを嫌がっていたわけではなさそうなので、今度暇があれば訊いてみてもいいかもしれない。
「役職だけ見ても、ジェットは俺の上司ですからね」
「まあ普通に考えれば、部下よりも上司のほうが仕事はできるものだからな」
そして特魔師団における仕事とは、その大部分が戦闘だ。普通に考えれば、上司であるジェットのほうが部下の俺よりも強い。否、強くなくてはいけない。
「ただまあ、だからこそ燃えるってことでもあるんですけどね」
「なんだかんだ言いつつ、お前も充分酔狂な奴だよ」
「下剋上って燃えませんか?」
「気持ちはわかるが、相手は皇国最強格だからな」
「最強ならともかく、最強格であれば俺も条件は同じです」
「……そういえばそうだったな。お前は魔法学院始まって以来の逸材だ。学院の名を世間に知らしめて来い」
「もちろんです」
そう言って俺の肩を叩いて去ってゆくニコラウス先輩。気が付けば俺達以外の人間は皆、既に帰宅しているようだった。それほど長いこと話し込んでいたつもりはないのだが、思ったよりも時間が経っていたようだ。
それにしても、この大会を通してニコラウス先輩とは随分親しくなれたような気がする。もちろん先輩後輩の垣根を越えるような関係ではないが、最初はまったく接点が無かったことを考えると、同窓に学んだ仲間としてちゃんと距離が縮まった感じだ。
「……さて、俺も帰るか」
明日に備えて今日は早く寝るとしよう。体調を万全に整えておかないと、ほんの僅かな不調が一瞬の判断を遅らせ、勝敗を分けることだってあるのだ。
俺は誰もいない控え室の照明魔道具を消すと、控え室を後にするのだった。
✳︎
「さあ皆さん! 本日は待ちに待った皇帝杯七日目、ついに決勝戦でございます! 本日試合を行う選手は、誰もが知る皇国最強と呼ばれる中の一人――――特魔師団団長、ジェット選手!」
――――ワァアアアッ
流石は皇帝杯最終日というだけあって、その盛り上がり具合は初日にも勝るほどだ。座席のチケット代も七日間の中で一番高値を記録したというし、決勝戦とはやはりそれだけ注目されるものなのだろう。たった一試合を見るためだけにこれだけ多くの人が集まってきたという事実が、ズッシリと俺の肩に乗りかかってくる。
「ジェット選手はこれまでに二度、この皇帝杯で優勝経験がございます! ここ数年は出場していませんでしたが、同じ特魔師団の団員にしてジェット選手自身が師団にスカウトしたエーベルハルト選手が出場するのに合わせて、再び出場を決めたそうです!」
なんと。俺の出場を聞いて自分の出場を決めるとか……、ジェットの奴、俺と本気で闘いたかった説が浮上してきたな。『精神聖域』さえあればお互いに死ぬことはない。俺達クラスになってくると全力を出すということはすなわち誰かの死を意味するので、より高みを目指したいのであれば命の危険性の無い全力での戦闘経験が超絶大事なのだ。
「対するエーベルハルト選手は、これが初出場ながら決勝戦にまでたどり着いてしまいました! 恐るべき速さ! 恐るべき強さ! まさしく『彗星』と表現するに相応しい逸材です!」
司会が会場を盛り上げるためとはいえ、俺を散々にヨイショしてくれる。流石に少し恥ずかしいが、皇帝杯は強者の発掘だけが目的ではなく、国民の娯楽も兼ねているからなぁ。仕方がないか。
「今年は例年とはまったく違う闘いが見れそうです! さあ……それでは試合開始です!」
司会によって試合の開始が宣言される。こうして俺とジェットの、初めての本気の闘いが始まった。
✳︎
「エーベルハルト。全力で来い。俺も全力で行く」
満面の笑顔でそう伝えてくるジェット。なんというか、あいつらしいな。
「もちろん出し惜しみなんてしないよ」
出し惜しみなんかして勝てる相手じゃないからな。
「というのもな、俺とお前は機密性の特に高い特魔師団の団員だろう」
おや? ジェットがそんなことを話し出した。どうやら彼には上司として、闘う前に俺に話しておかなければならないことがあるようだ。
「普段はお目にかかれない特魔師団員の貴重な戦闘シーンだ。当然、他国の軍部は気になって仕方がないよな」
「ああ……」
ジェットのセリフで俺は彼が言いたいことをおおよそ理解した。
皇国はいくつかの仮想敵国と国境を接している。物理的に他国と隔絶された島国でもなければ、特に鎖国制を敷いているわけでもない以上、そのような国から諜報目的で入国するのはまったく
要するにだ。この皇帝杯の会場には、公国連邦やら何やらの関係者達がウジャウジャ潜んでいるということである。
ただ、普通ならそこで戦力のデータを取らせないために「力を抑えて闘え」という話になろうものだが……。
「力を抑えろ、と言うつもりはないぞ。むしろ逆だ。全力を出せ。――――それが抑止力になる」
「なるほどね」
下手に力を隠してしまうと、相手に付け入る隙を与えることにもなりかねない、ということだろう。それに中途半端な強さの人間であればデータを取られ対策されると致命的かもしれないが、俺やジェット級の強者になってくると話は別だ。
戦術データ? どうぞご自由にお取りください。
対策? 取れるもんなら取ってみやがれ。
絡め手なんてものは、弱者、あるいは両方の力が拮抗している時にやることだ。真正面からパワーで叩き潰すのが一番単純にして明快。正面から立ち向かえず、絡め手でもどうしようもないと相手に思わせることができた時、抑止力は最大の力を発揮する。
ジェットは、最近のやや雲行きの怪しい国際情勢を鑑みて、俺との闘いを他国の間者に見せつけることで間接的に戦争抑止を図ろうとしているのだ。
この皇帝杯決勝戦、単なる闘いには終わらない。これはジェットから俺に課された特魔師団員としての任務だ。
――――「皇国最強格同士が全力で闘い、以って他国への抑止力を示せ」。これは外交戦なのだ。
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